人気女優も楽じゃない
いきなりだけど、
俺は偏見を持っていた。最低な偏見を持っていた。
その偏見が何かというと、生まれつき顔が格段に良い芸能人というものは、頭は良くないものだと思っていたのだ。
無意識なのか意識的なのかは分からないが、何故か俺はずっとそう思い込んでいた。
だって顔だけで飯を食っていけるんだから勉強する必要なんて全くないし、出来なくたって何も困らないわけじゃないですか。常にチヤホヤされてるだろうし。
けど、その認識は間違いだった。大間違いだった。
莉奈さん、めっちゃ頭が良い。学校の先生よりも教えるのが断然上手い。
説明がとても分かり易くて、自分でも驚くぐらいに内容が頭に入ってくる。まるで脳のページに直接書き込まれているみたいだ。
実は俺って天才だったんじゃないかと、
壁や窓に数式を書き殴る数学者の気持ちが分かった。
天は二物を与えず……でしたっけ?その言葉は真っ赤な嘘だったらしい。
頭も顔もスタイルも性格も良いだなんて、莉奈さんちょっと無敵すぎやしないか?欠点が一切見当たらないぞ……母さん以外。
毎日こうやって莉奈さんに勉強を教えて貰えたら、学年一位も夢じゃないんじゃないかな?むしろ余裕だな、余裕。
とは言ってもこんな神イベは一生に一度あるかないかのレベルだと思うので、夢のままで終わるんですけども……。
『今のが、最後の問題だったっけ?』
ふと莉奈さんに尋ねられ、意識が現実に引き戻される。
すぐに懺悔を中断し、その声の発信源であるスマホへと視線を向けた。
ビデオ通話中のスマホの画面には、ラフな寝巻き姿の莉奈さんが映っていた。
それは完全なオフショットだと言うのにも関わらず、まるでドラマのワンシーンのように
うん、改めて見ても顔が良すぎるな。これが俺の姉なのかよ、もの凄く恐れ多いぞ……。
俺はシャーペンを置き、両手を膝へとつき、深々と頭を下げた。
「そうですっ!ありがとうございましたっ!助かりましたっ!」
本当に助かった。莉奈さんのお陰でビックリするほどあっという間に終わってしまった。
現在の時刻を確認してみると、まだ十時の十分も回っていない。
当初の予定よりもかなりの余裕が出来た。莉奈さん様々である。この恩は一生忘れません。
『うん、どういたしまして。少しくらいは私も、君の役に立てたのかな?』
莉奈さんが手をひらひらと振りながら、俺に悪戯っぽく微笑みかける。
ふう、危ない、画面越しで良かったぁ。危うく好きになってしまった……って、それじゃ駄目だろ。
「いやもう少しどころかっ!こっちが役に立たなかったぐらいですっ!」
おい俺、それはどういう意味なんだ?
どういう意図で言ったんだ?
我ながら全く意味が分からないんですけど?
『あはは、なにそれ』
はい、ほんと、その通りです。
ともあれ命拾いした。莉奈さんが笑ってくれたのが、不幸中の幸いだった。
もしも真顔で同じことを聞かれていたら、俺の心臓はきっと止まっていたに違いない。
ほっと胸を撫で下ろす、その最中、
『あ、この後って、まだ他に何か予定とかあるの?』
と、莉奈さんから急に予定を聞かれたので、
「な、無いですっ」
俺は即座に首を振った。ほぼ反射だった。
説明するまでもないけど、バナナがおやつに含まれないのと一緒で、ゲームは予定には含まれないのだ。
「何も、これっぽっちも、無いです」
強調するようにもう一度そう言うと、画面の向こうで莉奈さんが口元を緩める。
『良かった。なら、少し話そうよ』
「あ、はいっ!俺で良かったら、全然付き合います!」
『ふふっ、ありがと。今って一人だから、暇なんだよねぇ……。それに妙に家が静かで、ちょっと落ち着かなくて』
確かに母さんみたいなタイプっていたらいたで鬱陶しいけど、いなかったらいなかったで物足りなくなるような気がする……ような、しないような……。
しかも莉奈さんの場合はずっと二人で暮らしていたわけだから、家が静かという環境に慣れていないのは間違いない。俺とは真逆だ。
「莉奈さんは年が明けた頃に、こっちに来るんですよね?」
『うん、今のところはその予定かな。今は仕事が立て込んでてね。特にドラマ撮影のスケジュールがちょっと……ううん、もう本当に過酷で……明日は撮影自体は休みなんだけど、他の打ち合わせとかもあってね……』
ま、まずい、地雷を踏んじゃったみたいだ。莉奈さんの目がどんどん濁っていく。芸能界の現実が
やっぱり夢ばかりじゃないんだな……。怖い世界だぁ……。
「お、お疲れ様ですっ!ゆっくり休んでくださいっ!」
使い古された、パターン化された言葉だとは思うけど、今の莉奈さんにかけるべき言葉が他には見当たらない。
握った拳を顔の前で揺らし、こうやって画面越しにエールを送ることくらいしか、小市民の俺には出来ない。なんて無力な存在なのか……。
