第14話  幕裏挿話:夢現の、その狭間で


『世の巡り会いは偶然に、世界の出会いは必然に』


今でも時折思いだす、夢の様な現。

あの日、あの時。何となく訪れた森奥で、根も無ければ葉もない女と出会う、在りし日の記憶。

ここでは見かけない異国の黒。

初恋にしては軽く、一目ぼれにしては重すぎて。

当時まだ「お嬢さん」と呼べた妻の瞳に映るのは男ではなく、男への『諦め』と過剰なまでの『警戒』だった。


「私は君に恋したから、君の全てが欲しい」


だけれども、その様な相手の出自・経歴も鑑みず。ひとりでに暴走し、思い赴くままそう告げるのは存外簡単なことである。

稀有なる美貌も過ぎたるは毒で。神や悪漢すら虜にして来たであろう姿形がもたらすのも、決して『幸福』だけではないのに。


「お互いこれ以上深く考えず、今直ぐ結婚しよう」


それでもと、後先考えず。そうだったとしても、惚れさせてしまえばこちらのモノと。

良くも悪く、手に入らないからこそ恋焦がれ。出会ってしまったからには愛でようと手を伸ばし、生きた蝶の羽を毟ってしまうのが男の『本能』と言うモノだ。

亡命先の憩い場、同じ船に乗る間柄。ただ

それこそ、ただの利用関係なのだとしても……。柄にもなく、何かと理由を漕ぎつけては、ただただ自分の傍に彼女が居るだけで、

ただそれだけで、この身がこの世の誰より『幸福』なのだと感じられた。


『運命』


そんな陳腐な言葉で題される恋物語の始まりこそ、ありふれた神の悪戯だとしても。

だったとしても、その様な始まり関係なく。

会い通う度に心を躍らせ、一目一声交わすほど想いアイと情を積もらせる。

これを『愛』と呼ばずして、一体何を愛と呼ぶのだろうか。


「いきなり結婚は嫌か? では帝国の流儀に従い、お互い妥協して婚約から始めよう」


それこそ身の上を盾に餌をぶら下げ、契約から始まる結婚だとしても別にいい。

お互いの思いの重さが今は同等でなくとも、いつか死ぬ間際となってようやく初めての愛を囁かれようと、構わない。

世の中仕事関係から始まる恋だって多々あるのだから……、

これからの人生、これからの幾星霜。その金色混じる宵闇の瞳がこちらに向けられているだけで、他のことなんてどうでも良いし、どうでも良くなった。

それこそ、


「明後日、結婚する」


と前置きの無い一声で、世間を揺るがそうと。


「はぇ?」


少なくも、知り得る限り。前例のない異国間結婚で、領地全体を震撼させようと。


「天下のアールノヴァ、かの氷の貴公子様ですら恋すれば盲目となるのですか……いくら奥方の事情が事情とは言え。それこそ一生一度、人生そのものを賭ける結婚に対し、世の女性は嘗てないほど繊細で敏感となるのですよ?

 いくら奥様となろう方が気にしていないからと! こんな即席なモノにするだなんて……ホント、仮にも帝国一紳士として、骨の髄まで馬鹿になってしまったようですね??」


時には家臣・使用人一同を過労死寸前まで追いやり。またある時には、実の母に身も蓋もなく罵倒されようと、自分の腕中なわばりに愛する君がいるだけで、全てどうでも良く。

そのまま季節が巡り、子が生まれ、例えそんな幸福絶頂とした日々の折々にて事ある毎、周囲から何を言われ、されようと別段痛くも痒くもない……どころか、元より君以外を一々相手する質でもなければ、気に留める性もしていない。


理性的でありながら一度愛した人の前では、本能に勝てないアールノヴァの男達


変人・奇人と言われればそれまでだし。周囲の有象無象に残酷無慈悲な狂人と呼ばれようと、きっと、それも自分という存在の一部なのだから。

その様な父や自分に瓜二つな男兄弟二人ともかく……。あの日の森から攫ってきた君は今日も綺麗だし、君の腹にいた頃から世に生まれて来ても、娘と言うのは『愛おしい』『可愛いkawaii』『びっくりハッピー』の詰め合わせだ。


