・2-6 第25話 「箱入り猫娘」

 行きは宇宙服の動力補助機能を利用して走ったから一時間もしないうちに森まで行きつくことができたのだが、帰りは三時間ほどもかかってしまった。

 というのは、カゴの中にたっぷりと腐葉土を詰め込んで背負いながらの道のりであったからだ。


 外骨格のおかげで重さ自体は感じないものの、行きと同じようには走ることができない。

 機械の能力的には可能だったが、それではコハクを置き去りにしてしまうかもしれないし、ギリギリまで詰め込んだせっかくの腐葉土がこぼれ落ちてしまうかもしれないからだ。


 やや急ぎ足で、また川沿いを進んでいく。

 そうして戻ってきたころには昼過ぎになっていた。


「コハク、大丈夫か? 」

「うん、へーき、へーき。

 このくらいはへっちゃらだよ~」


 機械のサポートを受けている自分はともかく、自身の足で歩いて来た少女を心配すると、いつも通りの元気そうな笑顔が返って来る。

 本当に、無理をしているわけではなさそうだ。

 自然の中で暮らしているケモミミたちにとっては、この程度の移動は問題ないのだろう。


 コハクが疲れ果てていないことにほっとし、同時にそのたくましさに感心しつつ、穣司はいったん荷物を置き、宇宙服を脱ぐ。

 ガッシュンガッシュン、足音がうるさいものを着たまま接近しては、新たに姿をあらわしたケモミミを驚かせて、逃げられてしまうかもしれないと思ったからだ。


 そうして、足音を忍ばせ、こっそりと近づいて行く。


 脱出艇のAIによると、見知らぬケモミミはあれからずっと、ハッチの前で居座っているらしい。

 特に動きも見せてはいない、とのことだった。


 そしてぐるりと艇体を回り込んで顔をのぞかせると、しかし、そこには一見すると、誰もいない。

 ただ、大きな、人間が一人入り込めそうなサイズの箱が置いてある。


 見覚えのあるものだ。

 おそらく脱出艇の外部に取りつけられていたセンサー類の保護パネルの一部で、墜落した際に脱落したものを拾ったのだろう。


 少なくとも、農場を出発する際にはそこにはなかったものだった。


「すん、すん。……特に、危なそうなにおいはしないよ」


 空中に鼻を突き出して何度かにおいをかいでいたコハクが、そう教えてくれる。

 柴犬耳の彼女は、やはり鼻がいいらしい。

 これまでもなにか初めてのものを目にした時や、怪しいと感じることがあるとこうして嗅覚を使っていた。


 そしてその感覚は、信頼できる。

 彼女にうなずいてみせた穣司は、そのまま慎重に箱へと近づいて行った。


 あと、十メートル。

 五メートル。

 反応は、ない。


 それもそのはずだった。


「寝てる……」


 箱の中をそっとのぞき込むと、そこには一人のケモミミの少女がいて、そして、丸くなってすやすやと眠っていた。


 年のころは、十代の半ば程。

 背丈はおそらくコハクよりも少し小さい。

 髪は短めでいわゆるショートボブ、白、茶色、黒の三色がまじりあっていて、中でも黒が多い。

 そしてやや細めのピンと立った三角の耳と、細長い尻尾。


「三毛猫……」


 穣司は思わず、そう呟いていた。


 コハクと出会った時もそうだったが、地球の、養育施設で育てられた頃を思い出す。

 施設で飼育していたわけではなかったが、確か、よく出入りをしている野良猫が数匹いて、そのなかに三色の毛色を持った三毛猫がいた。

 それに、よく似ている。


「なぁコハク。やっぱり、知らない相手? 」

「うん。初めてのコ。

 この辺りで見たことはないかなぁ。

 においも、かいだことないにおいだし」


 自然と、二人で話す声は抑えた、小さいものになる。


 目の前で箱に入った猫耳の少女は、実に穏やかに、無防備に眠っている。

 それを邪魔しては申し訳ないと、そう思ってしまうのだ。


 しかし、このままではらちが明かない。

 彼女がどういった目的をもってこの場にやって来たのか、それを確かめるためには、起きてもらって話をするしかない。


「どうする? 起こしちゃおっか? 」

「そうだなぁ……」


 このまま、猫耳の少女が目覚めるまで待つ、という手もある。

 やはり起こすのも申し訳ないな、と思い、迷っていた時のことだった。


 唐突に、閉じられていた双眸そうぼうが見開かれる。

 金色の瞳に縦長の瞳孔を持つ目が素早く、箱の上から自身をのぞき込んでいる人間と柴犬耳の少女を捉え、日光に合わせて細長く収縮する。


 だが、———少女はマイペースだった。

 自分が眠っている間に二人に接近され、じっくりと観察されていたことを認識しても、少しも気にした様子がない。


「ふわ~ぁ~ぁ~……」


 箱の中で丸くなっていたために縮こまった体をほぐすため、大きなあくびをしながら手足を伸ばす。

 そしてそのまま、ごしごし、と自身の手で顔をこすり、髪型を整えるために手入れを始めてしまった。


 穣司もコハクも、その姿に呆気にとられたまま、その場に立ち尽くす。

 悲鳴をあげる、とか、慌てて逃げ出そうとする、とか、そういう反応なら予想していた。

 しかしこうも傍若無人ぼうじゃくぶじんに、二人のことなどまるで眼中になく振る舞われると、どうリアクションをしてよいのか分からない。


 やがて一通り身だしなみを整えるのが終わったのか、猫耳の少女はようやく、穣司とコハクの方へ視線を向けた。


「……人間」


 しばらくじっと二人を観察した後、穣司の頭にケモミミがなく、代わりに顔の両側に毛におおわれていない耳が生えていることを確かめた彼女は、ぼそり、とそう呟くと、のっそりとした動きで身体を起こした。


 その手が不意に、穣司に向かって伸ばされる。


 触れるのは体温の高い、細い指先の感触。

 そして猫耳少女の指は、ふにふに、と、耳の感触を何度か確かめる。


「本物の、人間だ」


 ほどなくして満足したのか手を離すと、感慨深そうに呟く。


 いったい、どういうつもりなのか。

 そう疑問に思っていると、その少女はまたも唐突に言った。


「貴方……、今から、私の下僕にしてあげる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る