『青澄くん、私からアドバイスを一つ。東京でスカウトの人にしつこく話しかけられても、しっかりと断るんだよ』
真剣な顔で忠告してくれているところ悪いですけど、莉奈さん、そのアドバイスは俺には必要ないです。そもそものハードルが高いので。
「そう言えば莉奈さんって、いつから女優として働いてるんですか?」
『えーと、確か去年の十一月くらいから……だったかな?』
え、てことはまだ女優になって一年足らずってことですか?それであの演技力なのか、すげぇ……天才だ……。
政道が前に無名とか何とか言ってたけど、そりゃ無名なわけですよ。一年前は一般人だったんだぞ?無名どころか透明だったんだ。
「そんな短い期間でこんなに大活躍をしてるなんて、莉奈さん凄いですっ!」
『まあ、ね。でも、当たり前でもあるのかなぁ?だって私って君を幸せにさせちゃうくらいには、綺麗らしいからね』
「う、……」
うぐ、せっかく忘れてたのに、さっきの失言を蒸し返された。改めて思い返してみれば、ほんとに俺はなんてことを言ってるんだ……。
は、恥ずかしすぎる、穴があったら入りたい。
「あの、あの、それは……」
『ふふっ、からかってごめんね。冗談だよ、半分くらい』
くそう、駄目だ。この話題は分が悪い。一方的にからかわれるだけ。
だから、話を変えよう。そうだ、そうしよう、そうするべきだ。
「り、莉奈さんって学校とか、どうしてるんですか?俺、気になりますっ!」
ぐいっと俺は急ハンドルをきった。
へい莉奈さん乗ってくれい。一人で事故りたくない。
『へ?うーん、今は特例で休ませたりして貰ってるかな。芸能科とか無い普通の私立校なんだけど、ほら、私って頭も良いから。点数さえ取っておけば後はどうにかこう、ね』
良かった、乗ってくれた。一人で崖下まで落下せずに済んだ。
それにしても、本当に莉奈さんって凄いなぁ。これからは尊敬する人物は誰ですか、という質問には莉奈さんと答えていこう。
……て、待てよ?そう言えばこっちに来るってことは、学校はどうするんだろう?
「年明けからは、こっちの学校に転校するんですか?」
『うん、もちろんそのつもりだよ。どこにしようかはまだ迷ってるんだけどね。どの学校にでも入れるだろうから』
が、学力ハラスメントぉ……。
けど、反論出来ない。俺は実力を見せ付けられたばかりだ。
『悩んでる時間も勿体無いし、一緒のところにしようかな』
いや、それはやめた方がいいっすよ。
うちの学校なんて平凡そのものっすよ。
『ねえ、どんな学校か教えてくれる?』
どんなって……普通、ノーマル、ありふれた、平凡、凡庸、毒にも薬にもならない、この辺り一帯で頭が良くも悪くもない生徒が行く学校、そういう学校なんですけど……そんなストレートには言えないなぁ……。
強いて特徴を挙げるなら、他の高校よりもほんのちょっとだけ自由度が高い……ってことぐらいか?
部活動のレパートリーが多いし、文化祭の熱量が高い。でも、それだけだ。
しかも結局、枕詞に「公立としては」が付くし、東京の私立にはてんで敵わない。莉奈さんが来てもがっかりするだけだろう。
「普通の学校です、普通の。学食とかは無いですよ。購買はあります。昼休みに昇降口にくる業者の人から買うタイプの、ですけど」
ちなみに偏差値は55。
『何か、そういうのっていいね。古き良き、って感じがする。エレベーターとかも無いんだもんね?』
え、エレベーターついてる学校なんてあるんですか?
都会ばすんげぇなぁ。
「無いです。あ、ちょうど来月の始め頃に文化祭があるので、雰囲気とかが気になるなら来て……」
うおっ、危なかった!
この馬鹿!何を普通に提案してるんだ!
莉奈さんが女優ということを一瞬忘れてたな。今の聞こえてなかったら良いんだけど、
『へえ、そうなんだ。行けるかどうかはスケジュール次第にはなるけど、ちゃんと覚えておくね』
あ、やっぱり聞こえてましたね……。ちくしょう。
『それで青澄くんのクラスは、どんな出し物をするの?』
………………えーっと。
「…………さぁ?」
や、やばい。先週のどこかのホームルームで決めたはずなんだけど、全く記憶にございません。
何になったんだっけ?何か飲食関係だったのは覚えているんだけど、何だっけ……?
仕方ない、政道に聞いておくか。『文化祭って何をするんでしたっけ?』と。これで良し。
その後、三十分ほど莉奈さんと会話を交わし、ビデオ通話を切ったら風呂へと向かい、風呂から上がると、政道からメッセージが返ってきていた。
どれどれ……。
『男女逆転メイド喫茶』
ははぁーん、なるほどね。男女逆転メイド喫茶かぁ。なるほどね。
休むかぁ……。
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