しゃくしゃくルセット

さなこばと

しゃくしゃくルセット

 仕事を定時で終えて即時帰宅した。

 今日は両親の命日だった。


 ただいまを言っても何も返ってこない家になってしまったのはちょうど二年前からだ。

 両親の不幸な事故死は突然のことで、仕事に就いたばかりの俺も大学生の妹も、すぐに気持ちの整理がつくはずもなかった。

 俺が葬式に各種手続きにと慣れない役目に追われている間、妹の雨弓は一人で棒立ちのまま放心していた。残された兄の俺が時間を作ってケアに回れなかったことは悔やみきれない。

 気づいたときには雨弓は大学に行くのを止めていて、部屋からも必要最低限しか出てこなくなったのだ。


「ただいま」と儀礼的に言って、俺は玄関から洗面所へと向かう。手を洗ってうがいをして、次に行くのは隣り合った風呂場だ。

 仕事から帰ったらまず服を脱いでシャワーを浴びてしまうのが、面倒くさがりな俺のルーチンワークで、特別な日である今日もやることは変わらない。

 俺が体をきれいにして、用意済みのスウェットに着替えてリビングに行くと、テーブルに見慣れないものがあった。

 作りたてと思われるかき氷だった。


 雨弓が置いたのは間違いない。

 まだ氷が溶けていないことを見ると、俺の風呂上がりのタイミングと合わせたのだろう。

 かなりの手間なうえに意図が見えない。

 かき氷の上には青い液体がかかっているから、これはブルーハワイのシロップで、またチョイスが謎だなと思う。

 俺は椅子に座り、一息ついた。何かが仕込まれているわけでもないだろうし、晩ごはんの前菜だと思って食べることにした。

 氷は形が不揃いでブルーハワイも特段何かを言うこともない普通の味だ。手回しか何かの機械を使って家で作ったものなのだろう。雨弓はネット通販を多用する子だから購入経路もわかりやすい。

 氷の冷たさが疲れた体にしみる、普通においしいかき氷だった。久しぶりに食べたこともあって、何だか懐古心が湧き立つのだった。

 今は部屋にこもっているだろう雨弓ももうかき氷を作って食べたのだろうか。


 かき氷を食べたあと、俺はキッチンで晩ごはんを作り始めた。野菜炒めくらいしかまともに作れないので、いつもそればかりだ。

 温めたレトルトのごはんをレンジから出し、料理皿を持ってリビングへ戻ると、またテーブルにかき氷が置かれていた。

 思わずぎょっとした。冷凍庫に雨弓が近づいた気配を感じなかったからだ。

 とにかく溶ける前に食べるしかない。

 俺が椅子に座り、今度はいちごのシロップのかき氷を食べ始めると、

「おにい」

 と、すぐ背後から声がした。

「雨弓か……。これ、よく溶ける前に用意できたな」

「部屋に冷蔵冷凍庫を置いたの」

「そ、そうか」

 出ていったお金のことが気がかりでならない。

「おにい。ごめん」

「何万円かは知らないけど、買ってしまったのは仕方ないな……」

「何が?」

 心底不思議そうな声音に、俺は苦笑するしかなかった。

 雨弓のほうを振り向こうとするけれど、そうさせてはくれないみたいだった。

 俺の頭は後ろにいる雨弓に抱かれた。まるでお気に入りのぬいぐるみにするような、一方的で、それでいて愛を感じる抱き方だと思った。

「いつもありがとね」

「うん」

「部屋にずっといるわたしのこと、ほっといてくれなくて」

 雨弓の温かくて柔らかな体を、後頭部に感じる。

「かき氷、溶けるよ」

「食べたいけど、頭を拘束されていて食べられないんだ」

「……」

 それでも雨弓は抱きしめる腕を解かなくて、それどころかしがみつくようにすらなっていた。

「わたしのこと、食べてもいいよ」

「どうして?」

「ずっと部屋に閉じこもっているから、きっと冷え冷えのままのかき氷みたいに食べ頃を維持できてるよ。だから、おにい」

「知ってるかもしれないけど」と俺は言って、雨弓の腕に手を置いた。

「俺は雨弓のことが好きだ」

「……! うん」

「だから、かき氷をまずは食べよう。溶けきる前に」

 抱きしめる雨弓の腕を、そおっと解いていく。

 先ほどまでの後頭部の感触から嫌な予感がしたから振り向かないことにして、

「雨弓、自分に何ができるかいっぱい考えてくれたんだな。ありがとう」

 俺は溶けていくかき氷にスプーンを入れた。

「俺に食べられることが雨弓にできることでも、雨弓を食べることが今の俺にはできることではないんだ。意気地なしな兄でごめんな」

「そ、そんなことない。おにいはいつもすごくしっかりしてて、頼りになって」

「うーん」

「……?」

「雨弓から見える俺と、俺が見る俺は違っていて、何だか不思議だなって思うんだ。俺は自分のことを、悲しむ妹に何もできなかった情けない兄だとしか思えなくて、いつも失意のどん底で。そんな俺を、雨弓は全然違う見方で慕ってくれるって、本当に不思議なんだ」

 背後から、何も言葉は返ってこない。

 俺はあっという間にかき氷を食べ終えた。

 そうだ。

 俺たちは立っている場所がアンバランスでも、これが追い詰められた崖先だとか難破船の上だとかではないのだ。


「おいしかった。また作ってくれ。次は練乳とかがいいかな」

「うん……いろんなシロップ買っておくね」

 去っていく雨弓の足音。

 このまま妹に食べられてしまうのかもしれないと内心ではかなり不安だった。

 俺たちには、また、がある。

 ページをめくれば次の展開はちゃんと付いてくる。

 俺は自分が作った晩ごはんを食べ始めた。

 冷えたごはんも野菜炒めもそれはそれでおいしく食べることができるのだと、そんなことを思いながら。

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