第二節 内田誠二

 ヴあっっヂィィィ……。

 気温も、照り返しも、背中のスケボーもその間のタオルも全部熱い。まだ七月半ばだぜ、地球もそろそろ終わりかぁ?

 うんざりしながら、すっかり真っ赤になった左腕の腕時計を睨む。クッソ、もう一時間も経ってんのかよ。なんでわざわざ真夏の一番クソ暑い時間にこんな炎天下でコンガリ日焼けしなきゃなんねぇんだよ。


「はーあぁ……」

 控えめに、でもちゃんと聞こえるようにため息をつきながら左を向く。一メートル先には南国リゾートの宣伝写真みたいな光景が広がってる。

 汗だかオイルだかで妙にテカった黒い肌、同い年とは思えない分厚い胸板と腹筋、趣味悪い極太ネックレス、剃り上げたチリチリの金髪、イヤホンから流行りのK-POP。今にも隣から水着のキャピキャピしたギャル女が顔を出しそうだ。


「……あれッ、着いた?」

 こっちの目線を勘違いしたらしい、一八〇センチ超えの巨体が反射的に立ち上がった。やっぱデケぇなコイツ……って、バカッ!ヤベェ!

「あ、やめ――」

 胴体にタックルしてぶっ倒す……つもりだったのに、胴体を抱えた腕ごと身体がフワッと浮き上がった。信じられねぇ馬鹿力だコイツ!

「あ、頭上げないでって言ったじゃないデスか!」

「アレ?あ、まだ駄目なんか。わりぃわりぃ」

「ちょっ、ちょっと!こ、こっち!」

 丸太みたいな腕を掴んで十メートルぐらい先の側壁に這い寄る。ずっと背泳ぎ状態でスケボー蹴ってたせいで腰が痛ぇ。隣のバカに顔を出さないよう釘刺して、そっと双眼鏡で側壁の外を覗いてみる。

 今いる高速道は下から五メートルぐらいの高架上らしい。水田や畑に農家は居なさそうだ。二・三百メートル先に庭坂の第一出張所の高射砲が見えるけど、こっちも近くに自衛隊員はいない。人っ子一人いない平和な田園風景だ、それに思ったより進んでる。目的地まであと少しだ。


「……一応大丈夫っぽい、デス」

「神経質だなー、内田って。こんなクソ田舎じゃ誰も気づかねぇって」

「つ、連れていけって言ったんだから、言う通りやってクダサイ。何度も言うけど、い、違法なんデス、これ」

 

 そう。俺らが今白昼堂々やっている緩衝地域と生息域への侵入は、未遂でも立派な犯罪だ。

 成人なら実刑がつくし、未成年ギリギリの高三の俺らも、捕まれば即退学&反社会的行動で就活はパァ、人生ゲームオーバー確定だ。

 同時に、生息域ってのは軽犯罪の温床でワルとか半グレにとってはあこがれの地だ。

 三十年以上前の総力戦で、日本はギャオスを山奥に大慌てで追い込んで居住域との間に緩衝線を引いた。国中がメチャクチャな状態でとりあえず強権的に線引きしたもんだから、生息域には強制放棄させられた個人や法人のモノが大量に残ってる。だから軽犯罪でイキりたい残念なヤカラは、不法侵入とかドラッグとか違法転売とか目当てに生息域に行きたがるし、そういう理由もあって生息域侵入の取り締まりはかなり厳しい。普通はまず物理的に無理だ。

 でも、ごくたまに取り締まりに「穴」が開くことがある。ココの場合はこの高速道だ。昔は田舎でも一家に一台乗用車を持ってて、県を超えた行き来は一般道か、こういう有料高速道を使ってたらしい。生息域を通る道路は基本的に取り壊されたり通行ゲートがついてたりするけど、この道は庭坂基地と山向こうの新仙台辺りを結ぶ陸自の補助線らしくて、封鎖も警備も緩いまま放置されている。これに俺が気づいたのが一年位前。

