在りし日の幻影

梁瀬 叶夢

第1話 夢の残滓

異質。私がそれを最初に見た時に感じた印象は、異質だった。

それは模試の帰り、昼下がりのことだった。私は突き刺すような太陽のもと、学校から駅までの道のりをゆっくり歩いていた。人生初の模試で、初手の英語ペース配分のミスと最後に訪れた地獄の数学80分に脳みそが満身創痍となり、気だるい疲労を強く感じていた。午前だけのテストだったのに、頭が七時間授業を乗り越えたとき以上にとにかく重い。早く帰ってゆっくりと眠りたかった。

でも、この暑さじゃ眠気もどこかへ飛んでいってしまいそうだ。清々しく夏らしい、この青空。眠って過ごすには少しもったいなく思える。

昼の街はなんだかとても新鮮だ。いつも部活で夜遅く、時には21時くらいにこの駅前通りを歩くから、こんなにも明るい街は入学して以来かもしれない。今まで暗闇に紛れて見えなかった部分まで見えて、あぁここにはこんな店があったのかとか、ここにはこんなものがあったんだとか、新しい発見がたくさんあった。

今日とくに目についたのは植物、花だった。夏へと近づくこの季節、陽の光を受ける花は美しく、綺麗。店や家の花壇に植えられた花たちが、この駅前通りを華やかに彩っている。

そんな中、ふと顔を上げると例の建物が見えた。

市街地という味気のない街並みの中に佇む、まるで魔女の家のような建物。赤レンガで囲まれ、その上をさらにツタ系の植物が覆っている。多分、この家が建てられた時は赤レンガが美しい家だったのだろうが、ツタで覆われる面積の方が大きい今となっては、怪しいというか、やはり異質という言葉が似合う状態だ。

きっと森の中なら周りの景色に溶け込み、こんな印象を与えずに済むのだろう。しかし、コンクリートのビルや淡色系の家で囲まれた中では一際異彩を放っていて、浮いた存在に見える。例えるならば、白いテーブルナプキンについたケチャップのシミのよう。

でも、これはこれでなんだか、好奇心をそそられる。

その家はこの駅前通りから少し外れたところにあり、ここからではその家の一角しか見ることができない。いや、むしろ一角しか見えていないのにこの異質さを放つのは異常じゃないか?

私は大いに迷った。今日は昼で学校が終わり、帰宅している途中で見つけた異質。

寄り道は御法度だし、電車の時間もある。でも、やっぱり気になる。この突き動かされるような好奇心を裏切ることはできない。だって、そうでしょう?いつだって人を突き動かしてきたのは、なんでもないその些細な好奇心なのだから。

というか、なんで今の今まで気づかなかったのだろう。いつもと違う点といえば、今日はなんだか気分が良くて顔を上げながら帰ってることくらいだ。いつも重いリュックを背負ってるから、自然と前傾姿勢になって視線も下に向かちゃうのよね。

そうこう色々と悩む私の後ろをいくつもの足音と話し声、笑い声が通り過ぎていった。その声の中に、佇んだまま動かない私を笑うものもあった気がするが、そんなものはどうでもいい。些事なことだ。

それよりも立ち寄るか、見過ごしてまたの機会にするか、である。正直、この機会を逃すことは気が引けた。その理由はわからないが、一番にあるのは私の飽き性だと思う。私はそれをコンプレックスに思っているから、思い立った時に動かないと後悔しそう。

昼下がり、夏へと差し掛かるこの季節はジメジメとした重く暑い空気が立ち込めている。風も吹いておらず、涼しさのかけらもない。頬を何粒もの汗が流れ、顎の先から滴り落ちていった。

とりあえずどこでもいいから涼みたい。私の思考は一時そちらへと移ったが、再びあの家へと向かう。

例えば、あの家が何かのお店だとしたら。それならあの異質さにもある程度の納得がいく。それに、何よりもこの暑さから抜け出すことができる。あの家を覆うツタの緑が涼しそうな雰囲気を醸し出していた。

こうなったら迷ってはいられない。私は小走りで赤レンガの家へと向かった。


赤レンガの家まではすぐだった。こうして近くで見ると、思っていたよりも建物は年季が入っており、どこか寂しさというか、物悲しさを漂わせている。それとは対照的に、中の様子はとても賑わっていた。それに、中から人が次々と出てくるのを見ると、やはり何かのお店のようであることがわかる。私はなんのお店だろうと屋根の下につけられている看板を見た。

ときわ湯

スーパー銭湯かぁ…これじゃあねぇ。

私は少し落胆し、肩を落とした。奇抜なカフェか何かだと期待してたんだけどな。そっちの方がひんやりとした飲み物とか、食べ物とかあるだろうし、また来やすいしね。

それに、この暑さでわざわざお風呂に入りに来るってどうなの?と思ったが、気づいた時には日が落ち切っており、だんだんと冷え込んできていた。それでもまだ熱気は残っているけど。

だから出てくる人はおそらく、無類のお風呂好きか、はたまたこの銭湯がこのあたりに住む人のコミュニティの場となっていて、集まっていたのか。私はそう考察した。

私はまた少し迷ったけど、せっかくだし、少し涼んでいくことにした。扇風機くらい回ってるでしょ。一期一会の出会いがあるかもしれないしね。

そして私は思い切ってときわ湯の暖簾をくぐった。その引き戸を開いた瞬間、眩い光が私の視界を覆った。

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