告白と沈黙

管理人・小谷こたには、朝から部屋の前をうろついていた。

佐伯の死をきっかけに、住人たちの間に不穏な空気が漂っている。


ユカは意を決して声をかけた。


「管理人さん……少し、お話できますか?」


応接室で向かい合うと、小谷はやけに静かだった。

歳は50代前半。薄くなった髪をきちんと撫でつけている。


「……佐伯さんのこと、残念でしたね」


「実は私、ノートを……見せました。あの人に」


その一言で、小谷の目がピクリと動いた。


「そのノート、まだ手元に?」


ユカがうなずくと、小谷は小さくため息をついた。


「私も……それを、見たことがあります。10年前、このマンションに勤めて間もない頃。やはり、203号室でした」


「誰が書いてたんですか?」


「……それがわからない。住人が入れ替わっても、ノートだけは“次の人間”のもとに現れる。まるで、何かを見届けるかのように」


ユカの喉が乾いた。


「じゃあ…ノートの書き手が、佐伯さんを…?」


「いや」


小谷は首を振った。

「ノートの書き手は“観察者”だ。ただの記録者。殺しなんてできない。…たぶん、な」


「じゃあ、誰が…」


「佐伯さんに、恨みを持ってた人間がいたら…それこそ、見えないところから、じわじわと――」


そこまで言ったとき、ドアがノックされた。


来客は、同じマンションの304号室に住む男・岡島おかじまだった。

笑顔の裏に、どこかよく見ないとわからない薄い違和感があった。


「失礼、騒がしくて気になって」


彼はちらりとユカを見たあと、こう言った。


「佐伯さん……よく、夜に何かメモしてましたよ。窓辺で。こちらから丸見えでね。クセになるくらい、規則正しい手の動きでした」


ユカの心臓が跳ねた。


――見ていたのか。


小谷が静かに尋ねた。


「あなたも……“ノート”を?」


岡島は、微笑んだまま首を振った。


「ええ、違いますよ。ただ、他人の記録を眺めるのって、不思議と安心しませんか? 自分じゃない誰かの、決まった毎日を見るのって」


その瞬間、ユカは背筋が凍った。


「まさか……あなたが…」


「ノートは書いてません。僕は、ただ――」


岡島は言った。


「邪魔だったんです。203号室の人間は、いつも気づく。ただそれだけですよ」


静かに語るその声に、怒りも狂気もなかった。ただの“理屈”だった。


ユカの手が震える。岡島の目が笑った。


「あなたも、気づいちゃったんですね。だったら、きっと……次ですよ」

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