旅する自転車
三八式物書機
第1話 赤いランドナー
中学校を卒業した。
特に目立った記憶は無い。
地味で普通の自分はそんなもんだと悲観していた。
橋本洋子は真新しい高校の制服を前にして、そっと中学校の卒業アルバムを閉じて、本棚の奥底に閉じ込めた。
新しい高校には中学時代の友達は誰も居ない。
敢えて、それを選んだ。
地味で普通な自分の過去を捨てたかった。
高校で新しい生活が開けるんじゃないか。そんな気持ちだった。
そんな時だった。
訃報が訪れる。
叔父が亡くなった。
心臓発作だったらしく、独身だった叔父は孤独死をしていた。
唯一の肉親である父に連れられて、遺品整理に向かった。
叔父は世界を飛び回るフォトグラファーだった。
名古屋の中心街にあるタワーマンションに家があった。
フォトグラファーとしての仕事場も兼ねていたので、撮影機材や編集用のパソコン機材、写真や写真集が多くあった。
「作品などは弟と関係していた出版社さんなどが引き取ってくれるようだけど・・・機材などは業者に引き取って貰うしかないな」
高価なパソコンやライトなどの撮影機材は業者に引き取って貰う事になった。世界中を飛び回る事が多かったせいか、あまり私物は無かったが、ふと部屋の片隅に真っ赤なフレームの自転車があった。
「パパ。あれは?」
洋子はその自転車が気になった。
「あぁ・・・それは隆が旅に出る時に使っていた自転車だよ。確かランドナーと言ったかな」
「ランドナー?それがこの自転車の名前なの?」
「あぁ、そう言っていた。何でも荷物が積めて、キャンプだって行けるそうだ。国内を旅する時はよく、それに乗っていたみたいだよ」
「荷物を積めるの?」
洋子は自転車をマジマジと眺める。
真っ赤なフレームの自転車には荷台があった。普段、街で見掛けるスポーツバイクとは異質な雰囲気が漂っていた。
「私・・・これが欲しい」
「そうか・・・まぁ、高校まで自転車で通学しないといけないしな」
そうして、叔父の遺品である自転車を手に入れた。
「だったら、これも一緒にどうだ?」
父は一つのリュックサックを持ってきた。
「なに・・・それ?」
「隆が仕事以外で旅する時に使っていた物だよ」
父はリュックサックを開く。「ロープロ」とロゴの入ったリュックサックの中身はニコンのデジタルカメラと数本のレンズにストロボやフィルターの機材だった。
「あとはこの一脚と三脚かな。これだけあれば、写真は撮れるだろう」
「なんで・・・カメラ?」
洋子は不思議そうに父に尋ねた。父はニコリと笑った。
「なにか・・・特別な事をした時はそれを残したいだろ?」
洋子は手にしたニコンZfが特別な何かに見えた。
叔父さんの遺品整理が終わり、マンションの部屋は売り払われた。
借金が無かったどころか結構な財産を遺したのは叔父がどれだけ有能なフォトグラファーであったかを知る切っ掛けになった。
世界中を旅して、多くの美しい風景や不思議な光景を写し続けた叔父。
興味が無くて、今まで、見る事も無かった叔父の写真集を改めて、見て、洋子は偉大さを知った。
日本では決して見る事が出来ない美しい景色。
知らない世界を旅して回った叔父の事を知ると、なんだか羨ましくなってきた。
自分は今まで、狭い世界だけに生きていた。
新しい世界へと飛び出す勇気などなかった。
ただ、平凡で退屈なだけの世界で満足していた。
洋子は写真集を見終えると、不意に叔父のカメラを手にした。
使い方はまだ、覚えている最中。父はそんなのは使って覚えるものだなんて言うけど、やはり、叔父のような写真を撮ってみたい。だから、懸命に説明書を読む。
翌日、自転車を近所の自転車屋に持ち込んだ。
普通の自転車屋さんだと整備は難しいかと思い、ロードバイクなどのスポーツバイクを扱う専門のお店を選んだ。
店主は禿頭のおじさん。
おじさんは突然、入って来た少女を見て、白い歯を見せて笑顔になる。
「いらっしゃい」
「あの・・・自転車を整備して欲しくて」
「良いですよ。自転車は外ですか?」
「はい」
簡単なやり取りをするとおじさんは店の外に出て来た。
「ほぉ・・・これですか?」
おじさんは自転車を見て、驚いた顔をする。
「無理ですか?」
「いやいや、自転車なんて、余程じゃないと無理はありませんよ」
「本当ですか?」
洋子は整備をして貰えると思って、ほっとする。
「だけど、珍しい自転車に乗ってるね」
「珍しいですか?ランドナーって言うんですけど」
「ランドナーね。タンクとかいろいろな言い方があるけど、あまり一般的に販売されている形式じゃなくてね」
「一般的に売られていない?」
「あぁ、普通の自転車ってのは工業製品だから、こうして、いくつも同じ物が売られるんだけど、ランドナーはそれほど、数が出るモデルじゃないから、大抵は既存の自転車を改造するか、オーダーするんだよ」
「オーダー?」
「あぁ、フレームから作って貰うのさ。無論、パーツなどは製品を流用するけどね。そうすることで、こうして、荷物が大量に積めるように出来るんだよ」
「これはオーダーなんですか?」
「いや、これは改造車だね。フレームが昔の快速車なんて呼ばれていたモデルのを使っている。誰かから譲って貰ったのかね?」
「はい。叔父の遺品でして」
「そうか・・・その人は余程、解っている人だね。改造車だけど、丁寧に使っている。しばらく、使っていなかったみたいだから、少し、整備が必要だね」
「自分でも出来ますか?」
洋子は不安そうに尋ねる。
「ははは。自転車は自分で整備するもんだよ。特にこいつは自転車屋も無いような遠い場所へと連れて行ってくれるんだ。どこでもこいつを走らせられるように出来ないとな。よし。教えてあげよう」
おじさんは自転車を店内に持ち込み、パンクの修理からブレーキの調整、自転車の解体、組み立てなどを丁寧に洋子に教えてくれた。
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