文化祭一日目、午前

 ざっけんなああああっっっ!!!!


 今現在の俺の心の中を占めている感情を正確な言葉にして表現するとしたら、それは絶対にこれに尽きると思う。

 いや、思うというよりも、今すぐに俺はそう叫んでやりたかった、の方が絶対的に正しいな、うん。


 もし俺に自制心というものが存在していなかったら、この手に持っているケチャップを皿の上のオムライスじゃなくて、客の顔面に思いっきりぶち撒けていたに違いない。

 それかもしくは、文化祭が始まってからずっとオムライスの上に書き続けさせられているこの『大好き♡』というワードを、『いっぺん死ね!』に書き換えていたに違いない。

 更にもしくは、あーんしてなどと馬鹿みたいなことをほざいて口を大きく開けている客という名の変態の、その無防備な口の奥にめがけて、喉を貫かんばかりの猛烈な勢いで、フォーク(断じてスプーンじゃない)を突き刺していたに違いない。

 

 ったく……俺が強固な自制心を待ってて良かったな、君たち。さもなかったらとっくに死んでたぞ。めちゃくちゃに殺してたぞ。滅多刺しにしてたぞ。

 至って真剣にそんな物騒すぎることを考えながら、俺は片手にスプーンを持ったままの状態で、客前で堂々と溜め息をついた。接客業は愛想が大事とか言うけれど、そんなのもう知ったこっちゃない。スマイル無料など言語道断、くそくらえってんだ。


 まあ、そんなわけで。

 つまり。

 とりあえず。

 俺が言いたいことは、兎にも角にも一つだけ。


 ざっけんなああああっっっ!!!!


 ほんとに、本当に、これだけだ。

 むしろこれ以外は何にも言いたくないまである。詳細なんて全然語りたくもない。ここまでの経緯を一切振り返りたくもない。

 だって俺が未だにこうやって最悪の職務を全うしてられるのも、心を無にして……じゃなくて、心を殺しているからだ。ただそれに尽きる。


 だけど、それも段々と難しくなってきた。殺していたはずの心が、着実に息を吹き返してきた。

 心が復活していくのに伴って積もりに積もっていた羞恥心は激烈な憤怒へと形を変えていき、ついさっき冒頭でも言ったように、俺は今まさに怒り散らかしそうなところなのだ。


「ざっけんなああああっっっ!!!!」


 前言撤回、散らかした。

 急速に怒りが沸点に達した俺は、オムライスの真ん中に墓標のようにスプーンを突き立てると、机の上のメニュー表を手早く拾い上げて、どしどしと溜め込んでいた鬱憤を一気に解き放つべく、


「自分で食えバーカっ!!」

 

 幸運にも通りがかった政道の頭を、力任せに全力でありったけの力で引っ叩いた。

 スパンッ! と小気味の良い音が鳴り響き、俺の手には確かな手応え。紛れもなく今日一番の満足感が、指先から全身を駆け抜ける。はなっからこうしとけば良かったぜ!


「いやなんで俺っ!?」


 すぐさま政道が鳩が豆鉄砲を食ったような仰天顔でこっちを見てくるが、その顔には本当に驚愕の二文字だけが書かれているのみだった。

 自分で言うのも死ぬほど悲しくはなるけれど、俺は男子としては非力な方(女子だとしても、とか言う奴は一生許さん!)なので、今の全身全霊の一撃ですら、こいつに1ミリのダメージも与えられなかったようだ。

 くそう……! 情けない……! この軟弱者っ……!


「だって俺が後顧こうこうれいなく思いっきりぶっ叩ける奴なんてお前ぐらいしかいないだろ!!」

「喜んでいいのか分かんないなそれ……。はあ……頼むからそういうのは俺でなくて、姉ちゃんに言ってやってくれ。本当に、マジで、頼む」

「いやいや……流石に真矢さんはどんな状況であれ叩けないだろ……何言ってんのお前……」


 はあ、やれやれ……こいつってば、本当に姉不孝な奴だな。真矢さんを叩くなんて想像しただけで罪悪感で胸がいっぱいになりそうなものを、俺は幼馴染として恥ずかしいぞ。

 というか、そもそも、


「お前と違って真矢さんは叩く理由がまず無いだろ。だって真矢さんは優しいからな。お前も同じ血を引く者として、少しは真矢さんを見習ってくれよ」

「優しい、ねぇ……?」


 政道はまるで、プロゲーマーが初心者の素っ頓狂なプレイを見ている時のような、先生が超初歩的な問題で躓いている生徒を見ている時のような、「根本的な部分から違うんだよなぁ……」とでも言わんばかりの渋面じゅうめんを浮かべた。一目で分かる不満タラタラぶりである。


 こいつめ、まーだ真矢さんが傍若無人だの悪鬼羅刹あっきらせつだの暴の化身だのって、トンチンカンなことを言うつもりかよ。思春期特有の反抗期かと見逃してやってたけど、そろそろガツンと言ってやるべきか。まったく、手のかかる奴め。

