12 取り戻した記憶
――グレンへの襲撃は二度あった。
記憶喪失となったのは二度目の襲撃。
一度目は、記憶喪失の一ヶ月前で。
まだ、グレンとリゼルの距離が月と太陽よりも遠かった頃のことだ。
『旦那様!?』
その日、血だらけになったグレンと玄関ホールで行き合ったリゼルは、悲鳴をあげて駆け寄った。
彼は至る所に傷を負い、自力で歩けているのが不思議なほどだった。騎士服は泥に汚れていて、あちこち破けている。
だがグレンは不機嫌そうに眉根を寄せると、冷たくリゼルをあしらった。
『放っておけ。これくらいは怪我のうちに入らない』
『そ、そんなわけには参りません』
鋭い眼光に怯んだものの、リゼルもはいそうですかと引き下がるわけにはいかなかった。どう見たって怪我の範疇である。慣れ親しんだ手つきで髪を一本抜き、回復魔法を発動させた。
リゼルの両手に光が集まり、それがみるみる怪我を治していくのを目の当たりにして、グレンは目を見張った。大人しく治療を受けてくれたので、リゼルも安堵する。
聞くと、魔獣退治の最中に、唐突に興奮しだした魔獣の鉤爪に引っ掻かれたという。
『コーネスト家をよく思わない政敵か、あるいは他の何かか。何でも構わないが……』
忌々しげに舌打ちするグレンを治療しつつ、リゼルはじっと考えこんでいた。頭には、つい先日、異国の魔法書をもとに開発した魔法が思い浮かんでいた。
『あの、旦那様』
おずおずと言うと、グレンは無言でリゼルを見据えた。酷薄な目つきに怖気付きそうになるも、勇気を奮って、リゼルは訴えた。
『旦那様に保護魔法をかけてみてもよろしいでしょうか……?』
グレンが双眸を瞬かせる。真面目な顔のリゼルと、たった今治ったばかりの傷口とを見比べてみて、怪訝そうに柳眉を寄せた。
『何だそれは』
『ええっと、マギナの保護魔法とは本来、物理的な障壁を作成するに過ぎないのですが、それに異国の系統である交換魔法と反射魔法を組み合わせることによって、魔法による攻撃も防ぐことができ』
『わかった。俺にはわからないことがわかった』
目を輝かせて早口になるリゼルをグレンが片手で制する。それからつくづくとリゼルを眺め、
『俺も魔女については調べたが、魔法には代償がいるんじゃなかったのか』
『し、調べられていたのですか? えっと、そうですね。基本的に、代償が重ければ重いほど魔法の効果は高くなります』
軽い驚きとともに首肯すると、グレンが鼻で笑う。
『それで、俺は一体何を求められる? 金か? 命か? 魂か?』
『いえ、特に旦那様から何かをいただこうとは思っておりません』
本心だった。リゼルは別に、グレンの歓心を買おうとして申し出たわけではない。ただ大怪我をした人がこれからも危機に陥るというならそれを阻みたかったし、思いついた魔法を実際に使ってみたいという欲もちょっとだけあった。
リゼルは微笑み、緊張と期待にどきどき鳴る胸元に手を当てて言った。
『この魔法には、私の幸せな記憶を対価にしようかと思います』
グレンの目が大きく見開かれる。
『どういう意味だ。お前にとっては大切なものではないのか?』
『その通りです。だからこそ、魔法の効果も強くなる』
迷いのない頷きに、呆れたようにグレンが首をふる。
『そんなことを言われても信じられるか。友人や家族のことも忘れるかもしれないんだぞ。やめておけ』
それから言葉を切り、少し躊躇った後、探るような眼差しを向けてきた。
『お前は別に、俺を愛しているというわけでもないのだろう』
『はい、ちっとも。でも、目の前で困っている方を放っておくこともできません』
これまた迷いなく頷けば、グレンはますます不可解そうに目を眇める。事実を言ったが正直すぎて失礼だったかと、リゼルは慌てた。
『だ、大丈夫です。私にはあまり幸福な記憶というものがないので。そう惜しまれることでもありません』
眉を下げて笑う。グレンが息を呑んで、じっとこちらを観察するような気配を漂わせた。
『それに、記憶を代償にするのは初めてで……ちょっとやってみたかったんです』
とんでもないことを宣う変な魔女を前にして、グレンは言葉を失くしている。その隙に、リゼルはえいやっと、本当に気軽に――何でもないように、魔法をかけた。
(私なんかの記憶を惜しむなんて、旦那様っておかしな方! ……でも、もしこれで旦那様をお守りできたら……私が嫁いだ意味も、きっとある)
最後に、ほんの少しだけ、胸底にくすぐったいものを感じて。
「あ、それと、もし私の記憶を戻す必要があったらですね――」
そうしてリゼルは全てを忘れた。
この屋敷に来てから、魔法をかけて回ったこと。
それから。
グレンを守ったことを。
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