 それからは、まずギャオスの習性を頭に叩き込んで、ローリスクで行き来できるよう計画を練った。わざわざ腰痛をガマンしながらスケボーに乗って移動してるのも、頭が見えて通報されないようにするためだ。日が昇りきる前に移動すりゃ大した問題もないんだが、どっかのバカが三時間も遅刻したせいでしなくてもいい苦労をしてるのは最初に言ったとおりだ。

 

「……着きマシタ。ここのガードレールの向こうに、分かりにくいけど道がありマス」

「うっわ、スゲェ!なんかそれっぽいじゃん」

「あの、あんまり大きな声、出さないで」

 ガードレールから僅かに見える獣道みたいな山道がルートだ。十五分ぐらい歩くと、開けた場所に出る。村っていうよりは山を切り開いて作った複合レジャー施設だ、テナントの入ったビルやキャンプ場だったっぽい場所もある。

「ウッホー、スゲェ!これマジで全部?ヤバくねぇ?!」

 大型ゴリラは駐車場に並んだお目当てを目の前にしてドラミングし始めた。ここに来るまでさんざん一人でしゃべってたけど、要するにコイツは謹慎中に無許可で免許取りに行って学校に呼び出されるぐらい車が好きなんだそうだ。

「キー付いたままのもあるってマジ?」

「あの建物の、貴重品コーナーに掛かってマス。あ、動かしたことは、ないけど」

「内田も来いよ!ジャンジャン走らせようぜ」

「いいデス、遠慮しマスよ。四時になったら、ここ集合で……」と言い終わらないうちに、ゴリラはテナントビルにとてつもない速さで駆け出して行った。俺はため息を一回ついた。


 今、俺は悩んでいる。

 生息域侵入罪が他人にバレた、この問題を解決しなきゃならない。

「大森、か……」

 

 大森天。

 思いもよらないヤツに秘密を見破られた。

 福島市内で大森はちょっとした有名人だ。強豪野球部を持つ光陰高校に一年からレギュラー出場するドミニカンハーフ、堅守強打がウリの大型遊撃手。去年は甲子園の特番とか全国紙にも名前が出てた。でも野球部は学校のカリキュラムが違うから、一般生の俺らとは授業を含めて一緒になる時間がほぼない。同級生ではあるけど赤の他人だ。

 そんな奴が、ある朝突然金髪で一般生のクラスに座っていた。一八〇後半でムキムキだから机がミニチュアみたいに見えたのを今でも覚えてる。ウワサじゃ何か「やらかし」て、部活停止喰らったらしい。どうせタバコか酒がバレたんだろう。席は名前順、俺の後ろだ。

 一応学校でスマホは禁止だけど、昼休みは教員も来ない。大森が来るまで座席が一番後ろだった俺は、いつものクセで生息域で撮った写真を見てた。

 その中に、たまたまあの駐車場の写真があった。

 今から考えれば不用心だった。この世の中、一般車が屋外に大量に平置きされてる場所なんてこの辺りじゃまず見つからない。

 野生のカンってやつが俺にも残ってるのか、突然視線を感じた。誰ともしゃべらず、教員も指名しないから四時間目までずっと机に伏せていた大森が、いつの間にか起き上がって俺のスマホを見ていた。


 見られた?騒がれたらまずい!

 いや、でも生息域の写真だなんて分かるわけがない。小さな写真だしすぐスクロールしたから、そもそも見えてないかも……。


 その時はきっとそうだと思ったし、その後大森はまた机に伏せた。俺はそれで安心しきってた。でも六時間目が始まる前、ボソッと

「放課後空いてる?さっきの写真のこと聞きてぇんだけど」

と耳打ちされた。


 あの瞬間から今まで、俺はずーっと不眠だし胃が痛くてしょうがない。

 結局、大森はユスリもカツアゲもしてこなかった。話を聞いてる感じ、多分ホントに車を乗り回したいだけだ。

 とはいえ、頭が足りてないのも確かだ、無知と無害はイコールじゃない。今日はとりあえずここに連れてきて、貸しを作って「共犯」になったけど、アイツに共犯という緊張関係が分かるのかはとても疑わしい。嬉しくなってSNSでベラベラ喋られたらアウトだ。一応最悪のケースも考えて家から親の睡眠薬三錠パクって来たけど、あんなバカでかいやつにこんな小っちゃい薬が効くのか不安になってきた。どうせなら一シート持ってくるんだった。

