贖いのセイレン ~二人のファウスト~

榊原 梦子

第一章 悠久の時

第一章 悠久の時

プロローグ「無慈悲の夜」


「どうだ、まだやるか!!人間どもと思っているんだろ!!人間の恐ろしさってやつを、教えてやるよ、お偉いエルフ様よぉ!!」

 拷問室で、男の持つ熱い鋳物のコテと、じゅうじゅうと肉の焼ける音がする。

「どうだぁ、ちょっとは弱音を吐く気になったかぁ!??!?お前の体に、恐怖ってやつを刻んでやるよぉ!!いつもイブハールやらで、安穏と暮らしてるんだろ??こっちは飢饉と疫病続きで、みんな死にかけてるってのによぉ!!」

 と、拷問官の嬉しそうな声が響く。一人の男の苦しそうなうめき声が部屋にこだまする。

「ディオゲネス!!」と、その時、その部屋の閉じられた門を無理やり開く者がいた。

 だが、その男が目にしたのは、無残にも死に果て、オークに成り下がった、弟の姿であった。



《戦に散った 勇ましくも哀しき戦士に捧げる歌》


この悲しい緑の草はわたしの生きた姿です、

愛する人よ、あなたに忘れられるとわたしも草も死ぬのです、

そして軽やかな草の匂いは鳥が飛ぶように

わたしの思い出といっしょに空に逃げてゆくでしょう。


わたしがいることを忘れないで


兄は妹のために、妹は兄のために。



《イブハール歴6237年 嵐の夜》


「キャーー―――――!!」イブハールの宮殿の4階で、女性の甲高いつんざくような悲鳴が聞こえる。

「どうしたの、キャロル!」と、ミスティーナ女王が、兄・オーデル王の召使いのキャロルに話しかける。

「じょ、女王陛下、オーデル王陛下が・・・!!陛下が!!」と、キャロルが部屋の中を指さし、腰を抜かしたのか、石の地面に座り込んで言う。


 そこには、変わり果てた、血だらけの惨状の部屋の机にうずくまる、座ったままの兄・オーデル王の姿があった。

 その窓からは、打ちつける雨と、遠くからなる雷の音が、ただ無情に響いていた。


第一章 悠久の時


一、10歳の誕生日


「お兄ちゃん!」と、一人の少女が、荘厳な廊下を楽しそうにはしゃいで走って来た。

 イブハール歴2008年。イブハールの王族の館に、二人の兄妹がいた。

 兄・ハーバート・ペンドラゴンと、少し年の離れた妹・ルシア・ペンドラゴン。この二人は、75歳差の仲の良い兄妹だった。

「ルシア、走ったりして、おてんばだな、オイ!!」と、ハーバートが駆け寄ってきた幼いルシアを抱きとめる。

「だって、お兄ちゃん部屋にもどこにもいないんだもの」

「家庭教師の勉強をしていたんだよ、ルシア。ごめんね、寂しい思いをさせたかな」

 ハーバートは、将来国防長官になるための勉強をしていた。父からの命令でもあった。

「ハーバート、妹さんが生まれたんだってな、いいじゃないか、兄妹仲良しで!」と、ハーバートの背後から声がした。先輩のクラウスだ。クラウスは、ハーバートより80歳ほど年上で、もう国防長官になるための、下働きをしている。

「クラウスさん、からかわないでくださいよ!クラウスさんだってご兄妹いるでしょ!」と、ハーバートが言い返す。

「俺には4人の兄妹がいる」と、クラウスがにっこり微笑んで言った。

「なあ、ハーバート、最近のもっぱらの噂なんだけどよぉ!!お前んところの妹さん、未来が見えるって話題なんだが、それ本当??」

 ハーバートは、その声を聴いて、思わず周囲をきょろきょろと伺う。

「ちょっと、クラウスさん、声が大きいですよ!極秘にしてください、極秘に!」と、ハーバートが手を口に当てて言う。

「んで、どうなの??」と、クラウス。目が真剣味を帯びる。

「・・・信用してるアンタだから言うが、ルシアは未来だけじゃない、未来の分岐まで見えるそうだ!医者がそう言っている」と、ハーバート。

「そうか。ルシアちゃん、ちょっと体が弱いんじゃなかったっけ??」と、クラウス。

「そうなんだ。親父が心配してお付きの医者を用意してる。だが、万が一ルシアがウルドだった場合、一生利用されるだろう・・・・」と、ハーバート。

 「ウルド」とは、人間界・エルフの運命を定め告げる巫女のことだった。エルフ1万人といえど、10人もいないと言われている。珍しい存在だ。

 王族でウルドになるのは、ルシアが初かもしれない。ハーバートとルシアは、なかなか偉い王族の一人であった。

「妹の未来は、厳しいものになるだろう。婚姻も、自由にさせてもらえるかどうか・・・。俺は、ルシアが結婚するまで、面倒見て、自分は結婚しないでおこうと思ってます」と、ハーバートがクラウスに言った。クラウスがひゅうと口笛を吹く。

「これはこれは、美しい兄妹愛だ!俺も見習いたいね」と、クラウス。

「からかわないでくださいよ」と、ハーバートが言い返す。

「分かってるよ。ルシアちゃん、来週、10歳の誕生日なんだろ??俺、会いに行ってもいい??」と、クラウス。

「構いませんよ。ただし、俺を通してもらう」

「分かってるって、お兄さん!何も俺は妹さんを狙ったりしてませんよ、俺には婚約者がいるから」と、クラウス。

「そうですか、よかったですね」と、ハーバートがあきれた目で見る。

「あ、ミスティーナ女王陛下だ!」と、ハーバート。

 よく見ると、遠くの回廊から、角を曲がって、ミスティーナ女王が、お連れの侍女を引き連れて、こちらに向かってくる。

 ハーバートとクラウスは素早く道の端により、女王に行く道を譲った。手で敬礼のポーズを取る。クラウスも一応王族だ。

「お勤めご苦労様」と、ミスティーナ女王が優しく微笑む。

「陛下もお元気で何より」と、クラウスが冷や汗をかいて言う。

「女王陛下は今日も麗しゅう」と、ハーバートが変な敬語を言うので、ミスティーナ女王がくすっと笑う。女王がハーバートの前で足を止める。

「妹さんのことは聞いていますが、もしウルドの力を引継ぎし巫女ならば、将来私にも力を貸してほしいのです、ハーバート・ペンドラゴン殿」と、ミスティーナ女王が囁く。

「あいにく妹は体が弱いので。成長してからにしてください」と、ハーバートが強気に言う。

「それは失敬、心に留めておきましょう」と言って、女王はにっこり微笑んだ。

 ミスティーナ女王はそれから侍女を伴い、二人の元から去って行った。

 クラウスが、「ふーーっ・・・」と息を吐く。

「妹さんの情報、かなりバレバレじゃん」と、クラウスが呟く。

「医者の野郎のせいだろう、何名か怪しげなやついたから」と、ハーバートが口元を変にゆがめて言う。

 クラウスがどうしてもというので、ハーバートはクラウスを連れて、ハーバートとルシアの部屋に入った。

 一応仕切りがあり、小さなドアで出入りできるようになっている。

 王族なので、二人とも一つずつ、天蓋付きベッドを持っている。

「ルシア??」と、ハーバートがドアをノックして言う。返事がないので、カチャリと開けてみる。

 ルシアはベッドですやすやと寝ていた。深く寝入っているのか、起きる気配がない。エルフで9歳の妹は、まだ幼児に過ぎない。

「へぇ、これが君の妹君か!前見た時は赤ちゃんだったからなあ」と、クラウス。

「そこで何をしている?」と、その時声がした。ルシアの部屋の、廊下とつながるドアがかちゃりと開いて、父・エッケハルト・ペンドラゴンが入って来た。

「父上・・・」と、ハーバート。クラウスが一礼する。

「えーと、君は・・・クラウス君だったよね、ナーラライネンの甥っ子だったっけ」と、エッケハルト。ナーラライネンというのは、ハーバートとルシアの母君の名前だった。

「その通りです、閣下」と、クラウスが答えた。

「父上、まさかまたルシアをヤブ医者に見せる気で??テストと称して検査するんでしょうが・・・いささか早すぎませんか?もっと成長してからでもいいでしょう」と、ハーバートが、国防長官をつとめている父に向って言った。

「ルシアは我が家の期待の星だ!ハーバート、お前もだがな。私の後を継いでもらう。ルシアが万が一ウルドなら、早急に手を打つ必要がある」

「どんな手です??」と、クラウスがやや強気で、エッケハルトに詰め寄る。

「・・・それは秘密・・内密なのだが、クラウス君、君も確か国防長官候補だったね。ルシアとも仲良く成ってあげてほしい、ルシアには遊び相手があまりいなくてね」と、エッケハルトが表情を変えずに言う。

