case 1 前時代の暴君④


 久しぶりの依頼が偽善屋に舞い込んだ翌日、先生と助手は早速達成に向けて動き始めていた。


「━━昨日の内にAさんの会社についてまとめておいたから目を通しておいて」


 着替え、準備しながら渡された資料に目を通した先生は別段、驚いた様子もなくふうんと呟く。


「やっぱり表向きは健全な企業なんだねぇ……」

「ええ、一応、口コミサイトみたいなものまで見てはみたんだけど、規模の割に不自然なほど評価が少なくて、その少ない評価も全部会社にとって都合のいいものばかりだったわ」

「だろうね。都合の悪いものは全部削除してきたから口コミ自体が少ないんだろうさ」


 普通の会社はそこまで労力をかけて工作はしない。というかそもそも依頼人の話が全部事実だとしたら、あそこまで前時代的なパワハラをする上司を放置している時点で例の会社がまともではないのは明らかだろう。


「っと、よし。こんなもんかね」

「……ネクタイが曲がってるわよ。だらしない」


 いかにもビジネスマンですといった風体を装った先生のネクタイをきゅっと締めた助手。彼女の格好もまたできるキャリアウーマン風な装いに変わっていた。


「悪いね……ってどうしたの助手ちゃん?」


 ネクタイを直し終え、そのままぽけーっと固まってしまった助手に先生が尋ねると、彼女はハッとして片手を頬に当てる。


「……今のやり取り、なんか新婚さんみたいじゃなかった?」

「……はいはい、バカなことを言ってないでそろそろいくよ。しばらく戻ってこないから戸締りも確認しておいてね」


 助手の言葉を軽くあしらった先生は自室の窓の鍵をチェックしにそそくさとその場を後にしてしまう。


「…………少しくらい乗ってくれてもいいじゃない」


 先生の去ったあとを見つめながら助手は拗ねたように呟いた。




 出発前の茶番はさておき、二人がわざわざ着替えてまでやってきたのは依頼人の働く会社の前にある喫茶店だった。


「さて、一応、営業としてアポを三日後に取ったからそれまでは地道に情報を集めるしかないね」

「……そうね。ダミーのサイトも急いで作ってもらったからそっちの方面でする事もないし、いいんじゃないかしら」


 窓際の席から会社の方を見つつ、メロンソーダを口にする先生に胡乱な目を向けながら助手は同意の言葉を口にする。


「ここの喫茶店は近くにあるだけあって利用者が多いからこうしているだけでも何かしら聞ける。それに会社から出てくる人の様子も見れるから一石二鳥だよね」

「……それは分かるけど、どうして飲み物のチョイスがメロンソーダなのよ」


 情報収集が目的ならここに長居する事は必須、ならそうしても不審に思われないようするのは当然だ。


 現に助手もノートパソコンを広げ、仕事している風を装っているのに対し、先生はただメロンソーダを飲みながら外を見ているだけ。


 その状態で長時間居座れば確実に不審がられるのは目に見えていた。


「んーいや、飲みたかったから?」

「……そう、聞いた私がバカだったわ」


 別段、メロンソーダが悪いとは言わないが、飲み物一つで居座ろうとするならチビチビ飲んでも不審に思われないものが他にもあるだろう。


 そこからしばらく二人は時折雑談する姿勢を見せながら窓の外を観察したり、店内のそれらしい人の様子を窺ったりしていた。


「……Aさんの言っていた事は本当だったみたいですね」

「ま、予想はついてたけど、きちんと確認も必要だからねー」


 パソコンに向かう振りをしながら声を抑えてそう言う助手に先生は追加のメロンソーダを注文しつつ、答える。


 依頼に取り掛かって初日の今日は主に依頼内容の裏付けが目的だ。


 引き受けたとはいえ、依頼人の言っている事を全部鵜呑みにするわけにはいかない。


 まして限りなく黒に近いグレーな事もする偽善屋にとって勘違いは命取り、だからどれだけの事情があろうと、この工程は外せなかった。


「……見た感じ会社から出てくる人の大半はどこか浮かない顔をしてるわ。それに聞こえてくるのもため息ばかり、これは正直、想像以上よ」


 依頼人の話が本当でもそのパワハラ上司一人の存在がここまで影響するとは思わなかったと言う助手に先生は少し考えるような仕草を見せる。


 この規模の会社ならいくつかの部署に分かれているだろうから依頼人の上司が関わりのないところだってある筈だ。


「……これは例の上司以外にも問題があるのかもね」


 届いたメロンソーダを一気に飲み干した先生は中の氷を口に含みつつ、目を細めて呟いた。

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