 俺は改まるように姿勢を正し、そして政道の方に顔と目をしっかり向けると、こいつが誤った道に進まないように、きっちり注意しようとして、


「あのなぁ、政道。お前はま、ま……」


 注意しようとして、


「や……ま、真矢さ、ん……っ」


 注意しようとして、


「ぷは、ふ……! ふぎゅっ! ぷっ! ぷは! あははははははっ!」


 ついつい我慢出来なくなって、盛大に吹き出してしまった。両手で腹を押さえて真っ当に爆笑する。今年で一番笑ってるのかもしれない。いや、間違いなく笑ってる。

 ここが教室じゃなくて家だったら、多分俺は床を転げ回っていたことだろう。それぐらいおかしかった。腹の底から込み上げる笑いをどうしたって止められなかった。


「…………」

「わ、わり、ごめっ、ぷふ! でもっ、でも、無理っ! あははは!あはははははっ!!」


 政道に無言で睨まれても、俺の笑いは全然収まらなかった。というよりも、加速する一方だった。

 シュールと言うべきなのか、それとも何と言うべきなのか、真面目な顔をされた方が逆に笑えて仕方ない。ギャップってやつなのかな?

 まあとにかく、面白いってことだけは確か。それだけ分かってくれたらいい。


「青澄、お前なぁ……」


 政道がギリギリと歯を食い縛っているのが見えるも、それでもやっぱり俺の笑いはとどまることを知らず、むしろ笑いすぎてお腹が痛い。顔も多分真っ赤になってる。異様に頬が熱くて、火傷したみたいだ。

 さて、どうして俺がこんなに笑ってしまっているのかと言うと、それはとても単純かつ簡単な理由で、一言で言うとしたら、

 

「あっははははっ!! ごめんってば! でもでもっ無理だってこんなの! だってお前ぇっ! ぜんぜん似合ってねぇーんだもん!!」


 政道のメイド姿があまりにも似合って無さすぎたからだ。ただ、それだけ。ほんとに、それだけだ。

 だからこそ、死ぬほど面白かった。これがお笑いの賞レースとかだったら、迷いなく100点出してたね。それぐらい面白い。

 

 政道のメイド姿はコスプレと呼ぶよりも仮装と呼ぶ方が断然しっくりとくる仕上がりで、さっきまでの俺はこの面白さに気付けないぐらいに心を殺してたのかよ……と、ちょっと萎えそうになったぐらいだ。

 今も政道が憎々しげな顔で俺を睨んでいるけども、まあこれも今まで俺にばっかり女装させてた報いなのだ! ざまぁみやがれ! もっと恥かいちまえ!


「あのな? 男でメイド服なんて似合う方がおかしいんだぞ? それもお前の場合はそんなザ・萌えみたいなの、似合う方がおかしいんだぞ? その辺ちゃんと分かってるか?」

「はい負け惜しみー! 遠吠えー! 似合わないよりは似合う方がマシだから! そんな洋ゲーの女キャラみたいになってるお前よりかは俺の方が全然マシだから! 残念でしたー! ぷーくすくす!」


 メニューで口元を隠し、けたけたと小馬鹿にするように嘲笑あざわらう。はい論破! 俺の勝ちー! お前の方が恥ー!

 そうやって意気揚々と政道にマウントを取っていたら、パシャリ! と突如聞こえたシャッター音。

 何事かと音のした方にぱっと目を向けると、


「……ベストショット……」


 そこではカメラを構えた吉野ヶ里さん(執事服姿)が、大変満足そうに頷いていた。かたわらに立っている壇ノ浦さん(こっちももちろん執事服姿)が、そんな吉野ヶ里さんの肩を嬉々として叩き、


「美月ナイス〜っ! 今のショットは絶対高く売れるっしょ〜っ! とりあえずそれは5000円からとして〜、やっぱり店内での撮影は禁止にしといてマジ正解だったね〜っ!」


 …………………………。

 

 ぽん、と不意に肩を叩かれる。力無く顔を動かすと、政道がそこには居た。非常に腹立たしい顔で、俺を見下ろしていた。


「えーっと、なんだっけ? 俺よりマシ、でしたっけ? 青澄さん?」


 政道の嫌味でしかないその言葉に、俺はひとまず不適な笑みで応える。

 しかし、そして、すぐに、俺は、


「ざっけんなああああっっっ!!!!」


 本日二度目の咆哮を上げた。

 恥も外聞もかなぐり捨てて。

 ブラジルの人にも聞こえるぐらい全力で。


 現在、十時二十三分。

 つまりは、文化祭初日の前半戦。

 なのに、俺は既に満身創痍。

 三日間も耐えられる気が、まるでしない。

 

 しかもしかも、明日は母さんが来るって……?


 いやもう、ほんとに、マジで──ざっけんなああああっっっ!!!!

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