不名誉な記念日の深夜にて。

キコリ

不名誉な記念日の深夜にて。


――――健康な時の自分になることができたら、何をしたい?


 時折、自分自身にそう投げかけている時がある。

 1K6畳のアパートは、自分1人で思い悩むには丁度良すぎるスペースだ。どうしようもない―――全くもって答えがないような――――問いを考えるには充分で、ふと深海に沈み込むような感覚を持ちながら、変われない自分自身と対峙している。




 そんな時、ふとカレンダーを見ながら気づいた。

 体調不良になって、そろそろ5年なんだね。




 きっかけは些細なことだった。部活のトラブル、とある大きな台風の被害が偶然重なり、心がポキっと折れてしまった。


 たったそれだけのことだ。


 ただ、「たったそれだけのこと」で背負った症状は、なぜか5年という時間をかけても完治せず、これを書いている今も自分も背中でゆったりとご健在だ。全く、そろそろ居心地が悪くなってもいい頃なのにな。笑


 当初は「自律神経・交感神経・副交感神経」 なんて言葉も知らずに病院を転々とし、それが「某長い漢字名がついた症状」であると伝えられて認知したのは、大学に入ってからだった。既にかかりつけの病院をいくつか抱え、その場しのぎで薬をも転々としていた時だった。

 何も分からず不透明で真っ暗な「名前もない不調」に名前がつくと、人間は意外と冷静に「あ、そうだったんだ。」と落とし込むことができるようだ。まるで、名前のない自分に誰かが名前を付けて存在を認めてくれたような、そんな安堵にも近い感覚を確かに覚えた。


 ただ。

 そこから数年経った今でも、自分は名前の付いた「某長い漢字名がついた症状」と共存して生活をしている。あの時感じた安堵はどこへ行った。笑


 大学に入学してからしばらくは、「病気」(漢字が怖いくらい多いので、省略する)を抱えながら「健康な人のフリ」をしていた。まるで「健康な誰か」を演じている俳優のような生活は、病気を治すどころか悪化の一途をたどるだけだった。さらに心が折れて、授業やサークルをお休みせざるを得ないような状況になりかけた。

 逆に、演じるのを止めて「バリバリ体調崩すことがあるよ!」という人として生活を始めると、意外と生活は楽になった。今まで唯一の安堵できる場所だった実家の他、大学でも支えてくれる友人や後輩が、少しばかり増えた。ただ、それはそれで「この人は体調不良なんだね。」というレッテルを自分から提供しているような気がして、段々と胸を締め付けていった。見事、動悸という症状が追加された。当時の恋人には体調不良を理由で遠ざけられ(何も言われなかったけれど、多分こういう原因もあると思う。あくまで予想の1つだから、もしこれを見て該当すると思った人は、本当の理由を伝えに来てくれ。)、友情も上手くいかなくなると、いわゆる友情や愛情に一切の自信がなくなった。自分は、きっと明るみにしすぎてしまったんだと思う。確かに自分の中に巣くう「病気」は、確かに何かを失わせた。


 (ここまで書いたら、悲しくなったきた。)


 そんなある日、自分がまだ「100%健康な人」だった時に親しくさせてもらった友人が、急逝したとの知らせを受けた。持病があったそうだ。

 当時、友人として彼女と接していた時は、あんまりにも自然と生活に溶け込んだ彼女を見て、自分自身が不安を感じることがなかった。そこには、ここで語ることはできない程の不安に打ち勝とうとした彼女の強さと、彼女の素敵な人柄があったんだと思う。高校卒業後はSNSでお互い認知するのみまで遠ざかってしまっていたが、今思うと青春を共にした数少ない友人だった彼女の存在は私の支えだった。若干20歳で旅立つことになった彼女のことを、自分は絶対に忘れない。


 その彼女が、ふと最近、自分の脳裏に何度も表れた。最期に見た表情と自分が感じた虚無感がセットになったワンシーンが、映画のスクリーンにパッと映し出されるように脳内再生される。病気が悪化の一途をたどっている自分にとってそれは、何かのお告げなのかもしれない。もう、大切な誰かを失うことはしたくないなと思う。それに、大切な友情や愛情を温め続けられる人になることを、諦めたくないなとも思う。




 そろそろ5年が経過しようとする今、自分は長く付き合っている「病気」がすぐに完治することはないと思っている。外出することは苦手だし、暑さも苦手だし、立ち続けることも苦手だし、食事を他の人ととることも苦手だ。他の人に比べてできないことは沢山ある。「傷モノ」・「訳アリ」というカゴに、無造作に入れられた商品のように、私自身もそう思われているのだろうと思う。仮に治す方向で行動するのであれば、自分は大学を辞め、就職も諦め、実家に閉じこもってゆったりと過ごすことになる。自分はまだ、この「病気」を持ったまま、理解のある人・理解のない人との間に挟まれながら、自分らしく生活することで自分を表現するしかないのだなぁと、6畳のアパートで今も考えている。

 ただ、ネットで調べると、自分の「病気」は工夫次第で「絶対に治る」ことは書いてあるし、かかりつけのお医者さんも言っていた。それだけで、世界の誰かにとっては「羨ましい」のかもしれない。いや、そう思われるだろう。

 自分以上に「病気」や、「壁」を抱えて、生きづらい世の中で生き方を模索している人は、ごまんといる。なんなら、「そんな症状だけで病気を名乗るなよ」と言われそうだなと、恐怖をも感じながらこれを書いている。自分は、「たったそれだけのこと」で「たった10個程度の症状」を持つことになった学生に過ぎない。

 いつか、自分は体調を理由に失った「何か」を、もう一度手のひらで握り、手放さずにいられるのだろうか。つい深夜に考えると、悲観的になってしまう。

 だけど、失うことを恐れてもいけないとも思う。むしろ、今まさに「病気」を持つ自分に近づいてくれる「誰か」を大切にした方がよいと思う。もはや体調不良になり過ぎて短命だと思っているからこそ、身近にまだ存在してくれている「誰か」を幸せにしたいし、私自身も、その「誰か」の支えになりたいなと思う。




 そんなことを考えていたら、いつの間にか深夜1時を回っていた。

 いつもの癖でInstagramのストーリーを見ると、今日も幸せそうなカップルがツーショットを上げていたり、友達同士で旅行に出かけている写真が流れて来たりした。さらにXを見ると、知らない誰かが彼氏の惚気たお話を丁寧に投稿していたり、誰かの友達事情・恋愛事情を知ることになったりした。彼ら・彼女らも、そんな幸せな投稿をしながら、何かに苦しんだり悩んだりしているのかもしれない。ただ、切り取られたその瞬間は、自分にとっては眩しい以外の何物でもない。くっ、なんでこんな幸せそうなんだ。もっと幸せになってくれ、じゃないとスマホをぶん投げそうだ。

 私も、彼ら・彼女らのように、こんな世界線を辿る「その日」が来るのだろうか・・・・とりあえず、スマホを思わず伏せてしまう感情とともに願おうと思う。


 今日も、自分は5年を経過しそうな「病気」を持ち、確かに生きている。


 まだ、全てを諦める時ではないような気がする程、これを書き終えた心は温かい。




――――健康な時の自分になることができたら、何をしようかね。




                   終

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不名誉な記念日の深夜にて。 キコリ @liberty_kikori

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