『物語』の始まりが突発的な恋心なのだとしても、現実世界での愛は永続的なモノで。

明けない夜はないのだと。

幸福最中の絶望たいくつにすら光さす、その事を教えてくれたのは君であり、まだ七つであった愛娘。

生涯誰よりも愛すると決めたリリーそっくりの、このせかいの何より愛らしい、私の娘。



「我が帝国、我が祖国。新たな『天才』の誕生に、万雷の喝采を」



あの夏の日。『ぜつぼう』を克服したお前を、今日も世界は祝福しているようだが。

リリーの様な美貌かんばせも、あのひと夏の奇跡も、こうして誰もが跪く才能がなくとも。

ただ生きているだけ。

例え何もせずとも、何もできずとも。ただそこで笑って、息してくれているだけで私は、私とお前の母、そしてお前の兄二人は満足だ。


愛する妻が『睡蓮リリー』ならば、愛しのお前は『牡丹シャクヤク』。

アトランティア・ピオニー・アールノヴァ。

我がアールノヴァに咲く、唯一無二の牡丹花ピオニー

生れながら夜空の星より輝いて、時折真昼の太陽如く眩しい、我が愛娘。


あれからも、今までも、これからも永遠に。

汚れのないあの箱庭で好きに生き、良いものだけを享受し。日々の食事も、服も、宝石でも、望むモノは何だって……。


世間や余所が何を言おうと、娘が『幸せ』そうならそれでいい。

良い噂はただの称賛で、悪意ある噂ですら単なる「虫除け」に過ぎず。

花と額縁、牡丹に温室。宝石は、宝石箱の中へ。

そう言うおや元に生まれてしまったのだから、仕方ないし。これからも自他共々、色々と諦めて欲しい。


私の、俺の……愛娘。

これが、親から子に注ぐ『愛情』だと表現できないのなら、世での『みず』とは果たしてどんなモノか。

一体どういう形での『アイ』が『普通』と呼べるのか?


『人間が謳う「運命」とは奇跡でなく、ただ『普通』に生きてある日、ある時の場で「運よく」巡り会った偶然に過ぎない』


そうやって駒鳥の様に囁きながら、筆を取る。

巡る季節の美しさに思い募る度、『作品』を生みだす。

それが、あの「一夏の死」から還って来た我が子むすめの自己主張の仕方であった。


それこそ、一度口開けば聞いたこともない歌が語られ。護身術の鍛錬ですら蝶と成り、剣士たちとの舞踏となる。

元来から女の子は繊細なのに……。生れながらの『芸術家』はそれ以上、それこそ先天的だろうと後天的だろうと関係なく、その身の中で開花した才の分だけ繊細になる生き物で。

ただでさえ生まれつき無駄に頑丈な兄達とは違い、心が強くとも体自体がガラス細工の様な子だ。


そんな子供に対し。例え溺愛までいかずとも、できれば必要以上の『ストレス』を与えたくないというのは、一つの親心として『普通』であろう。


———だ、というのに、



「両親の治める領地のみならず、その歳で序に祖国にまでこれほどの貢献をするとは、そなたの娘にしては実に惜しい、健気で愛らしい子だな?」


と、そう告げる顔面を今すぐ魔法で吹き飛ばしたいし、反射的に「今この場で革命を起こしたとして、定時までに帰れるかしら?」と思ってしまう今日この頃。


この国の誰もが愛し、拝める「帝国の太陽」に相応しい金色の髪をこれ程まで徹底的に引っこ抜き、禿げ散かすまで毟りたくなるは学生時代より、これまで何度かあったが、現在ほどではなかったはずだ。

