・2-8 第27話 「ヒメは物知り」
コハクの時は、脱出艇の内部に入り込むまで
猫耳の少女、ヒメは、なんの迷いも疑いもなく、それどころか穣司を追い越してハッチをくぐって行ってしまった。
しかもその場に留まることなく、上機嫌で鼻歌を口ずさみながら奥に進んで行ってしまう。
「~♪ 」
「あっ、おいっ」
制止しようと声をかけても、おかまいなしだ。
おそらくこれまでにほとんど見たことのないはずの機器が並んだコックピットを目にしても、整然と座席が並んでいる客室を目にしても、付加製造装置(3Dプリンター)や物質分解機、そして冷凍睡眠ポッドの数々を前にしても、まるで動じない。
興味深そうに、そしてリラックスした様子で尻尾を左右にゆっくりと揺らしながら脱出艇の内部を見学して回る。
その態度には面食らったものの、特に害があるわけでもないので、穣司はしばらく好きなようにさせて、見守ることにした。
やがて最後尾の機関区画へ続くハッチにまでたどり着いたヒメはその先にも進もうとし、しかし、どうやっても開き方が分からなかったのか、ようやくこちらのことを振り返った。
「ねぇ、開けて?
この先になにがあるのか、見てみたい」
「いやいや、ダメダメ! そこから先は機関区画だから、危ないんだ」
首を左右に振って見せると、猫耳の少女は不思議そうに首を
「入ってはダメなの? どうして? 」
「その、なんて説明すればいいのか……。
ここから先は、航行用のエンジンとか、動力炉とかがある区画だから」
重要な機械が配置されているだけではなく、人体にとっては危険な放射線なども出ている場所だ。
一度点検して機能に問題はないことを確認しているし安全も確保できているが、生身のままうっかり入って良い所ではない。
「なるほど……。放射線、ってものが出ているんだね? 」
「あ、ああ。ハッチからこっち側にいれば安全だし、機械も安定しているんだが、中にこのまま入れるのはちょっと、な。
……って、なに!? 」
穣司はヒメが放射線という単語を知っていた、という事実に気づいて驚き、軽く目を見開く。
ちらり、と、相変わらず嬉しそうに自身にぴったりとひっついていたコハクの方へ視線を向けると、やや悔しそうな様子で小さく頬を膨らませてそっぽを向く。
ヒメの知っていることを自分が知らないことが悔しいらしい。
放射線というものは、少なくともケモミミたち全員が知っている知識ではないようだ。
そのことを確認できた穣司は、こちらの様子をじっと観察している猫耳の少女に問いかける。
「えっと、ヒメ、さん?
なんで、放射線なんてものを知ってるんだ? 」
「勉強した。
目には見えないし、においもしないけれど、浴び過ぎると危ないものなんでしょう? 」
「えっと、どこでそれを? 」
「本を読んだの」
ヒメは平然とした様子で、「それがなにか? 」と不思議そうにしている。
穣司にとっては二つの意味で意外だった。
ひとつは、文字がある、ということ。
そしてもうひとつは、本がある、ということだ。
「本? 本が、あるのかっ!?
あの、紙の!? 」
「うん。そうだよ?
前に、旅のケモミミから譲ってもらったの」
「ど、どこにあるんだ、それは!? 」
「わっ!? 」
コハクが悲鳴をあげる。
自身では気づかないまま穣司がヒメにつかみかかろうとしていて、大きく前に出ながら手を伸ばそうとしたせいだった。
「……っと、すまん。驚かせるつもりはなかった」
それで我に返って一度、深呼吸をして気分を落ち着け、あらためてたずねる。
「その、ヒメさんが読んだっていう本は、どこに行けば読めるんだ?
まだ、持っていたりするかい?
オレも、どうしてもそれを読んでみたいんだ」
「……ごめんなさい」
すると少女の猫耳がしゅんとしなだれ、申し訳なさそうな伏せ目になる。
「本はとっても貴重品なの。
だから、読み終わったら他のケモミミに
私も、ずいぶん前に別のコにあげちゃった」
「そうか……」
本があるのなら、この星がどこなのか、人類の文明とどんな関係にあるのか、今よりもはっきりとさせることができただろう。
そしてそれは、十万人を救う、という目的のために大きく役立ったはずなのだ。
もう手元に本はない、と知って落胆したが、これは進歩なのだと前向きに考えることにする。
この惑星には文字が、本があり、ケモミミたちの中にはそれを読むことができる者たちがいる。
そしてそれはおそらく、人類文明と繋がっているのに違いない。
それを知ることができただけでも、大きな前進であるはずだった。
「ねぇ、人間さん。
ここに、本はないの? 」
深々と溜息をついていると、いつの間にかヒメがこちらのことを興味深そうにのぞき込んできていた。
「本? いや、どうだったかな……」
「文字とか、絵がのっているものなら、何でもいいの。
私、そういうのを見るのが好き」
知的好奇心、というものなのだろう。
おそらく、ネコと和解せよ、などというのも、そうやって文字の書かれているものを手当たり次第に探している内に出会ったことなのに違いない。
「そうだなぁ……」
せっかくだからなにか読ませてあげたい。
そう思って、脱出艇の中にそれらしいものが残っていたかどうかを思い出そうとする。
人類社会の中で、紙を媒体とする情報伝達手段である本は、残念ながらあまり見られなくなってしまっていた。
ページをめくるという行為、紙やインクの独特なにおいや手触り、などといった魅力があるものの、大きくかさばるために多くがデータ化されてしまっていたのだ。
ケンタウリ・ライナーⅥには、太陽系を離れた時点までの様々な刊行物がデータとして保管され、船員たちに楽しまれていた。
だが脱出艇のメモリには、容量が足りずに保管されていない。
「あ、そうだ。
なんでもで良ければ、ちょうどいいのがあるぞ」
そこで穣司は、一冊だけ本があることを思い出していた。
緊急事態でも使用できるように作られた、脱出艇のマニュアルだ。
内容は専門的だし、楽しませるために書かれたものではないのでつまらないかもしれないが、なんでもいい、というのだから渡してみてもいいだろう。
するとヒメは満足そうに微笑み、穣司とコハクの横をすり抜けてコックピットの方へ向かっていく。
「本、楽しみ。
それと、お腹が空いた。
ごはん、おごってもらえるんだよね? 」
「あ、ああ」
我が物顔の要求をしてさっさと行ってしまう猫耳の少女のことを、元メカニック・エンジニアは呆気にとられた顔で、柴犬耳の少女は気に入らなさそうな不満顔でしばらく見送る。
それから二人も昼食にするため、その後を追って行った。
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