「では、君たちには出て行ってもらおうか、ルシアの検査があるのでね」と、エッケハルトが言った。

 ハーバートとクラウスは、やむなくその場を立ち去った。

 ドアの外で、二人はため息をついていた。

「父上のお気持ちは分かる。ウルドの娘を持つことは、その家の名誉になる。父上は国防長官からの出世をお望みだし、それは仕方ないことなのか・・・」と、ハーバート。

「ルシアちゃんが不憫だ」と、クラウスがやや落ち込んで言う。

「ありがとうございます、クラウスさん。また来週、ルシアが10歳になったら、遊びに来てやって下さい」と、ハーバートが頭を下げる。

二言三言喋ったのち、「じゃあな」と言って、二人はそこで別れた。

 ハーバートが、自室に戻らず、久しぶりに、幼少期、剣の稽古をつけてもらっていた中庭に出てみると、そこにはハーバートと同期のヴィンセントがいた。ヴィンセントは王族ではないが貴族で、今は軍人になる稽古を受けている。というのも、その頃は悪神シェムハザが攻めて来るという噂が出回っていたからだったのだが・・・・。

 ヴィンセントとハーバートは仲がよかった。ヴィンセントにもまた妹がおり、ルシアが成長したら、ヴィンセントの妹とも親交を持てればいいな、と二人は話していた。

 ヴィンセントの稽古をつけていたのは、近衛隊長のギン・ダンメルス隊長で、ギン隊長といえば、ハーバートの剣の稽古を9割方してくれた恩師であった。

「おっと、ハーバート君じゃないか」と、ギン隊長が、ヴィンセントとの模擬戦をやめてハーバートに近付いてきた。

「御無沙汰してます、ギン隊長」と、ハーバート。ギン隊長は、ハーバートより800歳ほど上で、両親より年上だ。

「君も久しぶりにやってく?ヴィンセント君の相手とか、どう??」と、ギン隊長が、竹刀でヴィンセントを指さす。

「遠慮しておきます、俺ではヴィンセントには勝てないでしょうし」と、ハーバート。ハーバートにも剣の才能はあったが、稽古の量がヴィンセントとは違っていたし、ハーバートは国防長官になる勉強がある。

「と言ってもね、ハーバート君、君、国防長官になるのなら、軍師のような勉強もあるし、剣術もやり直す必要あるかもよ。ヴィンセントと稽古、していかない??」と、ギン隊長がニンマリ笑う。

「・・・分かりました、ギン隊長」ハーバートがしぶしぶ放り出された竹刀を握る。

「じゃあ行くよ??3,2,1・・・はじめ!!」と、ギン隊長が手で合図をする。

 激しい打ち合いの末、ヴィンセントとハーバートは、三本勝負で、2対1でヴィンセントの勝利となった。

 長い戦いだった。二人とも軽く息を切らしている。

「二人ともよくやったな!ハーバート君、惜しかったね!」と、ギン隊長。

「ヴィンセント、腕上げたな。前やったときは、俺が勝ってた」と、ハーバートが竹刀をギン隊長に投げて渡して言う。

「俺は立派な軍人になると決めたのだ、ハーバートよ。剣の腕は、誰にも負けん!!」と、ヴィンセント。

「そうか」と言って、ハーバートがくすっと笑う。

 やがて1週間が過ぎ、ルシアの10歳の誕生日が近づいてきた。そんな中、一つの良いことがあった。

 ルシアに友達ができたのだ。

 ルシアより2歳年上の、比較的歳の近い、ローデヴェイクという少年だった。ナーラライネンの兄の次男で、つまりはルシアとはいとこの関係だった。

「よろしく、ルシア」と、ローデヴェイクの母が、ローデヴェイクに挨拶をしましょう、と言って言わせた。

ルシアも、「よろしく」と言いなさい、とナーラライネンから言われ、返事を返した。ハーバートの知らないうちに、二人は一緒に遊ぶ仲になった。

ローデヴェイクは朗らかな少年であった。ルシアと砂場遊びをしたり、ビーズで首飾りを作ったり、追いかけっこをしたりした。

一方で、ルシアは10歳になれば、泣きださない年齢とみなされ、両親や兄弟と、十字教のミサに出席できるようになる。母はその教会デビューを楽しみ半分、ドキドキ半分で待っていた。


二、ローデヴェイク


「三枚のトランプ、一番右はなんでしょう??」と、ルシアが、自分から見て一番右のカードを、裏返したままテーブルに置いてあるものを指さして言った。ルシアも、その中身は知らないはずだった。シャッフルして、その中から無造作に選んで、並べただけだったのだ。

「そんなの分からないよ」と、ローデヴェイクが根を上げる。

「私にはわかるの」と、ルシア。「ハートの6よ」と、ルシア。

 ローデヴェイクがゆっくりとそのカードをめくると、それは確かにハートの6であった。

「手品?」と、ローデヴェイク。

「違うわ、お父様は、私のチカラだって!」と、ルシア。

「力??」と、ローデヴェイク。「それはすげぇな」

 ローデヴェイクは、ルシアの特殊な能力を不気味がるようなことはしなかった。二人はうまがあった。

 一方で、ハーバートはその頃、別室の、勉強部屋で、家庭教師から授業を受けていた。

「よ、ローデヴェイク君!ルシア!」と、勉強の合間、ハーバートはルシアの部屋を訪ねた。

「ねえ、ハーバート兄さん、将来ルシアを、僕のお嫁さんにちょうだい!」と、ローデヴェイクが言った。

 ハーバートは仰天したが、気を取り直し、「その時も二人が仲がよかったらネ!」と言ったのだった。

「だめだめ、私はお兄ちゃんと結婚するの!」と、ルシアが冗談にならないことを言った。

 ハーバートはあまりの会話内容に黙り込んでしまった。

「ルシア、今日は、お兄ちゃんの先輩を連れて来たんだ!クラウスさんというんだ、挨拶できる??」と、ハーバート。

 ハーバートの後ろから、ひょっこり姿を現したのは、クラウスであった。よっ、と片手をあげている。

「ルシアちゃんこんにちは、クラウスと言います」と、クラウスが笑顔で言う。

「こんにちは・・・」と、ルシアがきょとんとして言う。

「先輩って面倒見いいんですね」と、ハーバートがクラウスに言って、ソファに座り、コーヒーをグラスに注いだ。

「お、コーヒーか!いいね・・・ハーバート、お前は父上殿の後を継ぐんだろ?ルシアちゃんはルシアちゃんで、きっとウルドとしての仕事来るだろうな」と、クラウス。

「そうですね」

「しかし、世の中は平和だな、シェムハザ問題以外。こんな時がずっと続けばいいのにな!」と、コーヒーを飲みながら、クラウスが、宮殿の窓から外を眺めた。美しい宮殿の中庭が見える。

「こんなにのどかなのにな・・・人間の賢者さんたちからの報告によれば、外は死霊の国の化け物どもが出没し始めてるらしい。ここ(イブハール)が狙われるのも時間の問題かもな」と、ハーバート。

「シェムハザは、すべてを無にするほどの能力を持っていると聞く。なんとかしないとな」と、クラウスが窓枠に腕を乗せる。

「ハーバート、君はまだ聞いてないだろうが、俺には、死霊の国の化け物を倒すお達しが来ててな!数か月後、君のお父様率いる軍で、化け物相手に戦うつもりだ」と、クラウス。

「・・・そうなのか」と、ハーバート。

「俺も行くのかな」と言いかけて、ハーバートは口をつぐんだ。父はなんというだろうか。一応、成人にまだなっていないハーバートは、その化け物討伐隊には、選ばれないだろうか。

「星々の加護のあらんことを・・・と毎晩祈ってはいるが、星の神様は、俺らにお力を貸してくださっても、決してイブハールをこの世界アラシュアから解放してはくれないんだよな・・・人間を見守るという仕事から」と、クラウスが言う。

