文化祭一日目、登校
ジリリリリ! じゃなくて、文字で表現するのが難しい電子音が、部屋中に鳴り響いた。
途端にうとうとまどろんでいた頭が、一気に覚醒を迎える。スリープモードからアクティブモードへ切り替わる。
まあ簡単に言うと、スマホのアラームで起きた。ただそれだけのこと。
時刻は五時半、カーテンの向こうは薄暗い。
曜日は土曜、俺のお先は真っ暗だ。
あー、やる気が出ない。布団から出たくない。
なんか頭がぼーっとしてる気がする。布団から出たくない。
心なしか熱がある気がする。布団から出たくない。
頭では不調なんだと強く深く思い込もうとしているのに、俺の体といったら、残酷なまでに健康そのものだ。
もはや一切の不調がない。頭の先から爪先まで、すこぶる絶好調。起き抜けに全力でラジオ体操を出来そうだ。
ち、ちくしょう……ふざけやがってぇ……。昨日の夜に極寒のシャワーに耐えた意味が、まるで無いじゃないかよ……。
何だっていいから、熱でも風邪でも引いとけよなぁ……まったくもう……。
むくりと毛布を押し除けて、渋々と布団から起き上がる。室温は結構寒かった。
十一月の早朝、暖房をつけるか迷うレベルの冷えた室内、廊下は更にもっと冷えている。
俺は足音を立てないように、ゆっくりと冷たい階段を降りていった。
今日は待ちに待っていない文化祭の日だけれど、俺の朝は特に何も変わらない。
台所に入ったら、まずは米がちゃんと炊けているかを確認して、ちゃんと炊けていたら冷蔵庫を開けて、朝ごはんの準備に移る。
いつからかは覚えていないけど、昔から続くルーティン。目を閉じていてもこなせるくらいには、無心でもこなせるくらいには慣れてるものだ。
鍋に水を入れて、火をつける。
水がお湯になるのをぼんやり待っていると、嫌でも俺の思考回路が動き始めた。もちろん、ネガティブな方向にだ。
い、行きたくねぇ……。
喉から手が出そうなぐらい行きたくねぇ……。
メイド服なんて絶対に着たくねぇよぉ……。
ぶるぶるっと体が震えた。決して寒さのせいとかじゃなくて、いわゆる身の毛がよだった。
昨日までの五日間、俺が担当していたビラ配りは、結果としては大成功に終わった。いや、やっぱ訂正する。大失敗に終わった。
配り切ることは出来たけど、重版(追加発行か?)まであったけれど、あれを成功とは口が裂けても言いたくない。例えるなら、売れれば売れるほど赤字になる商品を売っているような気分だった。
今更だけど、そして何回も同じことを言って悪いけど、ほんとに何なんだよ、男女逆転メイド喫茶ってさぁ……。
なんで俺がメイドなんてしなくちゃならないんだよ、おかしいだろ。
そもそも他の男子が一番おかしいよ。なんで誰も反対しなかったんだよ。意味わかんねぇよ。
俺はともかくとして、メイド服なんて他の奴らには絶対に似合わないんだから、そこは反対しといてくれよ。素直に女子のメイド姿を拝みたがれよ。
男女逆転メイド喫茶とかいうコンセプトのせいで、俺が徹底的に抗えないんだよ。ストライキを起こせないんだよ。もしも普通のメイド喫茶だったら、仮にメイド服を着なさいと命じられたって、いくらでも断りようはあったのにさぁ……。
だけど今回の場合は他の男子も同じようにメイド服を着るせいで、断ろうにも断れない。反旗を翻そうとしたって、ちゃんとした大義名分が無いから、単に俺だけが駄々を捏ねてるみたいになってしまうのだ。
改めて考えてみても、なんて見事な手なんだ。退路が全て塞がれてる。これが孔明の罠ってやつか、おのれい……。
はああーあ……やだやだやーだ、やだやーだ……て、あぶねっ! 危うく沸騰させるところだった……ふう……。
火を弱火へと調整したら、出汁と味噌の準備に移行していく。
でもまあ、今日はまだマシな方なんだけどな。初日は学校の中だけで、一般のお客さんは一人もやって来ないからね。
だから明日以降が本気で鬱だ。特に母さんのイベントが確定してるので、そこが憂鬱で仕方ない。
莉奈さんが同伴してくれるらしいけど、それもそれでなぁ……。サングラスとマスクでいけるのかなぁ……。心配だなぁ……。あのオーラちゃんと隠せるのかなぁ……?
