第2話 長月 鞘
「鞘! おはよー!」
「おはよう、メアノちゃん。今日は早起きだね」
始業前の教室。メアノは入室するなり豪快に右手を振り、鞘に挨拶をした。
長月 鞘。三つ編みに眼鏡が似合う大人しい性格の女の子。基本的に誰にでも優しく接する彼女は、その真面目さ故に同級生だけでなく教師陣からの評判も良い。現に周囲のクラスメイト達が始業直前までお喋りを楽しんでいる状況でも、彼女はとうに授業の準備を済ませ、静かに着席している。
「うん! だって今日は数学の小テストがあるし、万が一にも遅刻したら大変――――」
「――――鞘゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!! 助゛け゛て゛ー!!!」
「蛍那ちゃん!? どうしたの!?」
目に涙を浮かべた蛍那が、突然2人の間に割って入った。
「うぅ... 小テストの範囲の内容、全然分かんないのぉ... 次酷い点取ったら、宿題増やすぞって先生に言われたのにぃ...」
「あはは、次はちゃんと勉強してね...?」
「私も協力するわ!」
「あぁ、ありがたやぁ...」
直前に泣きついてくる哀れな友人をも受け入れる器の大きさをもつ鞘。今回はそんな彼女のお話。
「鞘~、一緒に帰りましょ!」
「あー... 今日は用事があるんだ。ごめんね」
「用事って、いつもの場所? 私もついて行ってもいい?」
「それじゃ、今日は一緒に行こっか!」
鞘は時々、放課後とある神社に寄り道をしている。その神社はまるで世界から忘れ去られた空間であるかのように寂れており、人が来ることは滅多にない。おまけに人の手による管理がまるで行き届いておらず、石畳には枯れ葉が積もり、数少ない供え物は腐れているうえに無数の虫がたかっており、本殿もかなり傷んでいる。
この神社は、鞘の通学路から大きく離れた場所にあるため、寄り道にしてはかなり時間を食ってしまう。ではどうして、彼女はこのような寂れた場所に立ち寄るのだろうか。
「いつも私の棲み処を綺麗にしてくださり、感謝します、鞘」
「いえいえ、私が好きでやってることですから」
それは彼女に憑いている精霊が関係している。石造りの能面のような見た目のこの「精霊」は彼女が暮らす町、閑崎町を守護している「守護精霊」である。これから向かう神社は、何百年も昔に守護精霊が「神」として祀られていた場所なのだ。
守護精霊は元々、誰も来ない神社で眠っていたが、悪霊に憑かれた鞘の友人を救うべく目覚め、その一件以来鞘を介して町を守護しているのである。鞘は守護精霊に対する恩返しとして、定期的に神社を掃除しに訪れている。
「ところで、今日は貴女も来て下さるのですね。滅多にいない客人を我が家でもてなすようで、少し楽しみです」
「よろしくね、守護精霊!」
常に文字通り能面のような無表情を崩さない守護精霊だが、2人には心なしか優しく微笑んでいるように感じられた。
「それじゃ、お掃除始めますね」
神社に着くなり、鞘はいつものように本殿の外壁に立てかけてある箒を手にとり、掃除を始めようとした。しかし、今日はいつもと違って彼女がいる。
「私に任せて!」
メアノは豪快に袖をまくり、両の手のひらを地面につけた。その瞬間、そこら中に積もっていた枯れ葉が一気に舞い上がり、淡い光を放って消えていった。彼女の手によって、普段鞘が1時間ほどかけて丁寧に行っていた掃除が、1分もしないうちに終わってしまった。
いくら丁寧に掃除しても、人1人が綺麗にできる範囲は限られている。おまけに鞘は忙しい盛りの学生。毎日は来られないので、大抵は目立つ場所を箒で掃くまでしかできなかった。しかし、今彼女らが立っているのは、信じられないほどまっさらになった地面の上だった。
「どう? 驚いた?」
「すごいね...!」
「何と、これほど綺麗なのは数百年ぶりです...!」
鞘と守護精霊は目を丸くして感嘆した。
掃除があまりにも早く済んでしまったことで、彼女らがこの寂れた神社に居座る理由も無くなった。守護精霊は訳もなく2人を留まらせておくのを忍びなく思い、口を開いた。
「本当に感謝します。ただ、ここは本当に何もない所なので暇を持て余すのではないでしょうか? 私の事は気にせず今日のところは帰ってもよいのですよ」
「私はここ好きですよ。静かで落ち着きます」
「それはそれは、嬉しいことを――――」
「...守護精霊さん?」
守護精霊が突然黙ったことに、鞘は戸惑いの表情を見せる。
「..."何か"が来るわ...」
「貴女も気づいたのですね、この禍々しい気配に...」
「何、か...?」
メアノと守護精霊は気づいていた。招かれざる客人の接近によって、周囲の木々がざわついていることに。
それからどれほどの時間が経っただろうか。何の前触れもなく、神社を取り囲む無数の大木のうちの1本、その幹に黒い「何か」が纏わりついた。その様子に守護精霊が気づくとほぼ同時、その木がミシミシと音を立てて倒れる。
