プロローグ 下

 最近、友達が出来た。


 阿瀬川 あやか。


 ちょっと茶の入った髪を腰くらいまで伸ばした、いかにも明るめって感じの子。


 私はもともとあんまり友達とかいるほうじゃなかったけど、それを差し引いてもあんまり友達になれるようなタイプじゃない。それが、ちょっと新鮮だけれど、少しだけ目に余ることがある。


 それは、あやかが、なにかとすぐ怪我をすること。


 転んで、怪我して。


 立ち上がろうとして、頭打って。


 扉の隅で、指を思いっきり挟んだりして。


 本人が不注意っていうのもあるんだろうけど、それを差し引いてもちょっと不憫になるくらいには運が悪い。あまりに怪我が多すぎて、絆創膏と消毒液を自前で持ち歩いてるらしいし。


 あんまりに不憫で見てられないから、そのたびに『奇跡』で治療してる。


 小さい傷なら、巻き戻しまではつかわなくていいから、そんなに時間もかからないし。


 本当は、教会の外で奇跡を使うのは、シスターからきつく戒められているのだけれど。まあ、学校の中まで見張られたりはしないから、多分バレないでしょ。他人に見られないように注意はしてるし。


 ただ、その都度、あやかが変な顔をしてトイレに駆け込むのはちょっと謎だ。


 一回、ほんとにトイレなのって聞いたことがあったけど、「そうだよ!」って力いっぱい嘘をつかれた。


 聖女なんてやってると、副作用みたいなもので人の嘘は割と簡単にわかってしまうのだけど。そうでなくても、さすがにこう何回もいかれると、なんか理由あるんだろうなあとは思ってしまう。


 しかし、わざわざトイレに行く用事って、なんだろ。もしかして、治癒の奇跡をたった一人にこんなに頻繁につかったことがなかったから、実は結構やばめの副作用とかあるのだろうか。


 それはまずいんだけど、と悩みながら、唸っていたら、HRをしてる教室の後ろからあやかがこそこそと入ってきていた。どうにも、ようやくトイレから帰ってきたらしい。


 「おかえり」


 「ただいまぁー」


 そういったあやかの顔はどことなく、頬が上気しているように見えるけど気のせいだろうか。


 そうしていつも通り、授業が始まって、まだ教科書が揃ってないあやかに教科書を見せながら机を並べて授業が進行する。


 隣の席だから、改めて眺めるとよくわかるけど、あやかは細かい傷が身体にいっぱいついている。


 頭には何かにぶつけたような古傷があって、ふくらはぎには深く引っ搔いたような跡があって、首筋にはぎりぎり服で見えないくらいのところに、まだ治ってない生傷がある。


 なにしたらそんなとこに傷がつくのやら。


 私は軽く息を吐いてから、周りをちらっと見まわした。


 幸い私たちの席は一番後ろのしかも窓際。誰もこっちを見ていない。今なら先生も逆サイドだし。


 「ねーみやび、ページ捲ってよ」


 「ん」


 返事をしながら、可能な限り何気ない仕草であやかの首元にそっと指を差し入れた。


 ふぇって一瞬あやかが変な声を出すけれど、これくらいの傷なら、どうせ一瞬だ。



 「『傷』に『癒し』を」



 鎖骨のあたりをそっとなぞるように触れて、そう奇跡の言葉を口にする。


 ぎりぎり服の中だから、幸い光もあまり見えないし。


 三秒ほどで傷がなくなったのを見届けて、私は何気なく指をそっと引き抜いた。


 ま、多分、誰にもバレてない。


 軽く息を吐いてから、何食わぬ顔でページをめくる。


 ただ隣はあやかの顔がひどく真っ赤で、なんでかしきりに俯いて足を擦っていた。


 どうしたんだろ? って疑問に想ったから、軽く首を傾げてみるけれど、あやかは何か言いたげな顔でぷるぷると目元を震わせているばかり。


 急にしたから……びっくりしたかな。なんて、その時は軽く考えていたのだけれど。


 


 「急にああいうことはしないで欲しいな!」



 と、えらく怒られたのは、昼休みに入ってからだった。


 私がよくつかっている比較的涼しい非常階段のところで、ご飯を食べようとしているころに、若干涙目なあやかにそう啖呵を切られる。


 「あー、ごめん。急にしたらびっくりするか」


 「そうだけど! それもあるけど! うー…………」


 ちょっと反省はしてみたけど、あやかは相変わらずどうともいえない感じで、若干涙目になりながらプルプルと震えてる。私の方ははてと首をかしげるばかり。


 やっぱ、なにかまずいことがあるんだろうか。


 なんて考えていたら、あやかがぼそっとそんなことを言っていた。


 「替えのパンツもうないのに……」


 パンツ……下着……。


 治癒……トイレに行く。


 独りでぶつぶつと言ってるあやかの肩にそっと、何気ない感じで手を置いた。


 「ねえ、あやか」


 「んー、なに?」



 『傷』に『癒し』を。



 「ふひぃんっ!?」



 『痛み』に『安らぎ』を。



 「ふにゃぁんっッ!!?」



 『疵跡きずあと』に『修復』を。



 「ふにゅゅゅ………………」



 「…………………………」



 「…………………………」



 「……ねえ、あやか」



 「…………なに」



 「やっぱなんか隠してるでしょ」



 「………………………………………………」



 奇跡を使うたび、あやかの身体はわかりやすく跳ねて、続けていくうちに頬は真っ赤に上気して、かいてる汗は多分暑さのせいだけじゃない。


 「なんか副作用あったらダメだから、言ってくれないと困るんだけど」


 もし、身体に悪い作用があるとか、血圧に異常が出るとか、まして痛みがあるんなら、そう気安くは使えない。もしくは使い方を少し考えないといけない。


 だから、言ってくれないと困るんだけど。


 振り返ったあやかは眼に涙をうっすら浮かべながら、真っ赤な顔のまま、心底なんとも言えない顔をしていた。なんというか、言いたいことはあるけれど、到底言えないかのような。


 「………………言わない」


 「そう、………………身体に害はないの?」

 

 「…………ない、害は、ないよ」


 ……一応、嘘じゃなさそうだ。


 その後はなんとも言えない雰囲気のまま、私たちは昼食を終えていつもの教室に戻っていった。


 害がないならいいけど、痛みがあるのなら言って欲しいものだけど。一応、奇跡を応用すれば鎮痛作用くらいは働かせられるし。


 そんなことを考えながら、午後の授業に臨んでいる途中にふと想う。


 頬が上気。


 痛みじゃない。


 下着を替える。


 それにあの少し上ずったような声。


 ……………………。


 ……………………………………。


 ………………………………………………………………。



 …………いやあ、まさかね。



 思い浮かんだくだらない妄想を、私はそっと思考の隅にしまい込む。


 ついでに浮かんだあやかの真っ赤でどこか泣き出しそうな顔も一緒に、記憶にしまい込む。


 はあ、何が聖女だ。こんなのシスターに知られたら折檻間違いなしだよなあ。


 欠伸をそっと教科書で隠しながら、そんなことを考えた。


 それと同時に、世界の命運も、教団の権威も何もかかってない日常で、こんなに困惑したのは何時ぶりだったかなと。


 そんなことを考えた。


 ふと見上げた窓の方には、そろそろ蝉が啼きだす気配の中、私と同じよう小さく欠伸を嚙み潰してる、いつも変わらないあやかがいた。

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