0207:退却
「きさま……名、名はっ!」
「今日の私は機嫌が悪い。弱いのだから、お前から先に名乗れ。そして丁寧にお願いしろ」
「くっ、わ、我が名はミルビネット・オウン・クリスナ。「閃光姫」である!」
「うん。判った。お願いが無い。我が名はイリス。では死ね」
「あ、荒れ狂う……」
抉られるように紺色の靄が通過する。既に何度も、何度も喰らっている「ただの振り回し」だ。だが、それで既に数十人の騎士たちが死んでいたし、自分も装備を抉られ続けている。
転がっている兜の先端には黒い魔石が埋め込まれている。見間違うことない、クリスナ騎士の装備だ。この黒い魔石はそれほど強くはないが魔術結界を構築することができる。妙に目立つこともあって、他国から、黒ゴマ呼ばわりされる原因となっているが、このほんの少しが、戦場では生死の一線を切り分ける。
……その数と同じ数だけの騎士の首が転がっているのだと思うと、怒りが感情を支配する。が。
「くう!」
ギチ……
二人の傭兵が間に割って入った。分厚く大きい盾が戦鎚に押さえ込まれる。
「ひ、姫さん、お逃げください。ここはオレが。此奴は逃げる者には関心の無い様子」
「ああ、小便漏らして逃げるような小娘を追いかける趣味はない」
「ボラン……」
「オレら傭兵は流れ者の嫌われ者でしてね。気軽に声を掛けてくれるような貴族のお偉いさんなんて、見たことも聞いたこともねぇんでさ。だが、姫様は違う。あんたが生きてくれれば、オレらの様なヤツが夢……見られる」
「……ボンダ……」
「はやく! こいつの武器は迷宮産で、術防御の高い装備じゃねぇと唯々抉られるだけだ!」
「わ、判った。恩に着るぞ」
ミルビネットは傭兵に腕を引かれて、周囲にいた親衛隊の後ろに下がる。残されたのは傭兵らしい装備の小男。不釣り合いな豪華な盾を構えている。退路に対して塞ぐ様に、構えた。
「オレの名は「穴開け」ボンダ。ありがとうな。姫様を逃がしてくれて」
「少々五月蠅かったからな。イラッと来ただけだ」
「まあ、そりゃ……これだけ仲間を殺されりゃぁ……仕方あんめぇ」
「攻めて来たのはそっちだろう?」
「ああ、そうだな。そうだったなぁ。戦争だ。これは。忘れるところだった」
盾の横から短槍が差し出された。イリスは余裕綽々である。しゃべりながら、不意を突く攻撃。それを当然の様に避け、さらに戦鎚の柄の部分でカチ上げて振り抜く。靄が纏わり付く。
ガキッ
それなりに名のありそうだった短槍があっさりと崩れ……折れてしまった。
「ボンダ!」
先ほどミルビネットの腕を掴んで強引に退かせた男が、戻ってきている。体格的にも武装的にもこちらの男の方が格が高い。
「団長〜こりゃすげぇよ……ダメだ。逃げの一手だな。他国の軍や騎士団がこの数日でガンガン潰されたっての嘘じゃ無さそうだぞ。負けだ負けだ、負け戦だ」
「……本当かよ」
「姫さんと一緒に国まで逃げろ! ここまでの相手だ。多分……「貫く矢」もダメだな」
「く、クラウデアが、か?」
「敵が化物と知らずに……金に目がくらんで依頼を受けちまったことを後悔しな。今後は事前調査を綿密に行うこった」
「あ、ああ」
「行け!」
ボンダの周りに集まり始めていた傭兵も逃走を始める。
「お前は……逃げないのか?」
「それは強者に対して失礼ってもんだろう?」
「というか、お前が団長ではないのか」
「そういう柄じゃないもんでな。あとな。迷宮産の武器防具持ちで、さらに迷宮産の武器に対抗出来る盾を持っていて、使いこなしてるのがオレしかいねぇってだけさ。アンタのその戦鎚……その靄を弾け飛ばせねぇと唯々……為す術無く殺されて終わりだからな」
「ああ、そうだな」
「まあ、オレがここで時間を稼ぐだけ姫さんや仲間が遠くへ逃げられるってなもんだしな」
「ん? 追わんぞ? 逃げるなら」
「え? そうなの?」
「追撃戦など面倒くさいだけだからな。迷惑料として兵糧や資材を放って逃げるんならもう、いいんじゃないか? その代わり……」
イリスが構える。下段に……そして下から振上げて、そのまま、靄がボンダに襲いかかる! 盾でなんとか防いだ攻撃は、ただの撃ち降ろし。だが、迷宮産でこれまで傷一つ付いたことのない盾がへしゃげてしまっている。
(ちぃ……両腕持ってかれたか。さすが甘かねぇな……)
ボンダの腕は既に動かなかった。複雑に骨が折れ砕けている可能性が高い。癒しの術でそこそこ治るだろうが、半年は実戦では戦えまい。盾を手放して後ろに下がる。下半身はまだ無事だ。逃げる……ことは可能……。
「な、なら逃げる」
「ああ。すぐに戻ってきて悪さするとかそういうの無しな? それやったら、後で追いかけて殺す」
「あ、ああ、ここまでやられりぁ……しばらくはどうにもなんねぇよ」
ボンダは周りを一瞥すると……逃走を開始した。一目散に背を向けて、走り逃げる。
「撤退だ! 撤退だ! 「閃光姫」様を御守りしながら撤退しろ! 無駄死には避けよ! この戦、ここまでだ!」
声を掛ける。これ以上、味方を無駄にヤツに殺させるわけにはいかない。
あれは……綿密に策を弄して孤立させて、強者複数名、または騎士団や傭兵団なら三〜四で同時に仕掛けなければ無理だ。
「穴開け」ボンダ。幾つもの戦場で戦局に穴をこじ開けて来た古強者は、今日ほど勝ち目の薄い戦場に立った事は無いと……顔をしかめた。
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