第5話 偽物

 心臓が止まるかと思いました。


「ち、ちがい、ま、す……私は、シャルロッテ・ベーレンズです!」


 精一杯の抵抗でした。

 しかしチェスと名乗った青年は鼻で笑いながら、知られていないはずのシャルロッテ様の容姿や特徴まで、スラスラと仰ったのです。


 どこで知ったのでしょうか? 

 お嬢様はほとんど外に出ることもなく、社交界で顔を知られていないというのに。


 しかしこれ以上の抵抗は無駄。


「お、お願いいたします! どうかこのことは、あなた様と私だけの秘密にして頂けないでしょうか⁉」 


 土下座をし、口外しないようお願するしか、今の私にできることはありませんでした。


 私が責任をとるだけで済むならいい。

 でも問題が、ベーレンズ伯爵家や弟アールトにまで波及してしまっては……


「じゃ、認めるんだな? お前がべーレンズ伯爵家の一人娘、シャルロッテではないことを」

「……はい、認めます」


 私は命令されたとおり、身代わりで嫁いだ経緯をチェス様に、包み隠さずお話ししました。


 チェス様は時々、不愉快そうに唇を歪めながらも、私の話を最後まで黙って聞いていました。


 そして私が話し終えると、


「ベーレンズ家の連中、舐め腐りやがって……娘の顔が知られていないからって、トルライン家を本気で騙せると思ったのか?」


 と、足を組み直しながら大きく溜息をつきました。


「おい、偽物。他に何をベーレンズ家の連中から指示されている? 素直に吐け。でなければ今ここで、何を企んでいるか白状するまで痛めつけてやる。俺は女だからって容赦はしないからな」


 彼から吐き出される言葉の激しさに背筋が凍りました。ですがこの先起きる未来への恐怖を思えば些細なこと。


 明日には、私の失敗がベーレンズ家に伝わるでしょう。


 それによってベーレンズ家は罰を受け、アールトは……


 私は、チェス様の顔を真っ直ぐ見据えました。


「責任は全て私にあります。罰するなら私だけに……あ、そうです! 私が事故死したことにすれば、ヴェッセル様も平和的に婚姻を解消できます! ちょっと私、近くの川に飛び込んできます‼」

「ちょ、ちょっと待て! 何で突然お前が死ぬってことにな――」

「私が身代わりに失敗したとバレれば、ベーレンズ家にいる弟がどうなるか分からないからです! でも私が身代わりだったことをチェス様が黙っていてくだされば、ベーレンズ家も責任を問われず、弟は今まで通り生きていけるでしょう。私は消えますから、どうかこのことは秘密に……」


 最後の言葉を吐ききった時には、視界が涙で見えなくなっていました。だけど私は、秘密にして欲しい旨を再度伝えると、頭を深く下げました。


 どれだけの時間が経ったかは分かりません。 

 私の耳に、大きすぎる溜息が聞こえてきました。すぐ傍に人の気配がします。


「お前、本当にただの身代わりなのか? トルライン家を探るための密偵ではなく?」


 顔をあげると、膝をついて私と視線を同じにされたチェス様がいました。

 粗末な身なりをしているとは思えない、翠色の澄んだ瞳が私を見つめています。私は黙って彼の瞳を見つめ返しながら頷きました。


「……分かった。お前が身代わりってことは、黙っておいてやる」

「えっ?」

「弟を守るために身代わりになったんだろ? トルライン家に害成す存在じゃなければどうでもいい。ま、そのうち婚姻は解消になるだろうし」

「あのっ、ヴェッセル様はご存じでは……」

「言ってはねーよ。それにあいつはお前に興味はない。だから俺が調べてやったんだ」


 チェス様の発言に、心臓が大きく跳ねました。


 ヴェッセル様はとてもお優しい方で絶えず微笑みを浮かべていますが、表情が変わらないのです。


 まるで微笑むだけの人形のようで、初めに感じた優しさが、今は得体の知れない不自然さに私の中で変わっていたのです。


 でもチェス様の発言で納得できました。

 私に興味がないから――


「お前がトルライン家に害を成さない限りは、今まで通り過ごせば良い。でも少しでも、この家に不利益を齎すようなことをすれば……」

「あ、ありがとうございますっ‼ チェス様、御恩は決して忘れません!」

「ってお前、最後まで話をきけっての‼ ったく……あー、わざわざ調べて損した。こんな鈍くさいのが密偵なわけねーよな」


 チェス様はブツブツ呟きながら、髪の毛をガシガシ掻いています。彼の表情がどこかアールトに似ていて、懐かしい気持ちで心がいっぱいになりました。

 ホッとしたせいもあって、思っていた言葉がポロリと口から零れ落ちました。


「自ら怪しい者を調査されたなんて、チェス様はお兄様を、そしてトルライン家を大切に思っていらっしゃるのですね」 

「は、はぁ⁉ こんな家、どーでもいいしっ‼ あんま調子のんなよ⁉ 俺の一言で、お前なんてどーにでもできるんだからな‼」


 唾を飛ばしながら、チェス様が強く否定されました。


 しかし――兄を、家を守るために私を調べ、強い言葉で真実を暴こうとされた。

 今すぐ突き出されて罪人として処されても仕方のない私の事情を汲み、秘密にしてくださった。


 ベーレンズ家で、悪意ある言動に晒され続けてきたからこそ分かります。

 強い言葉の根底にある、思いやりが――


「チェス様。本当にありがとうございます」


 彼は双眸を強く閉じ、何か言いたそうに口を薄く開いては閉じていました。が、大きく息を吐き出して肩を落とすと、


「……うっせーよ」


 ボソッと呟くと、真っ赤になった顔を私から背けました。

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