女装癖DKの可愛いもの好きな推し活《スローライフ》
ちさここはる
第1話 母親から最期の贈り物
俺が五歳になった年の十月。俺の目の前で、母さんが若い男とアパートを出て行こうとしていた。
「ままぁ、ままぁ、ままぁああ~~おねがっ、いか、いかない、っでっよぉおぅうう~~ぁアぁああ~~」
行かないで欲しかった。見捨てないで欲しかった。どうせなら、俺も一緒に行きたかった。母さんのことが大好きで、母さんが俺の世界だ。
「忙しい」が口癖で、遊んでもくれない父親なんてどうでもよかった。俺の世界には要らないとさえ思っていたんだよ。
混乱する頭の中の母さんが、言って欲しいと思った言葉を、にこやかに言う。
『たくちゃん。ママと一緒に行こう?』
でも、現実は残酷だ。目の前の母さんは苦渋の表情を浮かべて、聞きたくもない言葉を、俺に言ってくるんだから。
「たくちゃん。ママはあなたを連れては行けないの。ごめんなさい」
幼い心に、大好きな母さんの別れの言葉が突き刺さる。痛みで涙がさらに大粒になって、俺の目から溢れ出てしまう。
視界が大きく揺れる。ぼやける視界に、母さんと男の姿も見えなくなっていた。
「ままぁああァ!」
迎えに来た男の顔は覚えちゃいない。のっぺらぼうだ。思い出の中の母さんはとても美しくて、可愛らしい人で、今も記憶の中で、色褪せることはない。
母さんのボサボサだった黒髪が、亜麻色に染まった。さらに血色の悪かった唇はグロスでつやつや。
嗅いだことのない甘い香水の匂いが、辺りの空気の色を染めて変えていく。
今までのカジュアルでよれよれな服装が、ワンピース姿に変わったこと。袖のない踝までの丈、後ろが際どい切れ込みデザイン。
普段履きの壊れていたクロックスが、白い花が咲いたサンダルになったことに加えて、洒落気のなかった手の指先にはネイルアートが塗られて、アクセントの
「ひっぐ、ぅえェ……ま、まマぁ、やらよぉう、いか、らいでよぉうぅうう」
五歳の俺が理解出来なくて当然だ。今、目の前にいる母さんだった人が赤の他人になったことなんか。分かる
「たくちゃん。この人形ちゃんをママだと想ってね。本当にごめんなさい。パパを、……お願いね?」
「ま、ままぁあぁああ」
「いい子」
零れ落ちそうな涙を堪えて、俺の前にしゃがみ込む。さらにどこから持ち出したのか、もこもこで可愛いくまの人形を俺に抱かせてくれた。
気持の整理がついたのか、何事もなかったかのように、満面の笑みを浮かべて立ち上がった。オレの目の前で男と手を組んで出て行ってしまう。
「ま、ままぁ、……やだァああっ! ぁああアぁあ!」
可愛いはずの俺を見棄てて、若い男を選んだ母さんだった人から貰ったくまの人形が、俺の人生を変えるなんてさ。
あの
◆
「おーい?
「亀山先輩、おはようございます」
「ああ。おはようさん、じゃないわ。
二段ベッドの下段で寝ていた同室の亀山先輩が心配口調で声を掛けてくれる。俺は上段から、真っ逆さまに落下したようだ。
カーペットもない床は固いことを身をもって知る。確かに痛い。でも、それ以上に痛かったのは――身体じゃない。心だ。
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