ずず、と味噌汁の味見をしながらも、俺はまた一つ追加で、深い深い溜め息をこぼす。
とにかくこの三日間は、悩みの種が多すぎる。
────────
「……うへえ……良い天気だぁ……」
重苦しい気持ちを抱えながら玄関を出たら、幸先良いのか悪いのか、爽やかな青い空と
テレビでやっていた天気予報を見た感じ、この三日間は雨どころか、曇りにもならないらしい。
まさしく文化祭日和の空模様と言える。
学校の一員としてこれは喜ぶべきことなんだろうけど、当然そんな気分にはなれない。
というか、この青い空が憎くて仕方ない。空を見上げ、お天道様を睨みつける。
ぺっと唾を吐きかけたくなったけど、空に唾を吐いても自分にかかるだけということに急遽気が付いて、それはやめておいた。
重い脚を強引に動かして、とぼとぼ歩き始める。
普段より少し早い時間帯、ノートや教科書の入っていない軽い鞄。こういう些細な違和感が、今日が文化祭ということを、俺により実感させてくる。
いつもなら気にも留めない曲がり角が、今日は凄く魅力的に見えた。
ああ、ふらっとここで曲がりたい。知らない道を歩いて、知らない場所に辿り着きたい。
そう強く願いつつも、俺はその曲がり角を断腸の思いでスルーする。いつもの通学路を辿っていく。
悲しいけど、敵前逃亡とはいつの時代も重罪なのだ。後が怖いので、学校に行くしかない。
そのまま十分ほど歩き、いつもの電柱のところで政道と合流したら、たわいもない話をしながら二人で学校へ向かう。
実は一ヶ月ほど前までは真矢さんを含めた三人で登校していたんだけれど、生徒会長に就任して以降は登校時間が変わってしまい、真矢さんはひと足先に学校に行くようになってしまった。とっても残念だった。
生徒の誰よりも朝早くに行かないといけないなんて、生徒会長ってのは大変だなぁ……。
学校が徐々に近くなってくると、周りにいるのは生徒ばかりになり、楽しげな声が四方八方から聞こえてくる度に、俺の足取りは重くなっていく。
能天気に隣を歩いている政道が、心の底から羨ましい。こいつも同じくメイド服を着るはずなのにぃ……。
はあ…………。
「…………帰りたい」
「まだ辿り着いてもないのにか?」
「るっせっ、俺の苦悩がお前なんかに分かってたまるかよ」
「そりゃ確かに分かんないけどよ」
「そこは嘘でも分かるって言えよぉっ!」
「面倒くさい女みたいなこと言うなって」
「誰が女だってぇ!? 誰が女よりも可愛いってぇ!?」
「やばい、青澄がポンコツになった」
「んだとこらぁっ! 表に出やがれ! やってやるぞこら! とことんやってやっぞ!」
「いやここが表だろ……」
ことあるごとに政道に噛みついていたら、いつの間にか校門の前にまで辿り着いていた。
目の前にある光景はいつもと大違い、巨大な半円型のアーチ(バルーン付き)がドン!と架かっている。これを潜ったら最後、後戻りなんてもう出来ない。二度とは、引き返せない。
なので俺からしたらこのアーチは、地獄の門にしか見えなかった。猛っていた心が、一気に意気消沈してしまう。
「……ひう……」
「青澄お前、急に小さくなったな。いや最初から小さかったけど…………この一連の流れ、姉ちゃんが見てたら大喜びしてただろうなぁ……」
政道が何か言ってるけど、俺の耳には全く入ってこない。そんな余裕はない。
今の俺の心の中を占めている気持ちは、ただこれだけだ。
もうやだ、おうち帰りたい…………。
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