「先輩、喋りすぎですよ」と、ハーバート。

「イブハールも、下界の人間と共存すべきです。エルフはこの世の創世と共に創りだされた生き物、人間を見守るという使命があります」と、ハーバート。

「哲学論かな」と声がした。

「ドアが開きっぱなしだったぞ、ハーバート」と、ヴィンセントが腕組みをして立っていた。

「ヴィンセント!!」と、ハーバートが驚いてコーヒーをこぼしそうになる。

「俺の初陣だ」と、ヴィンセントが言って不敵に笑った。

「君も出陣なさるのかい」と、クラウスが言った。

「まあそんなところです、閣下」と、ヴィンセント。

「俺に敬語はいいよ、ハーバートの知り合いだろ?それより、君の剣を見せてくれよ」

 貴族のヴィンセントが、王族のクラウスをちらりと見やる。

「それは戦場で見せてやる」と、ヴィンセントが言った。

「そうかい」

「なら俺らは、命を預ける同志だ、よろしく、ヴィンセント・・・と言ったかな」と、クラウスが続けて言った。手を差し出す。二人は軽く握手を交わした。

「お兄ちゃん、のどかわいた」と、間の抜けた声がした。ルシアの声だ。ハーバートがはっとする。

「ごめんごめん、ルシア、今すぐココアを持ってこよう」と、ハーバートが言って、ミニキッチンに向かった。ココアの粉を探す。

「ルシアちゃんか!大きくなったなぁ」と、ヴィンセントがルシアの寝床に近付いて言った。

「誰・・・?」と、ルシア。

「覚えてないかな。ヴィンセントお兄さんだよ」と、ヴィンセントが言った。

「こんにちは」と、ルシア。

「こんにちは、ルシアちゃん!」と言って、ヴィセントが笑う。

「ココアだよ、ルシア」と、ハーバートが言って、アイスココアを手に持ってきた。

 ルシアはベッドから起きて、ソファに座った。目の前に、ハーバートがテーブルにアイスココアを置く。

「知ってるか、戦では、アーセラ姫が弓矢隊の指揮の補助をなさるそうだ」と、コーヒーを飲みながらクラウスが言う。

「姫君が!??直々に!?」と、ハーバート。

「姫はエルフの女性きっての弓矢の名手だからな」と、ヴィンセントがしみじみと言う。

「全体の指揮は、オーデル王御自らがおとりになるらしい。その補助を、君の御父上殿や他の大臣、将軍たちがとるという」と、クラウス。

「コーヒーうまい」と、クラウスがニンマリ笑う。

「父とは、最近話してなかった。そんなことになっていたとは・・・」と、ハーバート。

「これはエルフ軍の極秘内容だしな、それに昨日の会議で決まったことだ」と、ヴィンセント。

 そんなこんなで、イブハールの平和な午後は過ぎていった。

 ハーバートは、いつも回廊から、階下で遊ぶルシアとローデヴェイクを眺めるのが日課となっていた。

 二人のちびっこは、ハーバートは邪魔しないでおこうと思った。

(もうすぐルシアも10歳か・・・・・)

 そしてすぐに、ルシアの10歳の誕生日がやってきた。

 その誕生日の前日に、ハーバートは思い切って、父のエッケハルトに、数か月後、化け物相手に出陣するのは本当か、と聞いたのだった。

「どこで聞いた、そんな話??」と、エッケハルト。

「それはヒミツ」と、ハーバート。

「本当さ、ハーバート。ただし、根本を叩くわけじゃない、今回の出陣はあくまで一時的なものであって、これだけでは、復活しつつあるシェムハザを倒せるわけではない」と、ハーバート。

「俺も行かせてくれ」と、ハーバートがぽつりと言った。

「ハーバート、君何歳?」と、エッケハルト。

「年なんて関係ない、もうすぐ成人だ」

「見学だけなら許す。国防長官を目指す、いい経験になるだろう」

「出陣する場所は?」と、ハーバート。

「ハシントだ。そこから、死霊の国の化け物が湧き出ているらしい。そこを叩く」と、エッケハルト。

「分かった」と、ハーバート。

「それより、ハーバート、君明日のルシアの誕生日、プレゼントぐらい用意しなよ、将来ローデヴェイク君に取られちゃうよ??」と茶化すように笑って、エッケハルトは自身の執務室に向かったのだった。

「よう、ハーバート」と、ヴィンセントの声がした。先ほどの父との会話の30分後だった。

 ハーバートは、廊下でじっと立ったまま、颯爽と去って行った父の背中を思っていた。

「ヴィンセントか」と、ハーバート。

「明日の妹君の誕生日会には、俺も参加させてもらう」と言って、ヴィンセントがにやりと笑った。

「ど、どうも・・・」と、ハーバート。

「ん??どうした、ぼーっとして・・・」

「いや、父上と話したんだ、出陣についてな。俺は見学しろと言われた」と、ハーバート。

「そうか。俺は136歳、成人してるからな、一軍人として出兵する。君はまだ成人してないからだろ?」

「そうなんだ」

「俺は君の父上殿の軍隊所属なんだ、縁があってな。君も、いずれ成人したならば、シェムハザ討伐の時は、出陣かもな。君の剣術は独特だが、腕前はなかなかだし、お父上殿も喜ばれるだろう」と、ヴィンセント。

 二人は廊下の階段に座って、中庭を眺めた。

「シェムハザの奴め、いつか殺す」と、ヴィンセント。

「ここはこんなに平和なのにな」と、舞う蝶々を眺めて、ハーバートが言った。

「そうだな、君の言う通り。だが、下界(人間界)は荒れていると聞く。死霊の国のモンスターのせいだ」と、ヴィンセント。

「放っては置けないな」と、ハーバート。

「俺は、いつかリュカオン王子殿下の軍に入ってみたい」と、何処ともなくハーバートが言った。

「!そうか・・・確かに、リュカオン将軍の軍も、勇猛果敢と評判だな、将軍の兵の鍛え方がいいと聞く」

「俺がもう少し若い時、宮殿の舞踏会で、リュカオン王子と話したことがあってな。その人柄に惹かれた、だからいつか、殿下のもとで出兵してみたい」と、ハーバートが言った。

「夢を持つのはいいことだ」と、ヴィンセント。

 ルシアの10歳の誕生日パーティーには、いろいろんな人が訪れた。

 場所は宮殿の2階で、誰も使っていない客間のような広い部屋であった。ルシアはやや偉い王族の娘なので、この規模となる。

 式は順調に進んだ。父エッケハルトも、母ナーラライネンも、笑顔であった。ハーバートも内心、落ち着かない気持ちを抱きながら、笑顔だった。

 父が数か月後、下界へ行く。それが、ハーバートの心をつかんで離さなかった。エッケハルトは国防大臣なので、人間界への転送魔法が使える。白い霧のようなもやの中を通って行くので、エルフの間ではミスト・ロードと呼ばれている。

 古(いにしえ)のエルフ。この世の創世と共に創られた、年上のエルフたちのことを、若い年代のエルフたちはそう呼んでいた。

 今の王であるオーデル王をはじめ、妹君のミスティーナ女王、兄上のアクロン王など。貴族や王族ではない、一般のエルフたちにも、古のエルフたちは多少存在する。

 クラウスが、持参した誕生日プレゼントの包みを、10歳になったルシアに手渡していた。ハーバートはそれをぼんやりと見ていた。ローデヴェイクは違うが、この誕生日会に来訪する人は、父であるエッケハルト(国防長官)の関係者が多い。

 なので、自然と、国防長官の補佐を務める者や、見習いの人たち(すなわちクラウスのような人)の姿が目立った。

 ローデヴェイクの両親は、今日は忙しいらしく、代わりに付き添いで、伯父のロイ・ガルベストンが来ていた。

 ロイとルシアもまた、すぐに仲良くなった。

 ハーバートは85歳、父のエッケハルトは、500歳ごろの時結婚したので、わりと遅めにできた子供がハーバートだった。エッケハルトは、成人してもしばらくは仕事に没頭していた。そういう王族も多いと言えば多い。

「ローデヴェイク君は、将来何を目指してるんですか?」と、クラウスがロイ伯父に尋ねた。

「甥っ子君のご両親は、国務長官を目指してほしいと思っているようだ。だが、本人は、剣の稽古ばかりしたがる」と、ロイが言った。

「それは頼もしい。剣の腕もたつ国務長官なんて、最強じゃないですか」と、クラウスが笑う。

「二人は本当に仲がいいね」と言って、ロイとクラウスはくすっと笑った。

 誕生日パーティーの夜、ハーバートは食器の片づけを終え、ルシアとハーバートの部屋に戻った。時計を見ると23時を回っていた。

「ルシア、もう寝なきゃ・・・」と、ハーバートがいいかけると、ルシアがハーバートの上着を片手で引っ張っていた。

「お兄ちゃん、今夜は一緒に寝て」と、ルシアが言う。

「え!??!まったく、しょうがないなぁ・・・」と照れながら言うハーバートも、まんざらでもない顔をしていた。

「ルシア、もう眠いだろ?お兄ちゃん、明日までにしなきゃいけないレポート、まだ終わってないんだ。必ず一緒に寝るから先にベッドで待っててくれ」と、ハーバートが言って、ろうそくの灯りを頼りに、レポートを羊皮紙に羽ペンで書き始めた。


