きみと死体を埋めて、五十年後。

虚数クマー

ほら、大丈夫だったろう?

 妻と一緒に死体を埋めてから、まあ気がつけば五十年も経ってしまった。


 はじめの頃は「一生、あの感覚を忘れないのだろう」とか、「きっといつかはバレて何もかもご破産だ」とか、「死ぬまで罪悪感に苛まれるのだ」なんて殊勝なことを思っていたものだが、流石に五十年はちょっと長い。


 このとおりあの日に埋めた三郎のことを忘れているわけでもないのだけれど、いくらなんでもこれだけ日常になるとだいぶん麻痺してしまったもので、一周回って


「三郎、お前、化けて出る方法も知らないのかい。しっかりしたらどうだ」


 なんてことをブツブツつぶやいては息子や孫におじいさん何を言っているんですかだのおじいちゃん大丈夫だのなんて呆れられているのである。


「三郎くんのことは、わたしと君だけの秘密だからね。ごにょごにょ喋ったって誰もわかりはしないよ」


 としたり顔でいうのは妻である。

 不思議なことに、一緒に死体を埋めた頃となんらかわらないどこか非現実的な美人である。美少女と言っても良い、というのはいくらなんでも身内に甘すぎるだろうか。


「ははは、正面きって美少女とは流石に照れてしまうよ。これでもとっくにおばあちゃんなんだぜ」


 ご存知である。何しろ、きみは僕の妻であるからして。


「そうだった、あはは。ところで、三郎くんについて話を戻すのだけれど」


 おっと、いけない。この年になるとこれだから。

 それで、そう。三郎である。やつを二人で埋めたことはきみも当然覚えているのだろうが、どうしてバレもせず、化けて出てくることもないのだろう。

 恨まれる覚悟はわりと最初はあっただけに、いくらなんでも老いた身になっても大丈夫となるとどうにも釈然としない気持ちが再びわきあがってくるものだ。


「ふうむ、そうだねえ。君が相当上手くやったから、やっぱり誰にもバレなかった、ということなんじゃないかな」


 確かに、きみと話したときの結論はだいたいいつもこれであった。

 ただ、どうにも、どうしたって納得がいかないのだ。


「じゃあ、きょうも話してみようじゃないか。君が納得して、ゆっくりと休めるようにね」

 

 ああ、いつも助かっている。本当に。


「それはいわないお約束だろ?ふふ、なんてね」


 まったく、お茶目な妻である。

 笑い返しながら、ふと外を見る。中途半端な、灰色の滲む青空である。

 あの日はどんな空だったろう。確か、もっと晴れていたんじゃないか。


「そうだね、カンカン照りだったよね。ほら、ちょうどこのくらい」


 おお、そうだ。まさしく。

 あの時も、まるで隠しごとが許されないかのような青空だった。

 しかしずいぶんちょうどよく、雲が通り過ぎていったものだ。昔からこういう運には恵まれている気がするが、ずっとそうではなかった気がする。ええと、いつからこうなったのだっけ。


「運が良いからバレないのかもねえ」


 運で片付けられてしまっては、警察も三郎の家族もやるせないのではないだろうかと思うけれど、それこそ私が言うのはどの口でというところだろうか。


 それに実際、あの日だって日曜の真っ昼間にひいこらひいこら三郎を引きずっていったわけで、とてもじゃないが手際が良いとは言えなかったものだ。


 例えば畑仕事をするじいさまばあさまとか、あるいはどこぞに遊びに繰り出す友達だとかが、ちらとでも怪しげに振る舞う僕を見たのではないかとあとで思い返して戦々恐々であった。ああ、こうしているだけでも嫌な汗が出てくる。


 だが、結局は長年なんとかなっている。

 ということは、やはり運、なのだろうか。


「あの時から変わらないねえ、君は。年を取って少しは楽天家になったとおもっていたのだけれども、結局はおっかなびっくりだ」


 まったく、きみの言うとおりである。

 やはり麻痺してしまっているだけで、ふときがつけばうしろをひどい顔の三郎がガリガリとひっかいているような気がしてくる。

 正直とてもたまらないけれど、本当にたまらないなら自首でもすればいいものを、それをしないのだから結局は自業自得というものだろう。


「あの日も、そんな顔で、いやもっとひどい表情で、泣きはらして頼み込んできたのだっけ」


 そういえばそうだった。

 あの日、泣きながら、はじめてきみとまっとうに話をしたのだ。


 あの日、僕は誰も立ち寄らない神社に目をつけた。

 あすこはもうずいぶんなこと放置されて、土地の持ち主もだれなのだかわからず、崩れそうにも崩れないので、学校ではおばけ神社なんて呼ばれていた。


「めったにひとのこない場所だったからねえ」


 然り、おばけ神社なんていかにもやんちゃ坊主の肝試しや秘密基地にでもなりそうなものなのだが、一度入り込んだ者がなにか野生動物に噛まれてひどいことになったらしくって、念入りに注意喚起がなされていたものだ。