 

 気が付くとそんなことばっかり考えちまうせいで、本来の目的の方はからっきしだ。

 俺がここに来る目的は一つ、クワガタの採集だ。別に虫が好きなわけじゃない、ただ自分より弱いし小さいし扱いやすくて、とにかく高く売れるからだ。

 五年くらい前、福島から岩手の辺りで新種のヒラタクワガタが見つかった。コイツらはほとんど生息域内にいるから、ふつうなら偶然緩衝地域に飛んできたのを採集するくらいしか入手方法がない激レアだ。

 生息域へのルートを見つけた俺は、金儲けができないかいろいろ探して、一番上手くいったのがこのクワガタの転売だった。去年は採集して売るだけだったけど、今年からは幼虫の養殖や他の希少種の採集も始めた。地味なやり方だけど、多分一般人どもの想像より桁二つ分は多く稼げてる。とにかく大森の問題をどうにかしないと、精神面より経済面でマイナスがかさんじまう。


 結局、集合時間までろくに採集はできなかった。

 大森を迎えに行って、ドーナツターンのサイドブレーキがどうのとかいう下らない話を延々聞かされながら高速道へ戻り始めた。いろいろ考えてたせいで来た道とルートが変わったのに気づいたのはだいぶ進んでからだった。

「こっち側結構暗いんだな」

「あ?ああ、そうなんデス。滑りやすいけど、こっち側からでも帰れマスから」

 実際たまに使うルートだったから問題ない、はずだった。

 でも進む先を見上げた時、何となく嫌な感じがした。後戻りしようかと思ったけど、大森もいるし帰る時間もギリギリだ。結局無視して歩き始めた、思ってるより精神的に参ってるのかもしれないな。


 大森のこととか色々考えながら歩けば紛れると思ったのに、さっきの違和感は消えるどころか少しずつ膨らみ始めた。何だか分からないけど、何かが気になって周りをチラチラ見渡す。まだ昼間だから木陰も明るいのに、何となく歩きづらい。大森はまだ十メートルくらい後ろをチンタラ歩いてる。ちょっと待つか、休めばきっと落ち着く。

 

 よく考えたら、最初から気付いてたのかもしれない。

 立ち止まった瞬間、何となくツンとする甘さと酸っぱさが混ざった風が吹いた。無視しようとしたけど、次の風が運んできた臭いはもっと強烈で、反射的にゲロっちまいそうなのを何とかガマンできたくらいだった。生ゴミとも養豚場とも牛乳雑巾とも全然違う、もっとヤバい、動物っぽい、いや、『動物だった』っぽい、近づいちゃいけない臭いだってのが、初めて嗅ぐのに本能的に判った。


 反射的に後ろを振り返った。つまんなそうに歩く大森が目眩がするくらい遠く見える。大森の顔は変わらないけど、こっちはもう呼吸も辛いぐらい臭い。


 『初めて嗅ぐ臭い』、『動物の臭い』、『生息域』、『ギャオスの生息域』……。

 脳みその中でそんなワードが湧き出して、ギャオスの顔が、ネットで見た動画が、どんどんグルグル回り出す。よくあるホラー映画だと、この後ヨダレが上から垂れてくるんだよな、なんて余計なこと考えた瞬間、視野がどんどん狭くなって視線が前から動かせなくなった。頭が、首がガクガク震え始める。

 ダメだ、何とかしろ。クサいのを我慢しながら、口からゆっくり酸素を吸い込む。無理やり胸張って深呼吸。大丈夫だ。ここの道は前も通っただろ。大丈夫だ、まだ昼間だろ、危険はないんだ。帰るんだ。歩け!

