第30話 サリナとカッシング侯爵の自業自得
カラハン第一王子はローズリンがサロンのソファで、うつろな瞳でよだれを垂らしているのを見て、驚いたと同時に呆れた。カラハン第一王子は、アナスターシアの薬草園を蛇が守っていることは聞いていたし、ローズリンには盗み癖があることも以前の痔用薬事件で知っていたからだ。
「サリナ様が私に『蛇を殺して!』と言うのです。アスクレオスは私の研究室と薬草園をローズリン様から守っただけなのに。それから『そんな危険な動物などカッシング侯爵家で飼わないでちょうだい』とも言われました。ここにはもう住めませんわ」
「だったら、エメラルド城で暮らせば良い。すでに婚約発表は済んでいる。父上に事情を話せば反対しないし、結婚を早めてくれるかもしれない。アスクレオスは少しも悪くないよ」
アナスターシアを追い詰めるつもりだったサリナは、逆にアナスターシアを嬉しそうな笑顔に変えただけだった。
「嬉しい! これからはずっと側にいられますわね! サリナ様。私、カッシング侯爵邸から出て行きますわ。お父様にはサリナ様が私を追い出したと、きちんと報告なさってください。伯父様にも伝えなくちゃ。カラハン様、今すぐエメラルド城に行きたいです」
「いいとも。研究室や薬草園もエメラルド城の庭園に移さなくてはいけないね。早速、手配をしよう。継母に出て行けと言われたら、出て行くしかないからね」
カラハン第一王子も朗らかに笑いながら、明るく声をはずませた。
ようやく、サリナは自分がとんでもないことを言ってしまったことに気がついた。第一王子妃になる英雄の姪を追い出したことが広まれば、どんなことになるのか想像してみたのだ。
もう二度と王家主催の舞踏会には行けない。貴族たちが開く夜会にも招かれなくなるだろう。多分、お茶会に誘ってくれる友人もいなくなる。そして、カッシング侯爵はきっと烈火の如く怒るだろう、と。
(まずい、とてもまずいわ。私のカッシング侯爵夫人としての立場がなくなる。どうしよう?)
悩んでいるあいだに、アナスターシアは身の回りの物を簡単にまとめて、カラハン第一王子と出て行ってしまった。アナスターシア専属の使用人たちもカッシング侯爵邸から出て行く支度をしている。いや、荷造りをしているのはアナスターシア専属の使用人ばかりではなかった。他の使用人たちも続々と屋敷から出ていこうとしていたのだ。
「カラハン第一王子殿下とアナスターシアお嬢様を敵にまわしたカッシング侯爵夫人のもとにいたら、とばっちりを食うだけよ。アナスターシアお嬢様はカッシング侯爵も嫌っておいでだしね。カッシング侯爵夫妻はどんどん落ちぶれていくはずよ。他の働き先を見つけましょう」
「アナスターシアお嬢様を頼ってみましょうよ。とりあえずはエメラルド城に行ってお願いしてみない? 他で働くにしても紹介状を書いてもらわないといけないし。第一王子妃になるアナスターシアお嬢様の推薦状のほうが何倍も価値があるわ」
そんな使用人たちの会話があからさまに聞こえ、サリナはがっくりと肩を落とした。
この日のカッシング侯爵は夕方近くまで寝ていた。昨晩のお酒が残っていて、二日酔いのうえに腰まで痛かったのだ。目が覚めると使用人が一人もいない。サロンにはローズリンとサリナが呆然と壁を見つめながら、ブツブツと独り言をつぶやいていた。
「いったい、なにがどうなっている? 説明してくれ」
「ローズリンがアナスターシアの研究室に忍び込んで毒蛇に噛まれたのです。それで、私が毒蛇を殺せ、と言って・・・・・・」
サリナは今までの経緯を説明した。
「それでアナスターシアはどこに行った? マッキンタイヤー公爵家か? わしはマッキンタイヤー公爵に殺されるぞ。なにしろ、アナスターシアを溺愛しているからな」
「カラハン第一王子殿下に連れられてエメラルド城に行きましたよ。使用人たちは全て辞めていきました。私たちには未来はないって。カラハン第一王子は『継母から出て行けと言われたら出て行くしかない』と楽しそうにおっしゃいました。国王陛下にも報告するそうです。私はもうお終いだわ。社交界から追放されるのよ」
カッシング侯爵はショックのあまり、実際に寝込んでしまった。しかし、仮病を繰り返してきた過去のせいで、誰も本気に受け取らず、見舞いに訪れる者は一人もいなかった。
これ以降、カッシング侯爵夫妻は社交界から完全に締め出され、孤独な生活を送ることを余儀なくされた。さらに、いくら使用人を募集しても、誰一人として集まることはなかったのである。
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