第15話 准将閣下へのお見舞い

 第一王子・ビンセント殿下は無事に王太子となった。


 王太子就任直後、内務大臣が宰相に就任し、宰相は歴史文化長長官に格下げされた。勢力図が一気に書き変わった瞬間だった。


 前宰相のサヴォイア公爵が殺し屋を雇った証拠がないか、王太子の掌握した警吏組織によって調査が始まっている。



 怪我を負ったディランが心配だった。しばらく王太子邸にも姿を見せず、今なにをしているのかもわからない。


「レジーヌ、そんなにあの子が気になるなら、お見舞いに行ってみてはいかがかしら?」


 14歳にして人妻の余裕を持ったハリエット殿下が、そんな提案をしてくれた。ハリエット殿下はまだ成人前だから、王太子殿下と床は共にはしていないものの、二人の間には確かな絆が芽生えていた。


 もうレジーヌと禁断愛を貫く、とは言わなくなり、私としては本当によかったと思う。


「ちょうど、明日は非番ですし。薬草も届けて差しあげて。あの子は功労者ですし、わたくしからもお礼がしたいの」


 准将という階級の高さから、相当手厚い手当は受けていると思われたが、薬草を持ってお見舞いに行くことにした。



◇◆◇



 王族や公爵家の邸宅が並ぶ外れにディラン邸があったが、その殺風景な様子に目を疑った。


 庭には雑草が生い茂り、手入れが全くされていなかった。物置小屋のような大きさの屋敷は、准将という階級の軍幹部の邸宅とは思えない。穴を木で修復したような跡がある。


 もっといい屋敷に住めるのではないかと、ハリエット殿下を経由して王太子殿下にお願いしようかとも思った。


 敷地内に入るも、門番も執事もいないようだ。どう取り次ぎを頼もうかと悩んでいたら、屋敷から特務騎士団の隊服を着た青年が出てきた。


「あ……ッ! 団長の……えーと……婚約者様?」


 私よりも少し年上のように見える青年が、なぜか私を赤面して見ていた。


「あ…………そ、そうです」


 私もなぜか頬が熱くなる。


「えーと……本当に何もない家なんですけど、どうぞ。えーと、団長は奥の寝室で寝てます。俺は草むしりしてるので、用があったら言ってください」


 そう言って、そそくさと団員の方は庭に出て行く。屋敷に入ると、殺風景な廊下の横に台所と居間がある。奥が寝室と言っていたが……。


 台所では、二名の団員の方が料理を作っていた。


「こ……こんにちは」


 恐る恐る声をかけると、二人ともギョッとした顔で振り返る。


「うぇぇっ!? 団長の婚約者様!」


「あっ……! だ、団長なら奥で寝てますから。は、入っていいですよ……!」


 なぜか挙動不審だ。


 とりあえず廊下を進み、奥の寝室をノックする。返事はない。そーっと部屋に入ると、金髪の美少年がこちらに顔を向けて寝ているのが見えた。


 勝手に入るのもどうかと思ったが、起こすのもためらう。部下の人には断っているし、勢いよく部屋に入った。


 ベッドと、簡素な机があるだけの部屋。机には読みかけの兵法書が置いてある。本棚には兵法書の他、ラブロマンス系の小説が並んでいる。ロマンチストなのね……。


 ベッドの中には二本の剣を入れていて、ディランは剣を抱きしめながらすやすやと寝息を立てて寝ている。


 寝顔も可愛い。そんな風に思っていたら、何の前触れもなくパチッと目が開く。それと同時に、ベッドから転げ落ちた。


「えっ!? ディラン? いきなりなぜ!?」


 ディランはお腹を痛そうに押さえている。


「どうしていきなりベッドから落ちちゃったんですか!?」


 抱き起そうと背中に触れると、びっしょりと汗をかいている。


「怖い夢を見たんですか?」


 肩を抱いてそう尋ねると、感情の籠っていないガラス玉のような瞳で、私を見上げた。


「…………レジーヌ?」


 そう言えば、断りなく入ってしまったのだった。


「すみません、部下の方にはお伝えしたのですが……。もしかして私が部屋に入ったことで、驚いて起きちゃったんですか?」


 背中をなでなでとさすると、ディランは甘えるように私の肩に頭を預けた。


「驚いた。レジーヌがその気だったら俺は斬られてた。普段だったら部屋に入ろうとした時点で起きるんだけど」


「逆にその気じゃなかったから起きなかったのでは? 私は、貴方の味方です。心配したんですよ」


 笑ってそう言うと、ディランは甘えたような表情で私を見上げた。


「心配……してくれたのか。嬉しい」


 噛みしめるようにそんなことを言ってくれて、抱きしめたくなる。


「お腹は大丈夫ですか? 傷は浅くなかったと思うのですが……」


 お腹の包帯からは血が少し滲んでいる。


「実は……とても痛い。でもなでなでしてくれたらすぐ治る」


 そんな都合のいい話があるわけがないのに。ディランは意外と甘えん坊だ。でも、こうして甘えさせてくれる人がこれまでいなかったのかもしれない。


 直接傷を撫でるとそれもよくないと思って、代わりに先日と同じように頬を撫でてから、頭と背中をなでなでした。


 ディランは嬉しそうに微笑した。


「……話は団員から聞いてる。無事、王太子の支配体制が整ったようだな」


 私の腕の中でディランが静かに話し出す。


「もう、ディランが戦うこともなくなると思います。そうしたら……」


 私はディランと結婚する。その気持ちは既に固まっている。むしろ、ずっと一緒にいたい気持ちが強くなってきた。


 この寂しいディラン邸をもっと暖かな空間にしたい。ディランをもっと笑顔にさせたい。


「でも、まだなんだ。傷が治ったら、また遠征に出ようかと思う」


「なぜですか? 王太子殿下が即位して、戦うのはやめると……」


 つい、責めるような口調になってしまった。また離れ離れになるのかと思うと。ディランは私を宥めるように微笑した。


「まだ終わってないんだ。クァルト帝国とファルシス公国の間辺りに、エクスフ族の昔の居住地がある。どうせ夏になるころには、クァルト帝国がまた攻めてくる。それまでにエクスフ族のことを探りたい」


 そしてゆっくりと私を見上げた。大きな瞳からは強い意思が見えた。


「大きな戦果をあげてみせる。貴女のお父上も驚くような戦果を。そうしたら正式に婚約の申し出を行う」


「ディラン……」


 ディランの微笑は、先ほどまでの可愛らしさから精悍さに変わっている。大人の男性の表情のようで、ドキドキする。


「レジーヌ、貴女を愛してる。必ず俺は戻ってくる。だからまた新しいお守りがほしい。それと……」


 ディランは私の頬に触れた。そしてディランのガラス玉のような瞳が間近に迫り、唇にそっと触れるようなキスを落された。


「ディラン……」


 触れられた唇が徐々に熱くなってくる。心臓が早鐘を打つ。


「俺が所有の証を付けた。その唇は俺のものだ。俺は絶対に戻ってくる。その時、俺は貴女の夫になる」

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