第9話 夢幻の泡沫

【遺書代筆・9】

「わたし占いができるんです」

「さっき聞いた」

「そうじゃなくって。ここに占い師が一人いて、対面に一人、人がいたらやることは一つじゃないですか?」

 花の魔物のように微笑んで、雨傘制の頬に影が掛かる。

 舌は痺れて、鼻が利かない。

 けれども舐められて堪るかと睨みつける。

「どうぞ」

「……話聞いてました?」

「聞いてたわ」

 呆けた表情で緊張は解けて溶けた。

 あまりの弛緩の具合に少しばかり面白くなる。

 雨傘制はすっぱいものを食べたみたいに口元を絞って手を放る。

「いやいや、聞いてないでしょ。わたしの占いは嫌なものしか見えないんです」

「そうらしいね」

「いや、おい。信じてないだけでしょ。いや占いなんて信じないくらいが丁度いいんですけど」

 占い師の言葉だとは思えなかった。無理やりなくらいの慌てように、つい笑いそうになって膝をつねる。

 きっと嫌がらせのつもりだったのだろう。

 私自身でわかってる。自分は、まともな死に方はしないだろうって。

 そして【それでもいい】と突き進んできた軌跡は未だ真っ白に、そして少しだけ綺麗に咲いた。

 雨傘制は何かに負けじと肩肘張って目を凝らす。威嚇しているようだった。本当は負けず嫌いなのかもしれない。少しだけ彼女の素に触れたような気がした。

 占いなんて信じないくらいが丁度いい。必要以上の備えをして、それで上手く行ったら感謝すればいい。人の運命なんて、山の天気や女の心と同じくらい簡単に揺れ動く。天気予報とは違うのだ。

「じゃー、もういいです」

 ひらひら手を振って目を伏せる。壁に掛かった時計に一瞥くれてから、雨傘制は猫を被り直す。

「他に何か聞きたいことありますか? なければ、」

「岸波瑠璃について知ってることを教えて欲しい」

「あー、はい、はい……」

 笑顔で固めていた雨傘制の表情筋がぎこちなく軋む。

「いやだって、訊けと言ったのはそちらじゃない」

「あー、へいへい。わかりましたよ。何でも聞いてください」

 投げやりに背もたれに頼って、雨傘制は天を仰いだ。

 了承を得られたので鞄を開ける。窮屈そうに弾ける音を鳴らして、留め金を外す。

 卓上に資料を置いた。

「は?」

「大きな音をたててごめんなさい」

「え、は……いや……そッスね……」

 雨傘制の全身が引いていた。目は忙しなく泳いで行って帰ってこない。

 しかし残念だけれども、私は遺書代筆屋。

 そしてこれが私の仕事。

「これが四人分の戸籍標本。これが保険証の写しね。免許証、講座明細。アルバムは三冊あったけど瑠璃さんが映っていたのはこの一冊だけだった。一応全部持ってきたけどね。あ、この写真の束は、岸波の家の写真だからアルバムとは関係ないの。紛らわしくてごめんなさい。瑠璃さんの部屋の写真と、あとはおもちゃ箱の中身、内装とか。広い家だったからだいぶ量がある。家族の携帯の中の写真も全部印刷してきたから目を通しておいて。通っていたはずの学校のプリントとかは丸ごと捨てちゃったみたいだけど、思い出の品みたいな物は残ってたから撮ってきたわ。この貝殻は日本海側に広く分布している種類なんだけどすごく新しく見えるのよね。埃も一切無かったし。だから多分最近の物だと思うのだけれど、これも占えば何かわかるかもしれない。よろしくね。瑠璃さんはあんまり外出しない人だったみたいだから、近所では知らない人もいたみたい。でも結構印象に残りやすかったみたいで、いくつか話も訊けたから、それはこっちの資料。監視カメラの映像も探してみたけど、やっぱあの辺はガード固いわね。こっちのボイスレコーダーはご家族に訊いてきた内容が入ってる。全部で四時間は流石に聴いていられないと思うから、その内容をまとめたのがこっちの資料。付箋貼ってあるから。それと昔の同級生にも話を訊いてきたんだけれども、こっちはあんまり要領を得なかったわ。それでも少しでも彼女の人柄に繋がるものがあれば、と思って一応こっちに取っておいたけど……要る?」

「待って」

「はい?」

「貴女馬鹿なんですか?」

「……付き合わせてごめんなさい」

「ぜっっったい、思ってない! 思ってるわけが無い! 占わなくても分かる!」

「大変な仕事なの……」

「大変にしてるだけでしょう⁉ 適当書きゃあいいじゃないですか。早死にしますよ⁉」

 冗談ではない。私が死んだら誰が私の遺志を紡ぐのだ。

 だからさっさと、辞めたいのだ。






【遺書代筆・10】

「そもそも何をするんですか」

 クラウチングスタートの姿勢で訊くな逃がさんぞ。

「岸波瑠璃さんのことを知りたい」

 遺書を書く。死んだ人間の遺志を語る。

 まことに胡散臭くって、こんな仕事が成立するのは、やはり不本意なこと甚だしい。

 しかしそれでも──遺書代筆に縋らずにいられない人間というのは、本当に限界まで追い詰められていることが多い。

 だから、可能な限り羅列するのは事実だけ。

 躓いてしまった人たちがもう一度前を向けるように。しかし真実を心の拠り所にできるように。

 誰かに向けた手紙や、日記があればそれが一番ありがたいけれども、最近ではそういうことをするのは珍しい。それは寂しいことだけれども、技術の進歩のおかげで見えるようになったものだってあるのだから、悲しんでばかりはいられない。

 例えば情報を観察する。気力ばかりは眼力で穴を開けるつもりで。

 収集した資料を読みふけり、眺めて、味わって。故人の再現をする。

「一人でやればいいのでは……?」

「そうね」

 それは間違いない。

「けれども私が貴女に会いに来たことに、網島修理以外に理由がある」

 雨傘制。占い師。悪い未来しか見えない占い師。

 詐欺師に惚れる阿呆と言えど、超常的な威力を持つという雨傘制を頼ったことには理由がある。

 ただ、気になって仕方がないこと。

 岸波瑠璃の遺書を書くうえで、途方もなく気になること。心臓の中心で針を伸ばして剥がれない、大事なこと。

 彼女の弟、岸波新葉くんは言った。

 確かに真っ直ぐな瞳で彼は瑠璃嬢の死にざまを語った。

 砂嵐に侵されるような判然としない視界の中で、しかし彼は確かに瞳に焼き付けた。

「瑠璃さんは泡になって亡くなったの」





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