1967年冬 合同自主トレ 

『吉田監督、前原コーチ、実は』


 秋季キャンプが終わり、オフシーズンとなる時にシュトロハイムは自主トレーニングの話を首脳陣に持ちかけた。


 吉田は自主トレーニングで場所を貸してほしいと言うシュトロハイムの言葉に市民球場の使用権利を伝手を使って持ってくるからと球場を使っても良いと言う許可を与える。


 それと同時に、その参加者リストの中にドラフト会議で取ったばかりの大星の名前が載っているのに疑問を持った。


『実は』


 シュトロハイムはプロアマ規定を破って衝動的に大星の母校に夜挨拶に行った事を話した。


 吉田監督はバレてないのであれば大事にする気は無いし、新人合同練習(1月から行われるドラフト入団組の春季キャンプ前の練習会)の前に大星を参加させるのは問題になるのではないかと思ったが、大星が球団に対して契約合意を既に結んでいることで今はプロとアマの境界線にいる為、合同自主トレならグレーゾーンであるが、抵触するとしても次から記載されると思うので


「マスコミとかにバレないようにしろよ」


 と言うに留まった。


 それと同時にシュトロハイムは大星に大きな期待をしていることを感じ取り、ドラフト下位の地元の掘り出し物枠であるが、もしかしたらと思うようになる。








 そんなシュトロハイム主催で11月から始まった合同自主トレは若手選手12人が集まり、来季に向けた奮起を誓い合った。


 1年チームで過ごし、燻っているとか成長の余地が大きい選手ばかりである。


 投手は宮永以外に園城寺と西園寺の両方園と寺が付く若手の選手を誘った。


 キャッチャーは昨年唯一大学生でドラフトに選ばれた安田と二番手の三好が招集され、残りは内野外野の選手を集めた。


『食事代は年俸が上がったメンバーが負担する。大星君だけ実家から通うことになるが、とにかく来シーズンこそは優勝ができる戦力を得るために頑張ろう』


 とシュトロハイム主催の合同自主トレが始まった。


 行う練習は近代野球で効果が立証されている練習が殆どで、素振りよりもトスバッティングや筋トレを重視し、シュトロハイムが細かい修正点を指摘していく。


 食べる、筋トレをする、しっかり休む、そしてシュトロハイムなりの野球理論を休む間に座学として叩き込んだ。


 シンキングベイスボール。


 考える野球であり、1960年にいち早くこれを導入し、チーム全体で勝つ野球を実践したのが東京ナインズであり、これの後を追う形で1970年代より他チームも取り入れていった日本野球の転換点であり、これが後の日本野球の基本となるスモールベースボールに繋がっていく。


 現代では当たり前の守備シフトやベースカバー、ヒットエンドラン時に遊撃手か二塁手のどちらが二塁に入り、走者をタッチする役割かを見極め、左右どちらに打ち分けた方が進塁及び打者のセーフになる確率が高いか等のより高度な次元の野球を取り入れようとした。


 シュトロハイムからしたら近代野球では小学生でもやってることができてないため、それを行うだけでも戦力の向上が期待できた。


 シュトロハイムの打撃や守備力を僅かな期間で吸収するのは難しいが、連携守備だったりスクイズや送りバントを必ず決める等の練習は短期間の練習でもある程度はモノにできる。


 そして特に大星にはシュトロハイムがマンツーマンで打撃を教え込み、大星はシュトロハイムの打撃理論を元に打撃フォームを改良し、引き付けてからレベルスイングによる打撃で、体の大きさを使ったパワーでライナー性の打球を連発。


 まだダウンスイングやアッパースイング等の打撃指導法が確立されておらず、来た球を感覚で打つ方法が一般化していた時代にシュトロハイムは前世で培った指導力でその人物に合った打撃フォームを教えることができた。


 勿論それで打撃が崩れる選手も出たが、直ちに修正を施し、良化させていった。


 崩れるといってもこの合同自主トレに参加しているメンバーはほぼ打率2割を切っているメンバーなのでこれ以上悪化しようが無いと割り切っていたので打撃フォームを改造してもダメージは少なかった。


