第3話 再会
……はっ?
リタって私の名前なんだけど、なんで名前の頭に所有格がついとるんだ?
頭の中に、疑問符が大量に浮かぶ。
陽キャ代表な主人公の変貌と謎の発言に、言葉を失っている私に向かって、ジークは大股で近付いてきた。
私と会い、少しだけ主人公らしさが戻ったためか、お客さんたちもジークだと気付いたみたい。同じテーブルにいる者同士で、
「あれ、ジークフリートじゃないか?」
「本当に魔王を倒すんじゃないかって皆話してたのに……話聞かなくなったから、死んだと思ってたぞ?」
と、ジークを見ながらコソコソと話している。けど皆お酒が入っているせいで声は大きく、筒抜けなんだけど。
でもジークは周囲の反応には目もくれず、真っ直ぐ私の元に向かってくると、お酒のジョッキを片手二つずつ持っている私の手首を掴んだ。あまりの強さに、ジョッキのお酒が零れ、私たちの手にかかってしまった。
咄嗟に文句が口から飛び出しそうになったけれど、目の下にクマが滲み、すっかり爽やかさを喪失してしまった顔がすぐ傍にあったため、短い悲鳴が口を衝いた。
だけど、ジークは私を掴んだまま離してくれない。
私は、知らないうちに滲みだしていた汗が肌の上を滑っていくのを感じながら、声が震えないようにグッとお腹に力を込めた。
「あ、あの手を離して頂けませんか?」
返答の代わりに、私の手首がギュッと絞まった。
こちらを見下ろす彼の瞳から、絶対離さん、という強い意志が伝わってくる。
こんな顔グラ、あった?
魔王と対峙したときですら、真剣でありながらも、どこか希望を感じさせるような――さっさと魔王を倒して帰ろう的な発言をする余裕があったのに、今の彼はどうだろう。この手を離せば世界が滅ぶ、とでも言われたのかと思うほどの気迫だ。
どう見てもこのジーク、おかしい。
本能が告げている。
こいつは、やべーぞと。
もしかすると、今になって襲撃された報復に来た?
とにかく逃げ出さなければ……
膨らんでいく恐怖を貼り付けた笑顔の後ろに隠すと、何事もなかったかのように話しかけた。
「そうですか。とりあえず手に持っているお酒だけは給仕したいので、そのままテーブルまで付いてきてください」
そう言って歩き出すと、私の指示通りジークもついてきた。もちろん、私の手を掴んだままだけど。
ジークを連れてお客さんのテーブルにやってくると、いつものように笑顔で「おまちどおさま」と伝えながら、注文されたジョッキを四つ置いた。
テーブルにいるのは、常連さんたち。
いつもなら私を見ると、
「リタちゃんは働き者だなー」
「いい男、いないのか? そろそろ結婚しないといき遅れるよー」
「俺なんてどーよ、ガハハハッ!」
とジェンダーもくそもない声かけをしてくれるんだけど、彼らはヒィッを声をあげて腰を浮かし、そのうちの一人にいたっては、椅子を引きすぎた拍子にひっくり返ってしまった。
お客さんの視線の先にあったのは、テーブル客たちをものすごい形相で睨みつけるジーク。
親でも殺されたんかと言いたくなるほど、とっても怖い!
どう見ても、魔王とか仲間の敵とかに向ける表情じゃない⁉
街の労働者相手にしていい表情じゃないよっ‼
勇者様から発される容赦ない殺気に、賑わっていた酒場が静かになった。
店内の異常を感じ取ったアボットさん――この酒場の店主――が、私たちの方に向かってきた。
アボットさんは体が大きく腕っ節も強い、この街でも一目置かれている男性だ。
店主の隣には、フライパンを握った女将ローズさんもいる。彼女も、愛用のフライパン戦技で酔っ払いたちを調理してしまうほど強い。
血気盛んで喧嘩っぱやい酔っ払い客たちがいる中でも、店の治安が保たれているのは、彼らのお陰だと言えよう。
フライパンの縁を左手の平に当てながら、ローズさんがジークの前に一歩進み出た。
「その子はうちの従業員でお触りは厳禁だ。溜まってんならそういう店にいきな、ゆうしゃさま」
ローズさんがジークを睨みながら、フライパンを出口に向けた。アボットさんも上腕二頭筋を膨らませながら、ジークに出て行けと言葉なく訴える。
普通の人なら二人の闘志に圧され、ヘラヘラ謝罪するか、捨て台詞を吐いて去って行くんだけど、ジークは二人を一瞥すると、まるで挑発するかのように私の手首を握り直した。
アボットさんたちの眉間に深い皺が寄り、場の空気が冷たくなる。
駄目だ。
このままじゃ、戦いになっちゃう!