 1~2時間たったころだろうか、ハーバートが額の汗をぬぐい、「ルシア・・・」と思わず囁いて天蓋付きベッドを見やると、案の定、ルシアは寝入っていた。

「あーあ、寝ちゃってる」と、ハーバートが笑う。

「お休み、ルシア」と言って、ハーバートはろうそくの火をふっと消した。


 ルシアは、母と教会に行くようになり、賛美歌に興味を持つようになった。ローデヴェイクも歌が好きだったのもあり、ルシアも子供の聖歌隊に入った。ローデヴェイクはルシアより2歳だけ年上だ。


 平和な日々はそう続かなかった。死霊の国からの刺客が増え続けたのだ。

 イブハール歴2036年のことである、シェムハザの血を分けて作られた、トロール軍やオーク軍が、ハシントの国から出兵し、世界を支配すると宣言したのである。

 その前、イブハール歴2009年1月、真冬の中、シェムハザの軍が、イブハールへ向けて侵攻し始めた。


三、出陣その① イブハール歴2009年


 イブハール歴2009年5月、エルフ軍の3割が、侵攻してくるシェムハザ軍と戦うため、リラのワープポイント地点を守るようにして、戦いの配置についた。

「もう一度聞くが、お前も来るのか、ハーバート」と、85歳ハーバートに向かって、父・エッケハルトは言った。

「自分も、戦場での父上の姿を見たいのです」と、ハーバートが言った。二人は今、父の執務室・・・二人っきり・・・にいた。

「ほれ、これだ」と言って、エッケハルトが金属製の刀を放り投げた。ハーバートが思わず落としそうになって受け取る。

「一応持って行きなさい。戦いに加わることは禁ずるが、護身用だ」と、エッケハルトは言った。

「ありがとう、父上・・・・」と、ハーバート。

「いいか、後ろに下がっておくんだぞ。後陣のさらに後ろだ」と、エッケハルトは手を後ろで組み、執務室を歩き回りながら言った。

「分かっています、父上」と、ハーバート。

「失礼します」と言って、ハーバートが執務室のドアにすたすたと、剣を手に歩いていくと、エッケハルトが声をかけた。

「君はルシアのそばにいると決めたのだろう。危険な真似はするなよ」

「分かっています」と、またハーバートは言った。

「あれ、ハーバート君」と、クラウスが、ちょうど執務室を出たハーバートと出くわした。

「クラウスさん・・・」と、ハーバート。

「ちょっと君の御父上殿に用があってね!君は・・・なんで剣を持ってんの??新しい剣だろ、それ」と、クラウス。

「いや、ちょっと、なんつーか・・・護身用」

「そう」

 宮殿内には、出陣する兵士を元気づけるパーティーが開かれていた。だが、ハーバートはそれには出席しなかった。

 ハーバートは、剣を手に、自らの部屋のベッドに腰かけて、剣を眺めていた。父がかつて使っていた剣なのは知っている。執務室に、いつも飾ってあった剣の一つだからだ。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と、2~30分ぐらいたったころだろうか、二人の部屋を仕切るドアの外から声がした。

 カチャリと音がして、ルシアが入ってくる。

「ルシア・・・」

「お兄ちゃん、何してるの?・・・その剣、なに??」と、ルシアが物珍しそうに言う。

 ハーバートははっとして、その剣をベッドの後ろの方に投げた。

「女の子が見るもんじゃないよ!ルシア!それより、ルシアは今夜のパーティー・・・行くわけないか、そりゃそうだよな」と、ハーバートが独り言に近い言葉を言う。

「ルシア、つっ立ってないでこっちおいで」と、ハーバートがルシアをベッドに呼んで、座らせる。

「お兄ちゃん、明日からどれぐらいかな、ちょっと遠くへ行ってくる。必ず戻ってくるから、ルシアはいい子で待ってるんだぞ」と、ハーバート。

「?う、うん、お兄ちゃん・・・」と、ルシア。

「最近勉強の方はどう??家庭教師の先生、怖くない?」と、ハーバート。

「聞いて、お兄ちゃん、文字は全部書けるようになったのよ!最近は本の朗読もしてるの!」と、ルシア。

「そう・・・ならよかった」

「変なお兄ちゃん。元気ない。ルシアがキスしてあげる」と言って、ルシアがハーバートの頬にキスをした。

「!!!」

「じゃね、お兄ちゃん」と言って、ルシアは手を振ってドアの向こうへ消えていった。

「・・・誰に似たんだ??」と、ハーバートがあっけに取られて言う。

 ルシアに、戦争に行くということを言っても、きっとあの年齢ではうまく理解できないだろう、とハーバートは思ったのだった。

 そして翌日がやって来た。

 身支度を終え、ドアをちらりと見やり、

(ルシア、お兄ちゃんは無茶しないから、絶対帰ってくるからな)と心の中で思ったのだった。

(俺は今回は見学役・・・あくまでもな)

しっかり前をみやり、ハーバートは父から譲りうけた剣を手に、武具を身につけに別の部屋へと向かった。


「よう、ハーバート」

 部屋で、召使いから鉄の鎧をつけてもらったハーバートは、廊下で、同じく武装したクラウスに会った。

「む、ハーバート・・・」クラウスの隣には、ヴィンセントもいた。

「もう時間だ、出陣まで時間がない」と、クラウスが言った。

 クラウスもヴィンセントも、鎧に、リダインというエルフの使う金属を使っていた。軽くて丈夫な金属で、人間界には流通していない。

 ハーバートも、護衛の兵10名とともに、馬に乗って、ミスト・ロードを越えて行った。この白いもやの世界を抜ければ、そこは人間界だ。

 人間界(リラ)に出て、ハーバートはまず角笛の音を聞いた。敵軍が高らかに鳴らしているのだ。すでに、戦の喧騒の音が聞こえる。

「ハーバート様、これ以上前に出ないようにお願いいたします」と、護衛の召使いが言った。

「お、おう・・・」ハーバートは、自然と、目で父の姿を探した。

「ハーバート様、これを」と、召使いが望遠鏡のようなもの(小型)を取り出して渡した。

「遠くまでよく見えます」

 ハーバートはありがたくそれを受け取ると、必死になって父の姿を探した。

「エッケハルト様のお姿は、10時の方向前方です。今のところ、化け物軍の劣勢です」と、召使いが喜びの声を上げる。

「分かった」と、ハーバート。

 エルフ軍400名に対して、死霊の国からの刺客は1万兵ほどだった。アザトゥースやイグ・ハンの青や緑の血が、大地を濡らす。エルフ軍は、ほぼ死者は出ていない様だ。負傷者も、後ろに下がり、手当を受けている。人間と違い、エルフは、剣を使う人でも、医療魔術が使える。自分自身にも。

(いた、父上だ・・・!!!)と、ハーバートの望遠鏡が、エッケハルトの姿をとらえた。

 馬に乗りながら、剣を振り回して、アザトゥースの首を斬り殺している。

「続け、続けーーーーっ!!」と、口の動きを見て、父が部下にそう叫んでいるのが分かった。

(父上・・・・!!)

 時刻は、ハーバートがミスト・ロードを抜けて人間界に来てから、3時間はたとうとしていた。

「ハーバート様、ここも次期危険になります、弓矢隊のところまで下がりましょう」と、ハーバートの召使いが言った。

 ハーバートは、普段温厚な、父の背中を、ここまで頼もしく思ったことはなかった。

(父上、ご武運を・・・!!)と思いつつ、部下に先導されて、ハーバートは馬を操って、崖上の弓矢隊のところまで移動して行った。 

 崖の上に通じる道を、見張りに通してもらい、ハーバートは馬でのぼっていった。

 崖上には、武具を身に着けた、美しいと評判のアーセラ姫が弓矢隊の指揮を取っていた。

 アーセラ姫といえば、上古のエルフの一人だ。(古のエルフとも呼ぶ)

「姫様、敵の勢いが止まりません!死霊の国からどんどん湧き出てきます!!」と、偵察隊の一人が、アーセラに報告する。

「ここを突破されれば、イブハールの都が危ない。何としても止めるわよ!!」と、姫。

「あら、ハーバート殿・・・だっけ??」と、姫が、のぼってきたハーバートたち一隊を見て行った。

「あなた、まだ未成年でしょ」と、アーセラ姫。

「姫君、ご機嫌麗しゅう。ハーバート様と、父上殿のエッケハルト殿下の遺志で、ハーバート様は戦の見学にいらっしゃっておられます」と、ハーバートの部下というか護衛係の一人が、馬から降りて片足を折って跪き、アーセラ姫に報告する。

「・・・そう。まあ、シェムハザがまた来ない保証はないから、それもいいでしょう。未来の国防長官さん」と、アーセラが言った。

 ハーバートは、アザトゥースとイグ・ハンの死体の血からもれるむっとする匂いが、風の向きで崖上まで来たのに、少し吐き気を覚えた。戦場は、どこもヘドロのような緑と青の血であふれかえっている。