 子供ならやっぱりそんなものには逆らいそうなものだけれど、近づくと風でぎいぎい揺れる音だとか、乱雑に外れた格子戸の奥の、ぽっかりとした暗闇だとかが、なんだか本当に怖くなってしまうのだ。だから、いつのまにか誰も近寄らなくなる。


「でも、君は来てたよね。それも三郎くんのことの前から」


 それこそ、きみだってそうじゃあないか。

 今でも鮮明に思い出せる。

 放課後のほんのちょっとの買い食いの途中、帽子が風で飛んでしまって、手に取ったはいいがすっ転んで藪につっこんで、ずるずるとしばらく滑り落ちていたらちょうど不気味にぎいぎい鳴いてる神社のお出ましだ。


 こんなところからおばけ神社に通ずるなんて、寄り道がいけなかったのだ、悪いことをしたからだ、なんて、えらい怯えてしまったものだ。


 そうして、ふと目をやると、神社の傍にぼんやりと立つきみがいた。

 見慣れない制服をきて、びっくりするほど肌が白くて、太陽みたいな瞳と、夜みたいな髪をした美しい女の子。ああ、なんて平凡な例えだろう。あのとき、ほんとうに、本当にきれいだとおもったのに。


「お褒めに預かり光栄だよ、なんていいたいけれど。でもあのとき、君は逃げ出したよね!それはもうひどい声を出してさ」


 ええと、そのう、悪いことをしたとおもっている。心から。

 だってただでさえ怯えていたものだから、あんまりにもうつくしすぎて、おばけか妖怪か、さもなくば神様かなにかがお出ましになって、とって食われるんじゃないかって。


 痛む足で一目散に逃げ帰って、怖くて怖くて、かといって言えば寄り道なんぞをするなんてと怒られるかもしれないし、万が一、万が一夢か幻ではないかと必死に思い込むことにしたものだから、家族の誰にも言えやしなかった。


 それでも怖いながらにどうにも気になって頭を離れなくって食事もうまく喉を通らなくなって、あらためてこっそり見に行って、そうして、やっぱりまたきみがいて、あれは夢ではなかったのだと衝撃をうけた。


「挨拶しかしなかったよね。君、とっても恥ずかしがり屋さんだったなあ」


 だって、本当にまたいるとは思わなかったのだもの!


 とはいえ、それから時々、私はおばけ神社に通うようになった。

 きみと話す言葉は毎回ひとことかふたことで、逃げ帰るように去ったけれど、だけどもそうしないと落ち着かないようになった。


 ……ああ、そうだ。

 三郎を殺してしまったのも、きみがおばけ神社にいることを、信じてもらえなかったからだった。たったひとりの親友だったから、こっそりと、ひとりだけに打ち明けたというのに。


「殺そうとしたわけじゃあないんだろう?事故だったそうじゃあないか」


 でも、突き飛ばしたのは僕で、突き飛ばすほどに怒ったのも僕だ。


「そうかあ」


 そうなんだ。僕は、ぼくは悪い人間だ。

 だってそのあとも、考えが足踏みするみたいに「どうしよう」でいっぱいになった末に、おばけ神社に隠すことしか思いつかなかった。


 きみがいるのも承知の上で、それでも、きみならば助けてくれるんじゃないかなんて、ろくに話したこともないのに一方的に頼りにして。


「だからね、何度も言っているけれど。わたしは頼られてうれしかったんだよ」


 違う、きみを疑ったことはない。この五十年のあいだ、一度もだ。

 ただそれでも、ぼくは卑怯者なのだとおもう。

 ひとを殺してしまった時、いのいちに助けを乞うなんて。例え気が動転していたって、まっとうとは思えない。少なくとも、僕がするべき行動は、そうじゃなかったはずなんだ。


「まったく、君は自罰的だなあ。それならば何度だっていうけれど、私は長いあいだひとりぼっちだったから、たとえ君が卑怯者だったとしても、その卑怯のおかげで救われたんだぜ」


 うん。

 わかってはいる。わかってはいるけれど。


「そんな私が子供を成して、孫まで見れるなんてのも、想像すらしてなかったんだ。ぜんぶぜんぶ、あのとき君が来てくれたおかげだよ」


 うん。


「少し心が軽くなったかい?」


 ……うん。

 ありがとう。


「いいんだよ。大丈夫。三郎くんは、きっと未来永劫みつかりっこないさ。だから、今日もすっかり気を緩めて休むといい」


 きみがそういうのなら、そうなのだろうか。そうかもしれない。

 だけれど、三郎、僕は、ずるい人間だ。ずるい人間なんだ。

 恵まれた家族までつくっておいて、時々ひょっこり都合良く自責の念を思い出して、いつになったら罰するんだ、なんて、なんてわがままを、ぼくは、


「大丈夫大丈夫、ほぉら、ねんねんころりよ、ねんころり。捕まりはしないよ、安心おしよ。大丈夫、だいじょうぶ。あのとき、君は上手くやったのさ。本当さ。ねえ、あのときのアレは、本当に」


 ぼくは……











「とっても、うまかったよ」

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きみと死体を埋めて、五十年後。 虚数クマー @kumahoooi

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