莉奈さん、最初の一時帰宅

 男女逆転メイド喫茶なんていう末恐ろしいものが俺のクラスの出し物だと判明してから、早いもので四日が経った。

 今は金曜、時刻は夜の九時。

 一番重大な情報を先に伝えておくと、本日は莉奈さんが帰ってくる日となっている。

 その滞在予定は一泊二日。仕事の都合で明日の夜には東京に戻らないといけないらしい。ほんとに大変なんだなぁ、人気女優にもなると……。


 そんな過密スケジュールの莉奈さんなのだが、現在父さんと母さんが車で駅へと迎えに行っており、俺は一人で留守番をしているところだ。

 多分そろそろ着く頃だと思うんだけど……き、緊張するなぁ……。

 どうしよう、ソワソワが抑えられない。意味もなくウロウロと家の中を歩き回るのを辞めたい、なのに辞められない。


 やっぱり面と向かって顔を合わせるのとスマホ越しに顔を合わせるのとでは、緊張感の度合いが違ってくるみたいだ。それも遥かに別次元に。

 だ、大丈夫かな?結構シャツとかヨレヨレなんだけど……って、俺は何をそんなに気にしてるんだか……。

 こんなの特殊なイベントでも何でもないのによぉ……。


 だってこんなの言ってしまえば、ただ単に姉が帰ってくるというだけだ。そこに義理がつこうと女優がつこうとも、姉は姉なのだ。

 事をそんなに重く受け止めないで、父さんに接するように、母さんに接するように、気軽に……いや、母さんに接するようには絶対に駄目ですけど。


 でも!もっと気楽にいかないとな!

 うん、そうだ!そうしないとっ!


 俺が決意を新たに固めていると、ガチャガチャ、バタン!と玄関の方からやや騒々しい音が聞こえてきた。

 あ、帰ってきたみたいだ。莉奈さんを出迎えるべく、俺は玄関に向かう。


「青澄きゅんっ!たっだぁいまぁ〜っ!」


 予想通り1ターン目に母さんが飛びかかってきたので、俺はそれをひらりと優雅に躱しながら入れ替わる形で前に出て、


「莉奈さん、お帰りなさい!俺、鞄とか持ちますよっ!」


 と、靴を脱いでいる最中の莉奈さんへと、しっかりと元気良く声をかけた。

 誰だって分かってくれるとは思うけど、この一家においての俺の優先順位で莉奈さんが首位を取るのは致し方ないことなのだ。氷が常温で溶けるのと同じように、自然の摂理なのだ。

 母さんが後ろで何かを言っているけど、いつものことなので何も気にしない。もはや聞こえない。


「青澄くん、ただいま。なら、お願いしちゃおうかな」

「はいっ、任せてくださいっ!」


 靴を脱ぎ終えた莉奈さんから鞄を受け取る。一泊分の量なので重くもない、非力な俺でも余裕で持っていられる重さだった。

 ふう、良かった。やっぱりこれ重くて持てませんっ!てなったら超かっこ悪いからな。


「じゃあこのまま部屋まで案内していきますね」

「うん、そうしてあげてください」


 はてさて、莉奈さんに用意した部屋へ向かうべく、体を反転させる。

 すると頰を膨らませた母さんが、こっちをじーっと見ていた。


「青澄きゅん酷いわっ!私にも莉奈みたいに優しくして〜っ!」


 ごめん、絶対に無理です。多分、永遠とわに。

 俺がなんとも言えない目で母さんを見ていると、


「はぁ……青澄くん、お母さんが毎日迷惑ばっかりかけてごめんね。大丈夫、すぐに黙らせておくから」


 後ろにいた莉奈さんが溜息をつきながら俺の前に躍り出て、そのまま母さんのもとへ歩いていく。

 め、目を閉じておこう。何か凄惨なことがこれから巻き起こる気がする。

 だって莉奈さんからメラメラとオーラが出ているもん。決して女優のものじゃない、阿修羅像とかから出ていそうな強圧的なオーラが。


「………………」


 十秒、二十秒、三十秒、目を開ける。

 床に母さんが倒れていた。何だろう、漫画とかなら煙がプシューと吹き出していそうな倒れ方だ。

 脇に立っている莉奈さんはというと、


「これでよし」


 一仕事終わった感を出しながら、二、三度手を叩いていた。アテレコするとしたら「ヘイ一丁上がり!」が正解だと思う。

 やがて俺の方に振り返ると、


「さっ、行こっか青澄くん」


 と、何事も無かったかのように、莉奈さんは笑顔でそう言ってきた。

 それは雑誌の表紙とかを余裕で飾れそうなくらい、爽やかで綺麗な笑顔だった。真夏のサイダーのCMとかが、めちゃくちゃ似合いそうな笑顔だった。


「はい、こっちですっ」


 ひょいと母さんの亡骸を跨いで、俺は案内をすぐさま再開、莉奈さんの部屋を目指す。

 ちなみにこのかん、母さんと共に莉奈さんの迎えに行っていた父さんはといえば、靴を履いたままの状態で無言で立っているだけだった。

 おい、いいのか、それで。父さん、このオブジェ、あんたの嫁だぞ。



 ──────



 階段を上がってすぐ右手、二つ目の扉の前で俺は足を止める。知っているとは思うけど、一つ目の扉が俺の部屋だ。

 つまりは俺の部屋の真隣こそ、


「ここが莉奈さんの部屋です」


 そう、莉奈さんの部屋となる。

 ここは物置きですらない真の空き部屋だったので、莉奈さんの部屋にするには最適の場所だった。

 立地が俺の部屋の真隣と、場所が場所ではあるので多少の懸念点もあるけれど、大声とかを出さない限りは大丈夫だと思う。出す予定も無いし。


「ここが私が来年から住むとこかぁ……なんか新築みたいにピカピカで綺麗だね」


 莉奈さんが目を瞬かせながら部屋を見渡している姿を見て、俺は少し得意げな気分になった。


「いやぁ、それほどでもぉ……」


 えっへっへ、それなりに頑張ってお掃除しましたからね。

 どんなしゅうとめだって難癖つけられない程度には、埃の一つも残してませんぜ。


「あ、そういえば何か食べてきたりとかしましたか?」


 不意に気になっていたことを思い出し、それを尋ねてみると、莉奈さんはお腹に手を当てながら苦笑いを浮かべた。


「ううん、何も食べてないんだよね。だからちょっと……お腹空いてるかも」

「なら夕飯に作ったものが残してあるので、良かったら食べませんか?」

「え、本当?うん、食べる食べるっ」


 そんなわけで、次の予定は莉奈さんの晩飯と決まった。莉奈さんは空腹らしいので、ここは迅速にいこう。

 手頃な場所に鞄を置いたら、部屋から出て階段を下り、一階の廊下に降り立つ。


 目的地であるキッチン、それとは逆方向の玄関側に何気なく視線をさまよわせてみれば、なんとその廊下の先でまだ母さんはくたばっていた。

 が、俺は何も見なかったふりをして、颯爽とキッチンに向かった。一度も振り返ることなく、後ろ髪の一本も引かれない。

 今の俺にとって莉奈さんの空腹の方が、最優先で解決するべき問題なのだ。


 父さんや、それの介錯かいしゃくはあんたに……間違えた、介抱かいほうは任せたからな。

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