文化祭一日目、昼

 現在、時刻は十二時二十三分。

 

 あれから早いもので二時間が経過した……と言いたいのは山々なのだが、実際のところは、この二時間という時間は、俺にとってはハチャメチャに長いものだった。

 それこそ八時間のフルタイムをノンストップで働き抜いた、と言われた方が食い気味に納得出来るだろうぐらいの、圧倒的疲労感。


 もうくたくただ。それもそんじゃそこらのくたくたじゃなくて、漢字で書くとしたら『苦多苦多』になるぐらいのくたくたぶりだ。

 世界くたくたグランプリでグランプリを取れるぐらいの、超くたくた状態だ。

 

 もうやだ! もうこんなこと耐えられません! 実家に帰らせていただきます!

 

 そう言い放ってズケズケと帰ってやりたいところだけれど、着てきた制服が人質に取られている今、そんなことは当然出来ない。この格好で学校の外をうろつくとか、どんなエゲツない罰ゲームだよって話だ。

 まあとは言っても、既に罰ゲームみたいなもんの(みたいな、じゃなくて絶対にそう)真っ只中なんですけども……はぁああああーー……………。


 空気中の二酸化炭素濃度を優に5%は上げられそうなほどの深い深い深ぁーい溜め息を、蒸気機関車もかくやの勢いで吐いていたら、


「アッスンほらほら笑顔笑顔〜っ! そんな辛気臭い顔してたら、お金を払ってくれてるお客様たちに失礼っしょ〜?」


 現在進行形でカメラを構えた状態で真正面に立っている吉野ヶ里さん、ではもちろん無くて、その隣でプロデューサー面して立っている壇ノ浦さんに、まるで俺が悪いかのように注意された。一応言ってること自体は正論に思えるけど、やらされてることを考えると暴論でしかないので、俺はけっと悪態をつきたくなった。

 でも、それはやめておいた。この場では俺がマイノリティなのだ。どれだけこっちが正しくたって、相手に数で上回られては勝てない。天動説が信じられてた時って、きっとこんな感じだったんすね……。


「……別に、お金とかいいっすけど……タダなら、普通に断ったり出来るし……そっちのが俺としては助かりますし……ですし……」


 顔を人のいない方に逸らして、ほんの些細な反骨心。ぼそりとそんなことを囁くように呟いて、


「こらこらアッスン何言ってんの! タダなんて良いわけないっしょ〜っ! そんな暴挙はあたしの目が黒いうちは絶対に許さんぜ〜っ!」


 ばっちり聞かれた。くそう、なんて地獄耳……!


「ホントアッスンは自分の希少価値ってものが分かってないなぁ〜! マジ勿体なさすぎるっしょ〜っ! アッスンがその気になれば、天下だって絶対取れるよ〜?」


 天下ってなんの? 信長の野望的な? 言っとくけど、俺あれクリアしたことないぞ。毎度毎度途中で飽きちゃうんだよなぁー……。だって最初の地盤固めてる時が一番楽しいんだもん。


「それにアッスンなら錬金術だって使えるからね〜っ! 一瞬で億万長者なれるからマジ絶対っ!」


 いや、余裕で使えませんけど……? 父さんに小遣いをねだることが錬金術に含まれるんだとしたら、一応使えなくもないけど、あれは錬金術というか懇金術こんきんじゅつだし。


「いまで言うと、クスリナが一瞬履いただけで1000円のパンツが数百万になる感じで〜、それと同じことがアッスンにも余裕で出来るって〜っ! だからもっとアッスンは自分に自信を持ってこうぜ〜っ!」

「……ドゥーマイベスト……」


 ねえ壇ノ浦さん、クスリナってまさか莉奈さんのことじゃないよね? 仮にそうだとしたら、そんな最低すぎる例えに莉奈さんを使われたことに対してのいきどおりが、俺の五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るんですけども。


「それが分かったらアッスン、後がつっかえてるんだしチャチャっと撮ってくよ〜っ!」


 そう言われて、はあ……俺は改めて溜め息をつき、ついでに肩も落とした。

 そして、顔を人のいる方へと向ける。仕方なく、どうしようもなく、何もかもを諦めるように、肩を落としたまま。

 

 チャチャっと……ねー……?


