第10話 さみしいの?
「駄目だよ、リタ。危険すぎる」
いつもは優しいジークが、厳しい言葉で私を諫めた。
予想通りの返答だからこそ、私も食い下がらなかった。
「でも……!」
「何か理由があるのか? イヒャルゼクトの名前を聞いた瞬間、顔色が変わった気がしたが」
ウィルが鋭い指摘をしてきて、思わず言葉を飲み込んでしまった。
お父様を殺した執事のバックにいたのがイヒャルゼクトだという情報は、本来誰も知らないはずなのだ。
私が知っているとバレると、情報の出所を話さなければならなくなる。
この世界が、私が前世でプレイしたゲームだという真実を――
私が黙ってしまったことで、留守番を納得したととったのか、ジークは私を横から抱きしめた。
「ごめん、リタ。本当は僕だって離れたくはない。だけど君にもし万が一のことがあると想像しただけで、僕は正気を保っていられなくなる。だからお願いだ。屋敷で待ってて欲しい。あそこは結界が張ってあって安全だから」
そう言って抱きしめる彼の腕は、僅かに震えていた。
本気で私のことを心配してくれていたからこそ、自分の無力さが悔しくて堪らない。
私もアマリリスのような特技があれば……
レイラのように、神聖魔法の使い手だったら……
クラリスのような、筋肉隆々な女戦士だったら……
私には、何も、ない。
だって私は、本当はすでに死んでいるはずの、モブなのだから――
ただでさえ、物語を歪めているのだから、これ以上ジークたちの邪魔をしちゃ駄目だ。
お父様の敵への怒りと自分への無力さでぐちゃぐちゃになった心に、なんとか折り合いをつけると、私は小さく頷いた。
頷くことしか、できなかった。
俯く私の頬に、ジークの手が触れる。
優しく微笑む彼の顔が、視界に映る。
「リタ、そんな顔をしないで。君が行きたい理由は聞かないけれど……イヒャルゼクトは必ず退治するから」
「……ええ、お願い。必ず……必ず奴を倒して……」
「もちろん。リタの心を悩ませる存在は、僕が全て排除するよ。それが魔王であろうが、魔物であろうが、ね? だから、心配せずに待ってて?」
「……分かった、わ」
「うん、リタは良い子だね」
ジークの顔が近付いたかと思うと、おでこに柔らかい何かが触れた。
一瞬何をされたのか分からなかったけれど、軽いリップ音が聞こえたことで、おでこにキスされたと理解する。
次の瞬間、全身の血がもの凄い速さで巡った。
人前でキスされたという事実が、より一掃、羞恥心を掻き立てる。
あまりの恥ずかしさに口をパクパクさせている私に、ジークは小さく噴き出すと、唇を耳元に寄せた。
「リタ、本当に可愛い。もう一回してもいい?」
「だ、駄目! こんなたくさんの人が居る場所では……」
「じゃあ、人目のないところだったらいい?」
「そういうわけじゃ――」
「おい、もういいか?」
一語一語に怒りを閉じ込めたような低い声が、私たちの会話を止めた。
声の主はもちろん、ウィル。
それを認めた瞬間、頬と耳たぶだけだった熱が、顔全体に広がった。
ジークにキスされたところ、思いっきりウィルに見られていたってことでしょ?
さっきの会話だって、思いっきりウィルに見られていたってことでしょ?
は、恥ずかしすぎるっ‼
二人のことは心配ではあるけれど、大丈夫だとは思っている。
何せジークには、最強最終武器の聖剣があるんだから。
ジークは会話を邪魔したウィルを軽く睨みつけると、私に長方形型の透明な石を差し出した。石の中には、赤い球体が埋め込まれている。
これは、一度行った場所に一瞬で移動出来る転移魔法を封じ込めたアイテムだわ。
「リタはこれで屋敷の方に戻っていて」
「分かったわ。くれぐれも気をつけてね。ジーク、ウィルさん」
「うん、行ってくるよ」
「悪いな、リタ。ジークを少し借りるぞ」
どうぞどうぞ。
そのままレイラの元まで連れて行ってあげてください。
と心の中で思いながら、彼らの姿が店から消えるのを、私は手を振りながら見送っていた。
イヒャルゼクトは、ジークたちが倒してくれる。
お父様の敵をとってくれる。
そう分かっていても、私の心では怒りと憎しみの残りかすが燻り続けていた。
*
二人が立ち去ってしばらく経った頃、私は一人店を出た。
空は茜色に染まっている。
ファンタジーの世界なのに、茜色っていう表現はおかしいかもしれないけれど。
「ジークたちはもう隣街に着いて、敵の本拠地に向かっているのかな?」
ウィルの転移魔法で、すでに隣街には移動しているはず。
早ければ、明日には戻ってくるかな?
きっと彼は、疲れて戻ってくるだろうから、何か料理でも作って……
ふと足を止めて隣を見る。
だけど隣には、誰もいない。
ジークと再会したのは、ほんの数日前のことだ。だけど、彼はずっとずっと私の傍から離れることはなかった。
だから、何だか隣がスースーする。
もしかして私、
――さみ、しい、の?
ううん、認めるわけにはいかない。
私は、罪滅ぼしで彼の傍にいるだけ。
正しい道に、正しい結末に導くために、いるだけ。
早く帰ろう。
寝たらきっと、こんな気持ちなんて消えてしまうわ。
そう結論づけ、転移アイテムを握りしめたそのとき、すぐ傍に先ほどまでなかった人の気配を感じた。
いや、これは人の気配じゃない。
分からない……分からないんだけど、私の本能がそう告げている。
過去に同じ気配を感じたことがあると――
『ほほう……あのときの娘か。懐かしいな』
耳元に低い男性の声が聞こえ、私は反射的にその場から逃げようとしたが、まるで金縛りにあったかのように身体が動かないし、声も出せない。
『お前、最近コソコソと我々を嗅ぎ回っている人間の仲間のようだな?』
その言葉を聞き、私の心臓が跳ね上がった。
謎の存在が言う人間というのが、ウィルのことを指していると分かったからだ。
私がウィルの仲間だと思っているということは……先ほどの話を聞かれていたことに他ならない。
ジークたちが……危ない‼
私は手に握っていた転移アイテムを発動しようとした。
しかし、
『そうはさせない』
例の声が聞こえたかと思うと、私の身体から力が抜け、手から転移アイテムが滑り落ちた。
その後のことは――覚えていない。
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