「第4隊、かまえーーーーっ!!」と、アーセラ。

「放て!!」と、アーセラが真上にあげた手を振り下ろす。と、第4隊10名ほどが、一斉に矢を放つ。

(ヴィンセントにクラウスさん、無事だろうか・・・)と、ハーバートは戦場のむせるような匂いから逃げず、ふとそう思った。

 エルフ軍400名近くの中で、二人は戦っているはずだ。

「いたわ」と、双眼鏡を手に、アーセラ姫が偵察から戻って来た。

「イグ・サツーティよ。イグ・ハン軍を統率してる。私が殺るわ」と、アーセラ姫が、弓矢を固く絞る。

(上古のエルフである姫の弓矢は、特殊な意味を持つ――!!)と、横目にハーバートが内心動揺する。

 ハーバートが自身の双眼鏡を手に、姫の言っていたイグ・サツーティを探すと、なんとなくそのイグ・サツーティと目があった気がして、ハーバートはぞっとした恐怖を覚えた。すぐさま、双眼鏡から目を放す。

 アーセラが、呪文を軽く唱え、光の弓矢を放った。その矢の飛んだ奇跡が、キラキラと残像のように光る。

 矢は的確に相手を捕らえた。イグ・サツーティの肩よりやや下に刺さる。

 アーセラが、「急所は外したわね」と言って、何本か矢を何度も放つ。

 上古のエルフであるアーセラだけが使える・・・わけではないが、それに近い光の矢が、イグ・サツーティを追う。

 イグ・サツーティが、刺さった矢を抜こうともがくが、光の矢は悪しき者の体からは抜けないようになっている。じゅわじゅわと、浄化されて、イグ・サツーティの肉が溶けていく。

 まるで、「あっちだ!」とイグ・サツーティが言っているかのように、はるか上空の崖の上のアーセラの方角を指さすイグ・サツ―ティだったが、アーセラからの5発の光の弓矢を浴び、その場に倒れた。

 イグ・サツーティは、全部で10体ほどいるようだった。

 戦争は丸1日続いた。

 エルフ軍の疲弊が眼に着くようになったころ、敵兵もまばらになり、やがて地中にゴボゴボと返った。

 1日を通して、相手の死者は9000人以上、エルフ軍の死者は14名だった。

「父上―――――――――!!」と、思わずハーバートは崖下の、血を流しながら馬を操る父に向かって叫んだ。

 もちろん、エッケハルトには届いていないが、ハーバートは、最後まで兵を率いて戦った父を誇らしく思った。

 ヴィンセントやクラウス、その他友人・知人のことを想いながら、ハーバートは部下に先導されて、イブハールへの帰路についた。


 四、ウルドとしてのルシア


 イブハールへ戻り、ハーバートは父が軽傷を負っており、ヴィンセントも軽傷を負った事を部下から知らされた。

 丸一日に及んだ、通称「ウェリントンの戦い」では、多くのエルフ兵が負傷していた。その多くは、戦中に、自分または仲間からの医療魔法で治したのであるが。

 息子とはいえ、父・エッケハルトの治療中は、ハーバートといえど入らせてもらえなかった。母は入っていったのを、ハーバートは確認していた。

「ハーバート様、お戻り下さい」と、エッケハルトの部屋の前で待っていたハーバートに、召使いが言ったのだった。

「星々の加護はあったようだな」と、クラウスが現れた。化け物の血でよごれた鎧を脱いで、今はいつもの服装をしている。

「クラウス・・・!!」と、ハーバート。

「君は無事だったのか」

「俺は日々鍛錬を積んでるからね。あと、年の功。怖くはなかった、と言えばうそになるが」と、クラウス。

「ハーバート、お父上殿が心配だろうが、ここは部屋へ戻れ」と、クラウスがハーバートに言った。

「・・・・」

「妹さんが待ってるんじゃないのか」

「そうだな」

 それだけの会話を交わし、ハーバートは自室へと戻った。

 ルシアはいなかった。どこへ行ったんだろうか。

 ハーバートはぼんやりと考えつつ、机の前の椅子に座った。そして、見て来た戦場の風景を、ありありと思いだしたのであった。アザトゥース、イグ・ハンの青と緑の血。血の海の中で戦うエルフ軍たち。

 日常のこととは思えなかった。

「ハーバート、無事だったか」と、ヴィンセントの声がした。ルシアと一緒だ。ヴィンセントは、片腕に包帯を巻いている。

「ルシア・・なんでヴィンセントと一緒に」と、ハーバート。

「ルシア姫が、エッケハルト将軍のところへ行こうとしたので、私が止めておいた。将軍の傷はちょっと深かったし、幼い子に見せるものではない」と、ヴィンセント。

「ヴィンセント、君は平気だったのか」

「ああ、なんとか」と、ヴィンセントは苦笑した。

「それならよかった」

 というわけで、ルシアの部屋で、3人はお茶会をすることにした。

 そんなこんなで、イブハール歴2009年の戦いは終わったのであった。シェムハザ側は、イブハールを侵略するのに、見事失敗したのである。


                            *


 それから10年の月日が経った。ルシアは20歳になり、ウルドとしてのテストにも合格し、その力を開花させていった。

 ハーバートは95歳となり、成人式に向けて、毎日の雑務もこなしていた。また、将来武人となる夢のようなものもあり、剣術の稽古も怠らなかった。

 ルシアは、もっぱら、文字や算数と言った家庭教師と、ウルドとしてのレッスンと、聖歌を歌うことが日常となっていた。生まれたころは体が弱かったルシアも、成長するにつれて、健康になっていった。

 ミスティーナ女王は、この王族の端に位置するペンドラゴン一家の、ルシアのウルドとしての力に目を付けていた。いつか、お抱えウルドとして、仕えてほしいとこっそり思っていた。

「ルシア、歌を聞かせてくれないか」と、仕事の昼休憩で、自室に戻っていたハーバートが言った。ルシアは、母・ナーラライネンと一緒に、家庭教師にお礼を言ってお別れしているところだった。

「私が作った歌なのよ」と、ルシアが言って、ハーバートの前で楽しそうに歌いだした。


『悲しみの冬が向こうの方からやってきた

 たくさんの贈り物を連れて

 だけど悲しい長い冬

 上古のエルフの奥方の ああなんと美しいものよ

 空は曇り イブハールにも雪あられが降る

 

 つないだ手ははなさないで

 お兄ちゃん あなたと手をつないで散歩した野原は今 雪原 

 手袋の上からも伝わってくる ああ あなたのぬくもり

 奪われぬように 死神に そしてシェムハザに

 ウルドの私が しっかり手を握っていよう

 厳かに降る雪の白さが 私たちについた化け物の血を 洗い流していく 

 

 ああ 奪われぬように 死神に そしてシェムハザに

 荘厳の都 イブハールのご加護と 星々の加護が

 あなたに降り注ぐ

 あなたをじっと見てる 死神は

 私がこの手で 幻影をかき消してあげる

 兄は妹のために 妹は兄のために』


 歌い終わって、ルシアは一息ついた。ハーバートが拍手をする。

「家庭教師さんのレッスンがうまくいってるようだな、ルシア、なかなかいい歌詞だったぞ!」と、ハーバート。

「最後の一節が気に入ってるの」と、ルシアがにっこり笑って言った。

「ああ、兄は妹のために 妹は兄のために っていう一節か??」と、ハーバート。

「そうそう」

「妹よ、ルシア、その歌が書かれた羊皮紙、一枚俺にくれ!みんなに自慢したい」と、ハーバート。

「いいわよ」と言って、ルシアは扉の向こうの自室から、羊皮紙を一枚、丸め、リボンで結んで、ハーバートに手渡した。

(ヴィンセントやクラウス、何ていうかな)と、ハーバートはにやりとした。

「でもね、この歌は聖歌隊の詩募集には、選ばれなかったのよ」と、ルシアが笑って言った。

「コンテストでもやってるのか?」と、ハーバート。

「そうそう」

「そうか、だが、お兄ちゃんの前では歌ってくれないか、ルシア!せっかく作ったんだし」

「ハーバート、そろそろお仕事の時間が近づいているのでは?」と、微笑みながらナーラライネンが言った。

「そうですね、お母様、もうすぐ行かないと」と、ハーバート。

「じゃあね、お兄ちゃん!」と、ルシアがにっこりと微笑んで言った。

 イブハールの秋の午後は平穏に過ぎて行った。

 ルシアとローデヴェイクの仲は、相変わらずよくて、典型的な幼馴染、という感じだったが、ルシアは案外、兄の友人や知人と知り合うことも多かった。

「こんにちは、ハーバート君」と、その日、おしのびで、剣術の稽古を見学に来ていたオーデル王が言った。

「!?!?!?」斬り合いをしていたハーバートは、突然現れたエルフの王に驚きを隠せず、動揺し、その隙に、稽古をつけてもらっていたギン隊長に一本取られてしまった。

「おやおや、邪魔をしてしまったかな」と、オーデル王がくすりと笑う。

「ギン隊長、ハーバート君はどの星々の神と契約を・・?」と、オーデル王が、ギン隊長に向かって聞いた。

「陛下、ハーバート君は竪琴座だったと思います」と、ギン隊長が言った。

「そうですか・・・いや、これは邪魔をしました、では」と、オーデル王が微笑んだので、ハーバートとギン隊長は、敬礼のポーズをして、回廊を護衛の列と歩くオーデル王が去っていくのを見守った。