 自分にそう言い聞かせて、感覚が無い足を無理やり振り上げて、勢いつけて思いっきり地面を踏み出した。


 ――ズルッ

 一瞬、体が浮いて内臓がグッと押しあがった。

 無意識に突き出した右手にグニャっとした感触。滑った?転んだ?すぐに平衡感覚が戻って起き上がり、前を向く……。


 鼻が触れるほどの場所に、ついさっきまで頭の中で回ってた顔があった。青緑のカサカサした肌、三角の頭、腐って黒くつぶれた眼球、指の爪くらいの大きさの歯が綺麗に並んだ口。


「ウワァァァアアア!」

 肺中の空気が勝手に吹き出て視界がぼやける。頭で誰かが命令する、逃げろ!距離を取るんだ、斜面を下れ。荷物も捨ててしまえ、走れ!

 そうだ、逃げなきゃ!震えて動かない手足をバタつかせて、荷物を放り出すと身軽になって斜面を転がり落ちた。


 ――ガツッ!!

 いきなりバットで殴られたような衝撃が腹に走って、そのまま背中から地面に叩きつけられた。体勢を立て直そうとするけど、絡みついた物がなかなか離れない!急げ、逃げるんだ!俺は、


「チクショウ、離せコラァ!!」

「……つけ、落ち着けって!大丈夫だ!」

 いきなり、大森の顔が目の前にアップになった。その瞬間、目と、耳と、流れる汗の感覚が戻って、それから最後にちょっと遅れて、強烈な吐き気が戻ってきた。

「オェ、オェェ……」

 空っぽになっても胃の痙攣が止まらない。右手についた黒いヘドロみたいなのが猛烈にクサい。ぬぐい取ろうとして顔に一瞬近づけたらあまりにクサ過ぎてまた吐いた。ダサい。

「パ二クったなぁ、危なかったぜぇ」

 大森が背中をさすってくる。体中のエネルギーが抜けちまってて、息をするのが精いっぱいだ。

「大丈夫かぁ?俺も一瞬ビビったけどよ、平気だよ。見ろ」大森が斜面の上を顎で指した。

「腐ってるよ、アイツ」

 さっき俺が滑った辺りの斜面がちょうど窪みになってて、そこにギャオスの腐乱死体があった。さっきは翼長十メートル級のバケモノに見えたのに、よく見たら二メートルもない幼体だ。あんなチビにパニクったのか、しかもリュックに用意した忌避グッズも全部忘れて放り出しちまうなんて。

「……クソッ、だっせぇ」

「まあ、しゃあねぇよ、落っこちなくて良かったわな」

 ムカつくけどその通りだ。あのパニックのまま斜面を転がってたら最低でも骨折はしてる。一人だったら死んでたかもしれない。命の恩人?脳筋ゴリラが?

「……クソッ、マジだせぇ」

 猛烈に恥ずかしくなってきた。脚のシビレが治って、口に入った土とゲロカスを吐き捨てながら上に歩き出す。でも立ち上がってすぐ、大森の馬鹿笑いが聞こえてきた。

「……何?」

 答える代わり、大森は俺のズボンを指さした。ベージュのチノパンには股間を中心にデカいシミができてる。馬鹿笑いがさらにデカくなる。

「マジうぜぇ、死んだほうがマシだ……」

「ウヘハハッ、ま、ドンマ……ブハッハハ!」

「笑わないでクダサイよ」

「お前さぁ、その謎の敬語いい加減止めろよ。気持ちわりぃんだよ」

 とにかく恥ずかしくてムカついて、斜面を駆け上がって腐乱死体を蹴り飛ばした。肉片が飛び散って服に付いたけどもう知るか。こちとら既に汗に涙に泥とよだれとゲロとションベンまみれだぞ。無敵状態だ、ざまあみろ。

「おい、セイ」スマホを取り出しながら大森が呼びかけた。セイ……って俺?

「誠二だろ、セイだよ。呼びやすいじゃん。記念写真撮ろうぜ、ギャオっち討伐記念」

「ギャオっちって」

 何も言わずに大森は写真のタイマーをセットすると、いきなり俺と肩を組んで後ろの腐乱死体を画面に収めてポーズを取った。

「なに、なんで一緒に」

「いいじゃん、ダチだろ?ほら、おめぇもこっち見ろ」

 自分の写真なんて暫くとってない。どういう顔をすればいいのか迷ってたら、カウントダウンがゼロになった。

 ――ハイ、チーズ☆


 ダチか、悪くないな。


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