「あれはまさか...! ...鞘よ、準備はよいですね?」
見ると、そこには黒い靄のようなものを全身に纏わせた異形の怪物が佇んでいた。それは人とも獣とも形容できる巨体を誇り、底なしの闇で塗り固められた顔からでも感じとれるほど飢えに満ちた表情を貼り付けている。
「...はい、大丈夫です...!」
守護精霊は人間の身体を借りることで、その力を最大限振るうことができるようになる。鞘には守護精霊の依り代としての資質があった。
怪物がこちらの姿を捕捉する。そこから間髪入れずにメアノが突っ込んでいった。
「お待ち下さい、それに触れてはなりません!」
メアノが跳躍し、跳び蹴りをお見舞いしようとしたその時、怪物は彼女に向かって太い腕を伸ばした。
「...! やば...」
彼女は怪物に気づかれる前に片付けてしまおうと考えていた。気づかれてしまったとしても、彼女の身体能力をもって怪物の反応速度を凌駕することは容易なはずだった。しかし、怪物は常識に当てはめて考えられるようなものではなかったということだ。
不幸な事に、今の彼女の体勢は最悪だ。精一杯身を捻っても、怪物の迎撃を回避できるかは分からない。
「...障壁!」
その時、メアノと怪物の腕との間に、発光する板のようなものが現れた。メアノはそれを思いきり蹴って、その反動で後ろに跳んだ。それからコンマ数秒後、怪物の拳から数本の棘が生え、それに軽くヒビを入れた。
「怪我はない!?」
「危なかった... 助かったわ!」
メアノが着地した先には、鼠色の礼装を身に纏い、石造りの能面を被った鞘が立っていた。鞘は守護精霊の力を行使して、メアノを守るために後方から障壁を展開したのだ。
「2人とも、聞こえますか? あれは少し触れただけで怪我をしてしまいます。幸い、私の障壁はある程度通じるようですが、こちらから攻めるのは困難ですね...」
「あれは一体何なの?」
「あれは、数か月前この町に降り立った災厄の、残り香のようなものです。もう祓われたというのに、まだ残っていたとは...」
怪物は障壁に刺さった拳を抜き、こちらをしっかりと見据えて動きを伺っている。
「...私に、1つ考えがあります! 上手くいくか分からないけど...」
全く動かない彼女らに痺れを切らしたのか、怪物は吠えながら突進した。
「...障壁!」
鞘は障壁を展開する。しかし先ほどとは違い、怪物を閉じ込めるために障壁がドーム状に湾曲していた。怪物は加速するも、障壁の外へ逃れることは叶わなかった。
「でもこれだと、さっきみたいに破られるんじゃ...?」
「...大丈夫だよ、メアノちゃん!」
怪物は先ほどと同様、体に無数の棘を生やし、障壁にヒビを作る。このままでは障壁が破られるのも時間の問題だろう。しかし、鞘は手に持った石杖を掲げ、破られる前に障壁の上から新たにドーム状の障壁を重ねて展開した。それだけでなく、怪物を閉じ込めたまま障壁を徐々に縮小させていった。
怪物が障壁を破るより、鞘が障壁を展開するほうが格段に速かった。徐々に徐々に障壁内の空間が狭まっていき、怪物がこのまま潰れそうになったその時、
より鋭く頑丈な棘によって、障壁に大きな穴が空いてしまった。
「...! そんな...」
こうなってしまっては、もはや打つ手がない――――などということはなかった。
「私に任せて!」
誰も気づかないうちに、メアノは障壁の傍まで近づき、棘を両手で掴んでいた。
「触っただけで怪我、ね... でも...!」
「分かっていれば、私の幻術のほうが先よ!」
次の瞬間、棘が海藻のようにしなしなに変質し、怪物が障壁を押し返す力が一気に弱まった。既に相当な力が内側に込められていたこともあってか、障壁は一気に小さくなり、怪物は跡形もなく潰れてしまった。
「イェーイ、一丁上がり!」
メアノと鞘はハイタッチをして、この危機を無傷で乗り切った喜びを噛みしめた。
「うぅっ...」
その反動で鞘はよろめき、地面に膝をついた。
「あれ、体に力が... 入らない...?」
「鞘、大丈夫!?」
「少々無茶をしていたので、体力を消耗してしまったようです」
「歩ける!?」
「無理かも...」
「分かったわ! それじゃ...」
メアノは鞘の肩と膝の裏に手を回し、抱え上げた。いわゆる「お姫様抱っこ」というやつだ。
「私が運んであげるわ!」
「メ、メアノちゃん! これはちょっと恥ずかしいかも...!」
「おやおや、仲がよろしいのですね! 良いことです」
人1人を抱えているとは思えないほどの俊足で、メアノ達は神社をあとにした。
幻術少女メアノちゃん! 真白坊主 @mashirobouzu
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