 王が立ち去ってしまうと、ハーバートは冷や汗をかいて、稽古の続きを行った。ハーバートが竪琴座と契約したのは、母からの勧めだった。ハーバートも気に入っていた。竪琴座の風の刃の技を受けた相手は、気絶して寝入ってしまうのだ。

 ある日、20歳のルシアが、ウルドの集まりに、見習いとして行っていたとき、ミスティーナ女王陛下が見学にやってきたことがあった。女王陛下は、あえて王族のウルド・ルシアに、私の将来を見ていただきたい、と頼みこんできたのだった。

「ルシア・ペンドラゴンさん、こんにちは」と、ミスティーナ女王陛下が言って挨拶をした。

「陛下!!」と、ルシアの侍女たちが緊張して深々とお辞儀をした。女王は、その時2000歳を超えている、創世の世からいる上古のエルフなのだ。

「女王陛下、見てみます!」と、ルシアが言って、水晶玉を前に、スクライングを行った。

 水晶玉に、通常の人にはできない、銀のもやのような渦が現れ、消えては浮かんでいく。これができるのは、ウルドの証拠だった。

 突如、銀のもやが、真っ赤な血の渦に変わった。

「陛下、危機は差し迫っています、50年もしないうちに、悪が攻め入って来るでしょう、この世界に。イブハールではなく、世界アラシュアに・・・多くの人間の血が流れるでしょう」と、ルシアが言った。

 女王ミスティーナは憂いの顔を崩さず、「そうですか・・・」と考え込んだ。

「ありがとう、小さなウルドさん。また占ってね」と言って、ミスティーナ女王は、他の成人しているウルドたちに、意見を求めに行った。


五、出陣その② イブハール歴2035年


「シェムハザが、ハートフォードシャーの大地の巫女たちの結界を破って、出て来たらしいぞ」という噂が立ち始めたのは、イブハール歴2035年、ハーバート112歳、ルシア37歳のころだった。

 地上にいる賢者から、神々に連絡が行ったらしい。神々から、ルシアたちウルドにお告げがあった。

 神々とコンタクトをとるのも、「ウルド」の役目の一つなのだ。

 10名ほどのウルドの中で、ルシアも、シェムハザの動きを追っていた。

「お兄ちゃんも行かなきゃな」と、ハーバートは自室で、ルシアと話しているとき、言った。

「ルシアはちゃんとイブハールに残って、避難しとくんだぞ。俺らで、シェムハザを封印して倒してくるな」と、ハーバート。

「お兄ちゃん、気を付けてね・・・??」と、ルシアがハーバートの手をそっと握る。

「安心しろ、ルシア!エルフは、人間より強く、美しく作られている。そう簡単には死なん」と、ハーバートが笑う。

 それでもルシアが不安の色を隠さないので、ハーバートはルシアを抱きしめ、

「それなら、ウルドのルシアが、俺のために祈っていてくれ。イブハールでな」と言ったのであった。

                       *


「西のシャタールの国に現れた、との報告が入っている」と、ヴィンセントがハーバートに言った。

「そうか、」と、ハーバートがサイダーを飲みながら言った。

「西リラへ攻め込む予定だそうだ。人間の賢者たちと協力して、シェムハザを止める」と、ヴィンセント。

 ルシアも、若干37歳とはいえ、王族の力の強いエルフだったため、ウルドとして、神々との通信に駆り出された。

(お兄ちゃん・・・)私情をさしはさんではいけないとはいえ、ルシアの未来視にも、不安が発現したかのように、赤いもやは消えなかった。

「兄上様のことが心配ですか、ルシア様」と、750歳ぐらいの、ルシアの先輩にあたるエルフが話しかけた。一般家庭出身のエルフだ。名をイヴェタと言った。

「イヴェタさん、実は、人間の賢者の中に、裏切り者が一人、紛れ込んでいるとスクライングの結果に出ているんです」と、ルシアが言った。

「!!分かりました、上に報告しておきましょう」と、イヴェタが言った。イヴェタはルシアが成人するまでの教育係でもあった。

「こちらでは、シェムハザはすんなりと退却すると出ています」と、円卓の向こうから声が上がった。

「こちらでは、裏切り者がいると出ています!ルシア様と一緒です」と、別のウルドが言った。

「私も、シェムハザの刺客がいるとのスクライングの結果が」と、別のウルド。

「由々しき事態ですね」と、イヴェタが呟いた。


                    *


 ―シェムハザ討伐のための出陣・3日前―


「裏切り者がいるってな、ルシア」と、ハーバートが自室でルシアに話しかけた。

「そうなの、お兄ちゃん、水晶玉に出てくるのよ」

(ってことは、ルシアちゃんは本当にウルドさんなのね、へいへい・・・・)と、ハーバートは頭痛がしてくる思いだった。

「いいか、ルシア、何があっても、母上と一緒にいるんだぞ。父上も俺も、戦いに行く。このままじゃ、世界アラシュアが壊れるからな!」

「人間の賢者には、気を付けてね、お兄ちゃん!」と、ルシア。

「賢者のことは、俺らもすっかり信用しきってたから、危なかったわ、ルシアちゃん。予定では、20名の人間の賢者と、俺らエルフたちの軍で、シェムハザを倒す予定だ!」と、ハーバート。


 その3日後、涙のルシアと、不安そうな顔の母・ナーラライネンたち女性陣に見送られ、ハーバートたちはミスト・ロードを使って出陣したのだった。

 ミスティーナ女王も、出陣する兵士たちを見送りに、城から出て来ていた。

「ご武運を」と、ミスティーナ女王たち王族は、歩いて行く兵士たちに言葉をかけた。

 夏の出陣だった。

 だが、ハーバートたちが降り立った、人間界のリラの国では、甲冑姿では暑かったものの、みな汗の中戦うことになった。

 人間の賢者たちは、すでにシェムハザ軍と戦いをしている、という報告を受けていた。

 オーデル王も出陣していたが、例の「裏切り者がいる」というウルドの予言についても、もちろんみな認識していた。

 西リラへ降り立ち、シャタールの国方面へと進軍する中、暗雲がたちこめ、太陽が姿を消した。

(この雲は自然のものじゃない、人為的なものだな・・・)と、ハーバートが、駐屯地でご飯を食べながら思った。

「賢者の5名と連絡が取れました!前方11時の方向、距離にして50km先に、シェムハザ軍と応戦中とのこと!」と、伝令係がオーデル王やアクロン王に告げた。

「よし、エルフ軍も手を貸すぞ!」と言って、オーデル王が早朝、立ち上がり、全軍に前進の命令を下した。

 進むにつれ、あたりが薄暗くなり、妖気のようなものが漂う地になっていった。リラは本来美しい土地だが・・・。

 騎馬隊が、その日の午後には、賢者たちと合流した。

 賢者20数名が、シェムハザの繰り出すトロールやオーク軍と戦っていた。アザトゥースやイグ・ハンは、前回エルフ軍に歯が立たなかったので、今回は敵の種類を変えて来た、というわけだ。

「おぉ!!エルフ軍が来たぞ!」と、賢者たちの間から感嘆の声が漏れた。

「であえ!!であえ!!一匹たりとも取り逃すな!シェムハザはこの敵の奥に隠れているはずだ!!」と、オーデル王が、剣で悪鬼たちの方向を指さして言った。

 ハーバートはエルフ軍の中ぐらいの位置にいたが、(ヴィンセントとクラウスは東と西に分かれていた)、馬に全員乗っていたので、一気に前進した。

『知っているか、ハーバート』

 ハーバートは、馬を蹴って出陣するとき、ヴィンセントから前日に言われたことを思い出していた。

『俺らは、太陽の前に立つと、黒い影が必然的にできる。だが、それは人間とエルフだけで、シェムハザに狙われている世界であることの証拠だそうだ。なぜなら、シェムハザの本体は”影“だから、らしい。シェムハザは複数の世界を狙っているらしいが、シェムハザの手の届かない世界では、太陽をあびても黒い影はできないらしいぞ。信じられない話だがな』

