6章 セブンリーブス

第1話


 冬が終わろうとしていた、ある日。


 陽光の下、広い並木道の片側を、延々と人と馬車の列が続いていた。

 列の先には、高く長い城壁がある。城壁から数百メートルは何もない空き地だ。そのため、周辺を広く見わたせた。あの城壁を超えた先が『王都』だ。


 あれは『青の王都』。

 人族の国、『青の王国』の中心地だ。そこを目指し、人々は並んでいる。


 王都への入口は、複数ある。たとえば王族と貴族のみが通れる正門。ここはまさに国の玄関で、それにふさわしい壮麗な造りだという。

 対してこちらは、平民用に開放された門の一つだ。

 門の近くに張られた複数のテントで、王都に入る者たちの審査が行われていた。この審査を経なければ、王都へは立ち入れない。だから誰もがうんざりしつつ、長時間並んでいるのだ。

 だがそんな退屈な時間は、突如終わりを告げる。


「待ちなさい!」

「離せっ、クソババア!」


 一斉に視線が集まった。テント近くで、一組の男女がもめている。女は審査官だろうか、自分より体格のいい男に、逃がすものかとしがみ付いている。トラブルがあったのは間違いないだろう。焦った男は、力任せに女を振りほどいた。

「離せって言ってんだよ!」

「ひっ」

 振り払われて、女は盛大に転んだ。そこへ、男が剣を抜いて襲い掛かる。

「よこせ!」

 狙いは鞄だ。女が奪い取った、男の鞄。

 騎士は―――間に合わない。死んだ、と女が覚悟したとき「――ボール」

 特大の水塊が、男の顔面を直撃した。もろに喰らって、男は後方へと吹っ飛ばされる。

「くっそー、魔法使いかよ!」

 起き上がろうとした所を、再び水球が男を撃う。

 男へのダメージは、小さかった。さっきは不意打ちを食らったが、こんな水遊びが魔法とか。何発あたろうが、逃げてしまえばおしまい――のはずなのに。男は違和感を覚えた。これはなんだ、水球が当たった端から、水が固って、いいや、氷になっている。

 足が、腕が、水球が当たるたびに、氷が厚く、広がって、男を閉じ込めていくのだ。

「ひ、ひいいいっ」

 不味いと思った時は、もう、逃げるどころか、指一本動かせない。かろうじて顔だけ出ている状態だ。いったい誰が、たかが水で、どうしてこんな目に!


 女は一部始終を、見ていた。

 あの男が吹き飛ばされ、氷の檻に閉じ込められるまでの全部を、だ。

 魔法を放ったのは、おそらく、この人なのだろう。彼女のすぐ横に立ち、帽子と外套で顔も性別もわからない人物。その人は座り込んだままの彼女に、そっと手を伸ばした。

「怪我は?」

「だ、大丈夫。ありがとう。」

「そう、よかった。」

 若い、男の声だ。ああ、心地よい。これはあの、呪文の声だ。

 間違いない、この若者が魔法使い。

 そして彼が自分を助けてくれたのだと、女は確信した。


 ほどなく騎士たちも駆け付けたのだが、問題は解決していない。もちろん、氷漬けの男のせいである。放置すれば確実に凍死するだろうし、なにより通行の邪魔だ。

「ご協力には感謝する。ついでに氷の除去を頼みたいのだが。」

 騎士たちの依頼に、若者は頷く。

「わかった。少し離れて――」

「ワシがやろう。」

 若者を制し、行列から小柄な老人が歩み出た。

 ふわふわの白髪に白髭、長い杖と、物語の魔法使いそのままだ。

「魔法はのう、後の始末を考えて使うものじゃぞ。」

「はいはい。」

 どうやら二人は連れらしい。若者は肩をすくめて、老人の後ろへと下がる。

 老人は件の男に近寄ると、持っていた杖でちょこんと突いた。


 ――パキン。


 高く、硬質な音が、響きわたる。

 そのとたん、男を覆った氷のすべてが、粉砕されたではないか。

 宙を舞い、キラキラと陽光を反射する氷のかけらたち。城壁へ、また行列の人々の上空へと、風に乗って広がっていく。

 まるでダイヤモンドの粉を、振り撒いたかのように。

「おおお、これはまた幻想的な。」

「光の天使が舞うようね。」

「こんな光景、二度とは見られないぞ。」

 煌めきは風に散らされ、やがて空気に溶け、消えた。

 人々の退屈と疲れを少しだけ持ち去って、小さなショーは終わった。



 そして―――何事もなかったかのように、審査は再開される。

 捕縛された男は、無事に連行された。男は鞄に巧妙な細工を施し、巷ではやっている魔法のオクスリ(違法)を持ち込もうとしたらしい。だが『審査官』によって、あっさりと見破られてしまった。事情を知った入場待ちの列から、何人か離脱したとか、しなかったとか。


 女性審査官の前に、魔法使いの二人組。

 彼女を助けた若者と、連れの小柄な老人だ。厚手の外套に老人は杖を、若者は弓を背負っていた。平均的な旅人の装いである。

 コホンと咳払をし、女は姿勢を正した。

「お二人には、ご協力を感謝します。ですが忠告を一つ。

 王都内において、他を害する魔法は禁止です。武器の使用と同じ扱いになりますので、充分注意してください。違反者は即刻逮捕のうえ、厳罰に処されますよ。」

「わかりました。」若者が答えた。心地よい声音がたまらない。

「ではタグと、所持品を提出しなさい。」

 女はタグを確認しながら――手元にある箱型魔道具は、不正規品、当人以外の利用で反応する――OK、本人だ。でも、帽子で顔が見えない…。

「イライジャ、ヒューゴ、ね。帽子を取って顔を見せなさい。」

 若者は頷いてから、帽子とスカーフを取った。

 ライトブラウンの髪がこぼれる。

 

 何処からともなく、ため息が聞こえた。

 女の予想通り、いいや予想以上に、美しい少年だった。

 幅広のヘアバンドで額を覆っていても、その顔立ちが整っているのがわかる。

 歳の頃は、14か15か。通った鼻筋や涼やかな目元に、凛とした少年らしさが見えた。そのくせ暑気で頬が上気して、妙になまめかしい。

 特に、琥珀色の瞳が目を引いた。

 その暖かく透明感のある瞳が、訝し気に瞬いて――女は我に返った。

「王都へ来た目的を述べなさい。」

「旅の途中です。王都を見物しようと、立ち寄りました。」

「二人は血縁?」

「いいえ。魔法使いの師弟です。」

「わかりました。先ほども伝えたように、魔法の使用には十分に気を付けてください。

 他に申告することはない?」

「特にありません。」

 荷物検査の審査官も、問題なしと判断した。

 他にいくつかの質問をした後、

「結構よ。通っていいわ。ようこそ青の都へ。」

 彼女の言葉に、少年は微笑んだ。そう見えた。

 一度そう思ってしまえば、妄想は次々と湧くものだ。自分だけに向けられた笑顔、運命の出会い、波乱の試練、そして、真実の愛―――。

 上機嫌で入場許可証を渡す彼女に、隣の同僚はこめかみを押さえた。


 審査を済ませた少年と老人は、足早に門の方へ向かう。すでに帽子とスカーフで、その素顔は見えない。残念そうな視線など意に介さず、彼らは門の向こうへと消えた。

 静かだったテント内に、騒々しさが戻った。

 どうやらその場にいたほとんどが、手を止め、彼らを見ていたらしい。

 水と氷の魔法を使う、麗しい魔法使いと、その師を。

 急ぎ彼らを追いかけた者もいたが、再びその姿を見ることは叶わなかったという。



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