が、例え上位だろうと下位だろうと、それこそ同じ公爵の家門・「皇室自体」を相手にしたとしても軽くあしらえるものの……。仮にも一家臣として、帝国の皇帝たいようまでぞんざいに扱えない。


自慢「は」できれど、そんな息子達よりずっと溺愛して、あの夏の日を境に殊更溺愛に溺愛を重ねている実の娘を評価されている場面だというのに……それでも、アトランティアの父———こんな万人が恐縮するはずの場ですら『ノア・アールノヴァ』は隠そうともせず、その美顔を盛大に顰めた。


ガチの犬猿とまで行かずとも、この食えない皇帝とは同じ学び舎を通っていた、言わば同級生。

なので、年齢・年代的に子供たちの歳も必然同じぐらいとなるし……。何を隠そう二男一女な現アールノヴァに対し、現皇室は三男ノー姫で……。


「今年の春は例年に比べ大分暑くなると天文官が申しておった。どうせこの春、アシエルはそなたの長男と同じ学園に行く時分だし、今のノヴァには次男もついでと遊学させておきたい。……流石に、末っ子はまだ母親から離れられる歳ではないが……西部公爵とて、ここまで言えば分かるであろう?」

「……………………」

「帝国全国民が周知の様に、丁度長男と長男、次男とそなたの愛娘が同い歳じゃないか。これを期に西部と皇室の関係が嘗てないほど良好で、これからも安泰なのだと帝国民やそちらの領民に示すのもお互い悪い話じゃない」


とその台詞に対し、思わず鼻で嗤いそうになる。

こうした言葉こそ隠喩的であるものの、結局の所で、本心を直言したかの様な言い草だった。


褒めて落す以前に、上がってすらいないお父様の気分が更に急降下していく。

事のつまり、その様な今の場におけるお父様の心持が俗に言う「アレ」ならば、このような提案という名の圧をかける現皇帝『アレクサンドロ・ミケルリオ・アースガレイシア』の親心も親心。

いくら皇族・貴族間の結婚は自他共そう単純なモノではないにしろ……それでもと、世の親が思うことは良くも悪くも共通だ。


そればかり貴貧は関係ないし、皇帝陛下も公爵閣下もいっしょ。

誰だって手塩・愛情・期待どれか一つだけでもかけている我が子なら常に最高なモノを与えたい、幸せになって欲しい。と、

そう思うのが『普通の親』というもの、


「ということだ。よいな?」


———でなくとも。もっと普通に考え、仮にも一国のトップとして年齢ともかく、これ程の『天才少女人材』を他国へ嫁がせる訳もなければ、決してプレゼントしていい存在でもない。

今こそまだ純粋?とした子供であるものの……大人になるにつれ何時「諸刃の剣」と化けるか分からない、それが狂人と紙一重な『天才』というモノなのだから。


ただここまで考慮すれば子供可愛さというより、「同盟は同行に勝り、神の誓いは同盟に勝る」というだけの話である。

愛で奏でる平民同士の結婚とは違い、皇族・貴族間での婚約・結婚は寧ろビジネスに近い。

そこで「運よく」愛があれば儲けもので、終ぞ恋の花が芽生えなくとも文句が言えず。

男児でも女児でも常に責務と責任が付き纏い、お互いの家門と祖国の未来を賭ける結婚商売。


アレクサンドロ・ミケルリオ・アースガレイシアは「アレクサンドロ」である以前に、アースガレイシアの血が流れる『皇帝』だ。


それこそ現段階、現時点でのそんな相手てんさいに対し。今回ばかりはこちらも「運よく」同い年代・歳の息子もいることだし。もっと運がよかったのは少し歳の離れた息子二人、自分によく似てかなり容姿端正で、顔も非常に良い。