(ヴィンセント、俺は死なない。お前も死ぬな)と思い、ハーバートは周りと同じように雄たけびに似た叫び声をあげ、剣を振り上げて敵に真正面から突っ込んで行った。

 土煙があがり、草原での合戦が始まった。

 敵と味方が混ざり合い、砂煙がすごい。

 ハーバートは、(星々の力を使うと敵を眠らせるだけなので)、「瞬・斬月夜!!」と言って、エルフの独自の魔法で、大きな見上げるほどのトロールの足を切りにかかった。隣のエルフが一緒に足を切るのを手伝ってくれた。

「負けるかよ!のろまトロール!!」と、ハーバートが叫ぶ。

「斬!!」と言って、ハーバートがトロールを転ばせた。

 巨大なトロールの倒れる振動で、ハーバートが思わずよろめきそうになる。馬をなだめる。

「ハーバート、危ない!!」と、隣のエルフが言った。倒れつつ、そのトロールが、こん棒をハーバートに向かって投げつけて来たのだ。

「油断するな!!」と、どこからともなく、父・エッケハルトが現れて、ハーバートの前にたち、エルフの魔法の剣技で、青い太刀筋で弾いてみせた。ハーバートの「ミトラ・ミトラス・・・」では、はじけなかっただろう、こん棒はかなりの重さがあったはずだ。そこは、やはり父のすごいところ、と言ったところか。とハーバートは思った。

「父上!」と、ハーバートが馬から落とされそうになりながら叫んだ。

「お前は東へ行け!このトロールは俺が倒す!」と、エッケハルトが言った。護衛係は、血を流している者もいる。

 トロールの数は比較的少なく、オークの数が多かった。シェムハザは、一体どこに身を潜めているのだろうか・・・?

 そう思いながらハーバートはオークを薙ぎ払いながら、オーデル王のいる東へと馬を進めた。

 トロールが少ないため、父が比較的安全と判断したのだろう、とハーバートは察した。

 エッケハルトは、ギン隊長を連れていた。

 二人して、無双の強さで戦場で暴れている。

「殺しても…殺しても・・・・」と、突き刺したオークから刀を引き抜き、ハーバートが呟く。

(敵の数が減ることがない。本当に、エルフ軍は勝てるのだろうか・・・??)

 一瞬の不安が心に宿る。

(今のところ、裏切る様子を見せる人間の賢者はいないが・・・)と、ハーバートはふと不安になる。

 オーデル王の周りには、王を援護するため、3名の賢者と、お付きの護衛がたくさんいた。

 オーデル王の親族も、戦場の至るところで、指揮を取っている。

 2時間ほど戦闘をしたところで、ハーバートは息を切らしながら、自分の魔力が底をついたのを感じた。左腕を負傷しているが、それはハーバートの従者に治してもらった。

 星々の力を借りる魔法は、自身の魔力を使わないので、ハーバートは敵を眠らせる自身の能力の魔法を使うことにした。味方には効かないので、安心して使える。

 敵の群れが途切れてきた辺りで、ハーバートが、「ミトラ・ミトラス・グレイン、竪琴座!」と剣で斬撃波を放った。

 赤い斬撃波が、オーデル王を背後から狙っていたオークの一群にさく裂する。

 その時、一瞬、ハーバートは、軽く口元で呪文を唱え、ハーバートの攻撃にシールドを張った人間に気付いた。あれはエルフではない、人間・・・すなわち、賢者だ。そして、あいつが裏切り者なのだと、ハーバートは気づいた。

「オイ、ヴェルネル、あの賢者が偽物だ!俺についてきてくれ!!」と、ハーバートがこっそり従者ヴェルネルに囁く。

「この偽物賢者めぇ~~~~!!」と叫びながら、ハーバートが剣を頭上に掲げ、馬を走らせた。距離的に、そう遠くはない。

 その賢者は、弓をはっていた。王を狙っていたのかもしれない。

 向かってくるハーバートに気付いたのか、チッと舌打ちをした。その賢者が、刃をハーバートに向ける。

「そいつが裏切り者だ!!」と、ヴェルネルも叫ぶ。ハーバートの従者3名が続く。

 だが、ハーバートの星々の力を使った技を、口頭の呪文で簡単に跳ね返したところを見る限り、さすが賢者の実力、と言ったところで、ハーバートは簡単に、その賢者の放った水流波に、落馬してしまった。

 ほかのエルフたちが助けに行こうとするが、途切れないオークの群れに、身動きが取れない。ハーバートの従者3人が、ハーバートの前に立ち、裏切り者の賢者に立ち向かう。

「命を無駄にするつもりですか、殿下!」とその時声がして、ハーバートの襟首をつかみ、引っ張り上げ、馬に一緒に乗せてくれたエルフがいた。見知った顔ではない。誰だろうか、と、ハーバートは思った。その時にはすでに、ハーバートの従者3名が半分やられていた。血を流して悪戦苦闘している。

「殿下はここにいて。もう魔力が切れてるんでしょ。俺が殺る」と言って、そのエルフは馬から降りて、裏切り者の賢者のところへ走った。

「ここは決闘といきませんか・・・!??!ぜひ申し込みたい」と、そのエルフが言った。

 裏切り者の賢者がうろたえる。

「よかろう」と、その賢者が言って、馬から降りた。

「ただし、私も真の姿を現す」と言って、賢者が唸り声をあげ、自身の衣服を裂き、ミノタウロスの姿になった。

「化け物だな、なるほど、確かに図体だけは大きいようだ。魔法も使えるとみたが、その姿、、禁術でも使い、死霊の国の連中と手を組んだな。もうまっとうな人間には戻れまい」と、そのエルフが呟く。

「名を名乗れ、一介のエルフ」と、ミノタウロスが不気味な声を出した。剣の切っ先をそのエルフに向ける。

「エルフのジラルドと申す。貴族の長男だ!!」と、そのエルフ・・・ジラルドが叫ぶ。

「貴族か。エルフの王族を根絶やしにしたかったんだがな、厄介な力を持っているからな。まあいい、その前にお前を殺ってやる!!」と、ミノタウロスが叫ぶ。

 ハーバートは馬から降り、重傷の、自身の従者・・・ディーデリヒの介抱をしていた。

「死ぬな、ディーデリヒ・・・!!」と言って、ハーバートが傷口を見て、涙を流す。

 ヴェルネルが、残り少ない魔力を絞って、なんとか傷口をふさごうとするが、効果がなかった。

 ディーデリヒの目が、しだいに遠くなっていく。

「ハーバート様、ここはいったん引きましょう!あのジラルドと名乗るエルフに任せ、撤退を!!次期に、眠らせたオークたちも起きてしまいます!!」と、ヘルマンがハーバートに進言した。

「ディーデリヒも、殿下が亡くなることを望んで身代わりになったのではありません!!ヘルマンの言う通りです!!」と、ヴェルネルが叫ぶ。

 ハーバートは、ジラルドのくれた馬に、従者に半ば無理やり乗せられ、戦場からいったん退避することになった。


 ざわりと一陣の風が吹く。

 裏切り者の賢者と、ジラルドの一騎打ちになったからだ。

 数人のエルフたちが、その戦いを見守る。

「怖くないのか、ジラルドという者!私は魔法が使える賢者なんだぞ。おまけに、鋼鉄の筋肉がある、並みの剣なら弾き返すぞ!」と、ミノタウロスがあざ笑うかのように言った。

「そいつはどうも」と、ジラルドがニッと笑う。

「ジラルド殿と言えば、エルフの新しい世代でも、剣の腕の立つ方と聞いております」と、あるエルフが、別のエルフにそっと耳うちした。

「では、俺から行くぞ!」と、ミノタウロスが剣を振り上げ、「アーネト・ヘラーク・テフネト、強)深瀬!!」と叫んだ。

 濁流が、ミノタウロスの背後から、竜の形をした先端からすごい勢いで、ジラルドへ向かう。

(いきなり行くかな)と、ジラルドは剣を構えて思った。

「抜刀・生殺与奪・ザ・ファウスト」と、ジラルドが言って、ニヤリと笑った。

「な、キサマ、なんだその技は・・・・?!??」とミノタウロスの賢者が言いかけて、動きをピタリと止めた。濁流は確かにジラルドを包み込み、流れ去ったが、ジラルドはファウスト・・・つまり悪魔の防御壁に守られて、傷ひとつない。

「抜刀・冬の青き刃・凍!!」続いて、ジラルドがそう言って、素早い剣裁きで、ミノタウロスの右腕をつけねあたりから斬る。青い血が流れ、大剣が音を立てて、腕と一緒に地面に落ちる。「――斬!!」と、ジラルド。