私はアボットさんたちを止めるため、必死に訴えた。
「あ、あの、違うんです! こ、この人、私の知り合いなんです!」
なんかジークが「……知り合い?」と不満そうに呟き、背中から発される重苦しいオーラを、更に重苦しくなった気がしたけれど、気付かなかったことにする。
いや、言えんでしょ?
殺そうとしてた相手です、だなんて!
「本当かい、リタちゃん?」
「ほ、本当なんです! ただ私、この人に迷惑をかけてしまったのに逃げてしまったから……」
「そうなのかい? リタちゃんがねぇ……」
殺気立っていたローズさんの表情が、ジークと私への憐れみへと変わり、アボットさんの上腕二頭筋の膨らみもなくなったのを見て、私はホッと胸を撫で下ろした。
アボットさんたちには、本当にお世話になった。
身寄りのない私を雇い、娘のように気にかけてくれた彼らに、私の事情に巻き込みたくはない。
アボットさんたちはとっても強いけれど、ジークはもっともっと強い戦士。もし戦闘になったとき、間違いなくアボットさんたちは負けてしまうから。
私はジークと話したいからと言って、今日はあがらせて貰った。
ちなみに、腰のエプロンと三角巾をとって店の裏口から出るまで、ジークは私の手首を掴んだままだった。
「もうそろそろ、手を離して貰えませんか? 今までの行動を見て、私が逃げないと分かって貰えたと思うんですけど」
店を出て、改めてお願いしてみたけど、ジークは何も言わない。私の発言を信ずるに値するか、値踏みするようにこちらを見つめている。
ジーク……あなた、そんな顔をする子じゃなかったでしょうよ……
はぁっと大きく息を吐くと、私は言葉を続けた。
「もし私が本当に逃げ出すつもりなら、アボットさんたちを止めずに騒ぎを起こして逃げていますよ。これでも……あなたには悪いことをしたと思ってます」
「……本当に、思っているのか? 僕に、悪いことをしたと」
「はい、何も知らなかったとはいえ、あんな酷いことを……」
勘違いで命を狙うなんて、迷惑なんてもんじゃない。
それを私は、適当な謝罪の言葉だけ彼に伝えて逃げ出したのだ。私の生きる希望を持たせるために襲撃を受けてくれていたジークが、怒って追いかけてきても仕方ない気もする。
何故かジークの視線が緩んだ。ほうっと息を吐き出した唇が、それはそれは嬉しそうに上を向く。
「そう……か。僕のことを忘れたわけではなかったんだね?」
「え? あ、はい、忘れたことはありませんでしたけど」
この世界の主人公だし、殺そうとした相手だしね。
ジークがますます嬉しそうに目を細めた。とっても格好いい笑顔なのに、そこはかとなく闇を感じさせるのは、やはり向けられた瞳からハイライトが消えているせいだろうか。
でも疑問は、彼の手が私の手首を放したことで消え去った。
今だ‼
私は大声をあげ、ジークの後ろを指差した。
「あ、あれは何⁉」
「えっ?」
ジークが振り返った瞬間、私は全力で走った。
自分が彼に悪いことをしたのは分かってる。
分かってるんだけど……でもやっぱり死ぬのは嫌だ! もうちゃんとモブとしての役目を全うしているから、見逃してー!
と思った瞬間、私は首の後ろに強い衝撃を受けた。頭がぐらりと揺れ、目の前の景色が歪む。両膝から力が抜けて地面に倒れる寸前、何かが私を抱きしめたため、間一髪、地面にぶつかることは避けられた。
だけど……一体何が起こったの?
何かにぶつかった?
それとも、誰かが――
遠ざかる意識の中、
「また僕から逃げようとするんだ。なら……もう二度と逃げられないようにしないとね」
どこか楽しそうに呟くジークの声が聞こえた気がした。
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