 大星も伸びたが、一番伸びたのは昨年のドラフトでショート(遊撃手)として入団したが、シュトロハイムの総合力の高さにレギュラーを掴むためにセカンド(二塁手)にコンバートした赤羽謙太郎であった。


 シュトロハイムが赤羽の走力の高さに走り打ちと呼ばれるクラウチング打法を伝授、これにシーズン途中からシュトロハイムの食事を真似てスタミナ丼や卵料理をよく食べるようになり、シュトロハイムから伝授された乳清の飲料(プロテインの元)を飲んだり、積極的に筋トレをしたことで走り打ちをしながらでも強いゴロを打てるようになった。


 彼が元々右投げ左打ちだった事もプラスに働き、三塁側に流して強い打球を打てるので、内野安打やヒット性の当たりが激増。


 今年度の成績が打率0割9分8厘だっただけに足りなかったパワーを身に着けた事で打球に負けなくなり、走り打ちを完成させた。


 守備面もショートをやっていたため肩も強く、他のセカンドより肩の強いセカンドが誕生。


 1番打者として塁に赤羽が出て3番に大星が打ってチャンスを拡大、4番のシュトロハイムが2人を帰すという戦略に幅が産まれる結果に繋がった。


 キャッチャーとしても強肩の安田と一発のある三好が住み分けを行い、シュトロハイムが提唱した投手との相性による捕手の分業化による負担軽減策は正捕手と言う役割ばかりを奪おうと躍起になっていた二人からは目から鱗であった。


 というのもこの時代の捕手の選手寿命はエースピッチャー並みに短い。


 それはキャッチャーのプロテクターの質が悪く、重りを身に着けながら、膝を曲げた状態で長く構える必要があり、規定打席に到達できる捕手が中々出てこないのは負荷が凄まじいためであった。


『捕手を分業化することで長く活躍することができる。その方が最終年収は高くなる』


 現在の日本の経済状況を含め、所得倍増化計画以降バブル崩壊まではインフレが進み、それに伴ってプロ野球選手の年収も上がっていく為、長く活躍できればそれだけ好景気の恩恵を受けられると説明した。


 シュトロハイムのお金の話は皆興味を持って聞いていた。


 京都タクシーズは貧乏球団であるからそれだけ金については貪欲なのである。


 京都タクシーズの逸話として10年選手制度でのトラブルも発生している。



 10年選手制度とは10年毎に活躍した選手に自由にチームを移る権利かチームに留まる代わりにボーナスを支給するという制度で、球団にもよるが年俸の半分から2倍を支払うのが通例であったが、京都タクシーズは10年選手制度を利用した選手に対して年俸の4分1しかボーナスを支給できず、しかもそのボーナス分だけ年俸を削るという選手としては悪魔の様な事をしたことがあり、怒った選手が移籍するという事件が起こっていた。


 そして大活躍したシュトロハイムが500万で契約をしたことで球団の懐事情がいよいよヤバいのではないかと選手たちも危機感を覚えており、いかに金を多く稼ぐかという話は京都タクシーズの選手全員が考えている共通認識であった。


『株を買え株を』


 この時代バブル崩壊までは土地と株はほぼ上がり続ける。


 バブル崩壊が約20年も後の話なので今の選手達がちょうど40歳くらいになる。


 選手としてやれる者もほぼ居ないだろうし、今から株で稼いでおけばある程度の貯蓄にはなるだろう。


 何故か合同自主トレの夜は株の買い方講座と実際に株を買ってみようという話になり、飲料メーカーとか石鹸メーカーとか家電メーカーや自動車メーカーの株を買っていった。


 シュトロハイム自身も株を購入するのだった。







 合同自主トレが終わり、年が明ける。


 シュトロハイムは京都のお偉いさん方と食事をしていた。


 シュトロハイムは今シーズンの活躍で京都では時の人になっており、野球好きなら是非とも会いたいと言う人が絶えなかった。


 シュトロハイム自身も顔繋ぎをしたかったので会食に応じたが、事前にしっかり調べ暴力団関係の人とは関わらないように心がけた。


 そこは球団側も理解していたので球団側がOKをした人物のみ会食に参加することにし、色々な人達と出会うことができた。


 シュトロハイムは上流階級との繋がりを後々活かしていく出来事が数年後起こるとはまだ知らなかった。

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