「なにぃ?!?!俺の鋼鉄の筋肉が・・・!!」と、ミノタウロス。

「俺の青い刃は、何でも切り裂くぜ??」と、ジラルドが微笑む。

 ミノタウロスが、腕を斬り落とされ、劣勢に立たされたのをみて、一騎打ちのルールを破り、シェムハザ軍のオークたちが、一斉にジラルドを狙って打ちかかってきたので、エルフ軍もジラルドの援護についた。

 雄たけびをあげ、ジラルドとエルフ軍の10数名が、トロールとオーク軍に向かっていく。


 ハーバートは、その頃、戦場の後方、弓矢隊のところにいた。

 以前も見たように、アーセラ姫もいた。指揮をとっているのは、今回は別の人のようだ。

(あのエルフ、なにもんだったんだ・・・!??!)と、ハーバートが考える。

「あら、左腕をやられたみたいね、しばらくは安静にしないとね、ハーバートさん」と、アーセラ姫が近づいてきて言った。

 ハーバートの従者たちは、みな重傷のため、少し離れた場所で治療を受けている。

 ディーデリヒは、命を落とした。戦場で。

 ハーバートの心に、ずしりと重いおもりが落ちたような感覚だった。

「ディーデリヒ・・・」と、ハーバートが呟き、涙が一粒落ちた。ハーバートが40歳ごろからお付きとしてそばにいてくれたエルフだった。この痛手に、ハーバートも落ち込んだ。

「泣いてるの・・・?」と、アーセラ。

「長年の友のような従者を一人、亡くした」と、ハーバートが言った。

「それはつらいわね・・・でも、その犠牲も無駄ではないわ、ここからじゃ見えないけど、見張りからの報告では、シェムハザ本体がようやく姿を現して、時の賢者たちが封印の儀を行っているそうよ!その賢者たちを、エルフ軍が必死に守ってるみたい、封印の儀さえ終われば、シェムハザ軍はいなくなるし」

「俺も行ってくる。行って、時の賢者たちを守る。俺はまだ軽傷の方だし、ディーデリヒが報われん」と、ハーバートが立ち上がり、自分の剣を手に取る。

「やめといた方がいいわ」と、アーセラが言った。

「ハーバートさん、あなたの目は死に急いでいるわ。行くべきではない、戦いはいずれ終わるわ!!」と、アーセラが止める。「しかし・・・」と、ハーバート。

「それより、殿下、殿下を助けてくださったあのエルフ、名をジラルドと名乗っていましたが、借りができてしまいましたね」と、ヴェルネルが言う。

「なに、いつかいずれまた会えるさ・・・その時に、お礼でも言えばいい」と言って、ハーバートは亡き従者の手をとって、悲嘆にくれた。


 それから2時間ほどして、シェムハザ封印の儀はつつながく終わり、指揮を失ったトロールとオーク軍は散り散りに逃げ出した。民家に行っても困るので、エルフ軍たちがそれを追う。

「危なかったわね・・・王は無事かしら」と、アーセラ姫。

(親父は、最後まで戦ったのだろうか・・・親父は無事なのか!?!?)と、ハーバートは暗い表情で思った。


六、兄妹


 そのあと、イブハール歴5991年の世界決戦まで、エルフたちには、悠久の平和な日々が贈られた。世界もある程度平和であった。


 ルシアは、シェムハザ封印に出かけた兄を心配し、他のエルフの女性たちと同様、ミスト・ロードに通ずる道の前で、帰りを待っていた。母・ナーラライネンも一緒だった。

「ただいま、ルシア」と、敵の血で汚れた鎧を積んだ馬に乗って、ハーバートも無事戻って来た。父も、軽傷は負ってはいたものの、隊の後ろの方で、無事姿を見せた。

「オーデル王!ばんざーーい、オーデル王、ばんざーーい!!」と、聴衆が叫ぶ。

 アーセラ姫も、王のそばの馬に乗り、手を振る。

(あ、そうだ、この馬、例のジラルドと名乗っておられたエルフさんに返さなきゃな)と、ハーバートは、手を振るルシアを見やって、手を振り返しながら思った。ハーバートがもらったこの馬には、特別な紋章をつけた鞍がつけてあった。どうやら例のエルフはなかなかの上級の貴族らしい。

 ルシアは、37歳なので、戦争という言葉の意味が分かり始めたころだった。

 その晩、ルシアとハーバートは、一緒に寝た。

 夏の晩だったが、蒸し暑い日ではあったが、ベッドの中は、エルフの魔法を母がかけてくれたので、天蓋付きベッドの中はひんやりと冷気が漂っていた。

「ルシア・・・・」と、ハーバートはルシアの手を取って、妹の寝顔を眺めた。一晩中でも見ていられる、と思った。

(平和のありがたみが、押し寄せてくるぜ・・・)と思いつつ、ハーバートも目を閉じた。

(ルシア、また自作の歌を歌ってくれ!俺は、君が誰か信用できる男のもとに嫁ぐまで、君のもとにいる!)と、ハーバートは思ったのだった。


『悲しみの冬が向こうの方からやってきた

 たくさんの贈り物を連れて

 だけど悲しい長い冬

 上古のエルフの奥方の ああなんと美しいものよ

 空は曇り イブハールにも雪あられが降る

 

 つないだ手ははなさないで

 お兄ちゃん あなたと手をつないで散歩した野原は今 雪原 

 手袋の上からも伝わってくる ああ あなたのぬくもり

 奪われぬように 死神に そしてシェムハザに

 ウルドの私が しっかり手を握っていよう

 厳かに降る雪の白さが 私たちについた化け物の血を 洗い流していく 

 

 ああ 奪われぬように 死神に そしてシェムハザに

 荘厳の都 イブハールのご加護と 星々の加護が

 あなたに降り注ぐ

 あなたをじっと見てる 死神は

 私がこの手で 幻影をかき消してあげる

 兄は妹のために 妹は兄のために』


 ルシアが17年前に作ってくれた、最初の歌を、ハーバートはまどろみの中口ずさんだ。

(今は夏だが、)と、ハーバートは思った。

(イブハールの夏は短い。じきに、この歌のように、冬がやってくるのだろう。兄は妹のために、妹は兄のために、か・・・)


 次の日、ルシアはウルドのレッスンもなく、予定も入ってなかったので、詩を作っていた。歌にするつもりなのだ。


『悪災は去り 代わって夏が来た

 おお主よ 主 女神イザヤ神よ

 兄は私が嫁ぐまで そばにいてくれるという

 だけど 主よ

 私は兄の傍にいたいのです それは子供だからでしょうか。

 

 添い寝の兄のぬくもり

 蚊帳から入ってくる冷気


 兄を救ってくれた ジラルドという方がいるらしい

 勇敢に戦った兄と つないだ手が 忘れられない

 主よ 夏の終わりとともに 秋が来て 冬が来る 

 こんな平和な日々を 私と兄にください

 それは神からの恩寵

 大地イブハールの恵み


 おお 主よ

 兄は妹のために 妹は兄のために


 私にできることはなんでしょうか』


「うーーん、なんかイマイチだなぁ・・・」と、羊皮紙を机に置いて、ルシアはうーーん、と手を伸ばして、のびをした。

 いつも、イマイチ、詩を作るとき、乗る時と乗らない時があるのだ。

 兄なら、優しいから、何を書いても喜ぶだろう、と思ったが、だが、ルシアの詩は、教会でも、聖歌隊でも、あまり評価されることがなかった。


「お兄ちゃんが戦死される夢を、お兄ちゃんたちが帰ってくる日の前の晩、見たの」と、ソファに腰かけて、ルシアが言った。

 一粒の涙がつたーっと伝い落ちる。

「お兄ちゃんが帰ってきて、本当によかった。お父様は重傷よ!!」と、ルシアが、隣に腰かけているハーバートに言った。

 ハーバートも、先ほど朝、重傷の父の寝姿を母と確認してきたところだった。

「俺はここにいる」と、ハーバートはルシアの手を握った。

「君は一人じゃない。俺は死なない。死なないで、君を見守り続ける」ハーバートが淡々と言ったのが、ルシアには印象的だった。

「ハーバート・ペンドラゴン殿」と、そこに、二人の部屋に、ミスティーナ女王陛下が現れた。ハーバートが咄嗟に怪訝な顔をする。

「ミスティーナ女王陛下、何か御用でしょうか・・・??」と、ハーバートが言う。

「ルシア・ペンドラゴンさんに、急遽見てもらいたい未来があるのです・・・他のウルドたちが騒いでます」と、女王。

 ハーバートは納得したように警戒を解くと、ルシアに、「行っておいで」と声をかけて送り出した。

「ふう・・・・」ハーバートは、行ってしまった妹のベッドにぽすん、と頭から横になり、自身の腕の包帯を見つめた。



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