父似と母似でタイプこそ違うが、その分選べるから勝算が上がると推測。


「自慢の息子達だ、そなたらに迷惑をかけることもあるまい」


……なので今この時もそう考える、春風の如くにこやかな皇帝に対し。公爵様の周囲は春だというのに、真冬以上、吹雪きだしたのは言うまでもなく、


「……陛下がそこまで言うのなら、無論、この度の皇子二人はこちらでお預かりいたしましょう」


その様な絶対零度の雰囲気を纏い氷属性でなくとも、そう告げる声は相手を氷らせるほどには十分低く冷ややかであった。

でもその声に反し言葉で同意したのは、いくらのお父様でもそれだけの分別はあったから。


「そうか、そうか。ならば短い間ではあるが、よろしく頼む」


……まぁ、そんなこの場で、それ以上を上げるなら。どうせ学生時代からの経験上、断ったところで強行突破してくるような男だし、何より相手にするのが本当にめんどくさい男だ。


そして、そんな男が厄介な一因にあるのが、他人が自分に対する好感も悪意も文字通り「目で感じとれる」。———その『権能』を備えた『皇帝眼』を持って生まれ、この国に君臨する現皇帝に嘘偽りを並べたところで意味もなければ、寧ろ疲労とストレスが溜まるだけ。


「が、ご存じの様に娘は大層病弱ですのでそこばかりご容赦と、ご理解を」


ならば今は適当に頷いておいて、後から害虫おうじさま対策を練れば宜しい。

嘗ての自分自身、あんなボーイ・ミーツ・ガールしたことがある建前。王侯貴族であろうとただの平民であろうと、世の男が『本能』的に感じる『運命』という『偶然テンプレ』への執着を甘く見てはいけないという経験則、反面教師、このお父様自身が周囲の誰よりも身をもって知っている。


が、しかし(無駄なことはしない主義なので)その様な心情・感情を隠すつもりなく並べた相手の返答に、アレクサンドロは満足げに頷く。

だって、この顔に似たり寄ったりな顔面偏差を持ち、立場無くとも普段あれだけ女に持て囃されているクセに、深窓のご令嬢一人すら口説き落とせないのなら。合法的な成人前とは言え息子たちは皇子以前、それだけの男だったという話だ。


寧ろこの国生まれ住まいの紳士として、これ以上のお膳立ては逆に我が子にも、相手方にも失礼極まりない行為となろう。

完全に無我の境地まで達した公爵様の代わりに、皇帝陛下はニッコニッコニーである。


「構わぬ。そなたの娘は少なくもここ数年だけで、我が帝国の至宝と称えられる存在だ。過保護に扱うのも無理はないし、寧ろ自衛のできる大人となる前、是非ともそう守ってやれ」

「恐れ入ります」

「我が息子達とてまだ皇太子でも何でもない身、気楽に『西部の習わし』で扱ってくれればよい」

「……では、その様に」


形だけの仕草をする。

しかし、その一方。そんな台詞に紛れてふと、本日初めて唇の端を上げたお父様に。良くもなくも「運悪く」アレクサンドロが気づくことはなかった。

ただ、その代わり「運よく」垣間見てしまった近衛騎士の一人は思わずヒッと漏らし、小鹿かの様に震えだす。

男でも女でも結局過ぎたる顔の良さは自他なく、そこにあるだけで周囲を殺すのだ。




新たな夜明けが今にも来ようとする。

話題本人不在な夢現の、そのスクリーンの狭間にて。


「して、公爵。私の未っ……いや、そなたの可愛い娘は一体何が好きなのか、今後の関係、今回の皇子達に持たせる手土産のためにも是非! 教えてくれ」


但しそのまま訪れた、本日の謁見最終場面。

そうニコニコ命令してくる元同クラ皇帝に、お父様はとうとうありもしない堪忍袋が大破し、例え共倒れになろうと、今この場で「以前あの子の話に出てきたミツヒデ・アケチみたく謀反を起こし、下克上でもしてみようかしら」と本気で思ったのは言うまでもない。

それだけ相手の口から「私の未」と出た瞬間「は?」と零れたノア・アールノヴァの美声は、正しく抜け身の刃物の如しだった。と、後に周囲は語る。

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