騎士と従者の諸事情

夏目孝太嘉

第1話

 西方に広がるノモルシス【未知らぬ大地】。そこから北に、ごつごつと岩の転がる荒れ地を越え、さらに天を突く岩山を越えた先に肥沃な大地が広がる。

 そのユールフェル・ノーシスと呼ばれるその領域に、人間は増え、文明を築き、国々を成り立たせ、そして争っていた。




 春の陽光が暖かくそそぐ日。

 とある館の豪奢な庭園の一角で、木剣を無心に振る少年の姿があった。剣の修練などより、貴族の令嬢たちが茶会を催すのがよほど似つかわしい整えられた庭で。

 息を弾ませながら気を吐く声は、まだ声変りを迎えてないようで、やや甲高い。木剣は身丈に比べて長く、これが本物の長剣であるならば、剣の重さに振り回されているに違いない。金色の髪を汗にぬらして、一心に剣を振る姿は、まだ線も細かった。

「ユ…、ユーシス」

 館から姿を見せた貴婦人が、我が子の名を一度言い淀み、意を決して呼びなおした。

「ご安心ください母上、必ずや騎士の叙勲を受け、この家の家督を継ぐことを国王陛下に正式に認めさせて御覧に入れます!」

 少年は意に介さず、素振りを続けた。母は、手巾で目じりを押さえて、感情を殺した。

 レイハウト伯爵家、出征を七日後に控えた日のことである。




 三か月後、アンベルヌ山塊の森深く。国境守備隊の野営地にユーシスの姿はあった。

 森と水の豊かな山地に領土を有するラウデン王国が、しばしばこのアルセド王国への国境を侵すようになった。侵入と退却を繰り返すラウデン王国に対して、アルセド王国は一時的な防衛拠点として、二年前より森を切り開いて野営地を敷き、半年おきに交代で騎士団を防衛の任に就かせている。

 主教暦五百二年、この春からの防衛任務に就く第四騎士団に参陣すべく、レイハウト伯爵家は、先代当主ハモンドの子、ユーシスを出征させたと当時の記録には残る。  

 ハモンドはこの冬に病没し、ユーシスがただ一人の後継である。レイハウト家は、伯爵という高位にはあれども、武門ではなく、芸術と交易に財を注いで成り上がった貴族である。そして交易の失敗と領地の飢饉によって没落し、もはや従える騎士はひとりもおらず、ユーシス自身、年若く騎士叙勲も受けぬ従者待遇だ。軍においてはただの一兵卒と変わらない。少年兵は戦力として役立たず扱いされても仕方ない。古参の兵らからすれば没落貴族の子弟なぞにかまける暇はなく、戦死してから初めてお貴族様だったと気づかれてもおかしくはない。伯爵家という家門を利用したい、利用できる地位にある人間が、気に掛ける可能性はあったが、しかしレイハウト家にもはやその価値もなかろうとユーシスは踏んでいた。だから、ほかの貴族の子弟が持つような行き過ぎた自尊心を振りかざすつもりもなかった。

 料理番に余った食材をしまってくるようにと命じられれば、平民の従者と同じように働くことを厭いはしなかった。要するに、戦場以外で目立つような真似をするつもりなぞ毛頭なかった。

 木箱を抱えて料理番に言われた天幕の暗がりへともぐりこむ。木箱を揺らすと、箱に収まった芋から、まだまだみずみずしい土の香りを放った。料理番によると、今宵の夕食を調理した余りだそうだ。土のにおいは嫌いじゃない。

 夕闇に影を濃くする天幕の中、足元を確認しながら木箱を丁寧に収めていると、急に何者かが背後からユーシスの口をふさいだ。敵? 手の届く距離まで近づかれて気配を察知できないなんて、己の失態に歯噛みする。いや敵襲ではない、が、自分に害なすものには違いない。

 こういうことがないように、身の置き場には気をつけていたのに! 

 ユーシスは自陣の真ん中のひと気のない天幕で、こうした状況に遭遇する別の理由に、思い当たっていた。騎士と従者には、つまり男同士でそうした関係を持つ者たちもいるという。しかも、家に帰れば妻を普通に愛しながら、である。それとは別の強固な絆を育むのだ、と、さも良いもののように語る者さえいた。その関係の始まりが、いささか乱暴なきっかけである場合があることも、一つの作法だなどと耳にしたこともある。ユーシスは自分の口を覆う大きな手とその力強さから、彼我の戦力差を思い知って即座に反撃した。が、放った肘打ちは、あっさり手首をつかまれて封じられ軽い絶望感に襲われる。

(待て、落ち着け!)

 背後の男が耳元に囁く。誰が落ち着いて敗北を受け入れられるだろうか。じたばたと暴れるユーシスを男が制圧しようとした瞬間、ユーシスの最も敏感な場所を男の手が触れてしまった。あっ、と情けない声が漏れるのを必死に抑えた。さらに慣れた手つきで衣服をずり降ろされていく。ユーシスが自分の状況を把握したそのとき、下半身の後ろから下腹部に、ずんと思い異物感が貫いた。

 刹那ののち、ユーシスは、少女のような悲鳴を上げた。




「なんて妄想だ……」

 翌朝、自分の天幕の下で騎士アルドは己の思考の暴走に羞恥してぼやいた。

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