 俺が顔を向けた人のいる方には、当たり前だけど人がいる。いや、人というよりもアナコンダの方が近いというか、つまりは長い長い列がそこにはある。

 俺は東京の有名なラーメン屋か! そんな例えツッコミが口から出てきそうになるぐらいに、男女問わずたくさんの人が並んでいた。

 

 地平線の果て(扉の向こう)まで人、人、人、人、人、人…………う、危うく酔うところだった。

 ふう、危ない危ない。流石に公衆の面前で吐くわけにはいかないからな。そんなことになったら間違いなく明日から不登校確定だ。家こもりだ。

 家事とゲーム三昧になっちまうぜ…………あれ? それも悪くなくないか? むしろ良くないか? プロ家政夫として生きてこうかな? 雇ってくれる会社があるのかは別として。

 

 あ、てか、いやいや、今はそんなことより……はあ、仕方ない……。自分の職務を全うするか。やらないといけないなら、やらないと話が進まないなら、それはもうやるしかないだろう。

 RPGのイベントみたいなものだ。ストーリーを進めないとクリア出来ないのだ。ここは腹をくくろう。


 俺は決意を新たにすると、列の先頭、つまりは俺の隣にいる女子(多分先輩、接点無し)の方に目線をやった。

 手始めに笑顔を作る。にへらぁ…………は、無理だな。頬が引き攣りまくってるのが自分でも分かっちゃうレベルの情けない笑顔()を、俺はいま晒している。……泣きたい。


「えーっと……それじゃあ、撮っていきましょうか?」

「う、うん! よ、よよっ、よろ、よろしく、ね、あ、あす、青澄くん、っ!」


 名も知らぬ先輩よ、なんでそんなにガチガチに緊張してるんですか……? 自分から来たんですよね……?

 初めて莉奈さんと会った時の俺かよ。むしろそれ以上まで普通にあるぞ。

 

 ……なんか俺まで変に緊張してきたな。あくびがうつるとか、まさにそんな感じだ。

 これは困ったぞ。正常になっていただかないと、俺の方がやりづらい。くう、一人一人に時間をかけられないってのにー……。

 

 よしっ! そうだ! こうなったら言うべきことをちゃんと言おう! コミュニケーションは大切だ! チャチャっと終わらせるために、パパっと話しかけよう! 少しでも親交を重ねれば、チェキる難易度も下がるはず!

 だって政道と真矢さんとなら恥ずかしくないしな! いや真矢さんとは恥ずかしいなっ?!

 

 ……深呼吸を一回、俺は意を決した。

 

「あの、先輩」

「え、あ、どどっ、どうかした、かな?」

「そんな緊張しないでください。なんだか、僕の方まで照れてきちゃいますから……えへへ」


 愛想笑いと照れ笑いのちょうど中間ぐらいの曖昧な笑みを作りながら、人差し指で頬を控えめに掻く。

 マイナスにマイナスを掛けるとプラスになるんだから、俺が緊張していることを伝えることで、向こうの緊張がほぐれるはずだと、これはそこまで考えての発言だ。

 

 つまり、完璧な作戦ということだ。

 ふふふ、あまりにも天才。ノーベル天才賞貰えるかも。

 自分の聡明さに感心しつつ、相手の反応を待つ。


「…………?」


 ……おかしい。なぜダンマリするんだ?

 俺の想定だと、少なくとも三秒以内にリターンが来るはずなんだけど……?

 こんな風に、


『あははっ! そっちが緊張しちゃ駄目でしょー!』

『ほんと! ですよねー!』

『はいチーズ!』


 パシャッ!

 

 て、こんな感じで。

 

 だから、当初のプランでは既にこの人との撮影は終わってるはずなんだけど……この空白の時間はなんなんだ……?

 もしかして、完璧に思えた俺の作戦にぬかりがあったのか……?

 

 俺は訝しげに恐る恐る隣を見た、というよりも見上げた。

 すると、その女子の先輩の頬を伝う光が目に入った。その光が顎まで伝って、ぽたりと床に垂れ落ちた。それは紛れもなく──涙だった。


「……青澄くん、わたしね、生きてて良かった……」


 ええー………………?

 なんで急に生を感じてるでしょうか、この先輩は…………?


「それは、はい、良かった……です、ね?」


 ひとまず先輩を肯定しておく。

 こういう時は全肯定が良いって、どこかで聞いた気がするしな。

 まあ、なんかあったんだろう、きっと。お疲れ様です。

 涙を流す先輩に俺がそうやってひたすら同意していると、前方から聞こえてくる声。


「いやあ〜マジにアッスンって良くさらわれずにここまで無事に生きてこれたよね〜」

「……恐ろしい子……」


 あの二人は何を物騒なことを言ってるんだ? というか、なんで俺が攫われないといけないんだ? 大富豪の息子ってわけでもないのに。

 はあ……それにしても、これ全員さばいたら、休憩とか入れんのかなぁ?

 最初にも言ったけど、俺はもうくたくたなんだ。体力ゲージが赤になってるんだ。

 

 だから頼むぞ、ほんとに、マジで。

 もしも休憩がなかったら、ストライキ起こしてやるからな! 政道が! 覚悟しとけ! おらー!

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