第4話

 子供たちの声が聞こえなくなったかと思えば、今度は鳥たちが可愛らしい声を空に響かせ始めた。三十分ほどで三階から一階までの内見を終えた百井。松崎はリビングの扉を開けて、「お疲れさん」と声をかける。


「お疲れ様です」そう言って槙野は教科書とノートパソコンを閉じ、金子はテレビの電源を落とす。荻野は両腕を伸ばし、飽きたと言わんばかりの表情を浮かべる類以を抱き上げ、そしてオレンジ色のカーペットの上に座らせる。


「槙野君、荻野さん、金子さん。三人に伝えないといけないことがあるんだが」


手に持っている紙の資料を折りたたみながら言う。類以は松崎の斜め後ろに立つ百井のことを凝視したのち、荻野の脚にしがみついた。このような行動を取るのは初めてのことだった。


「何ですか?」


荻野は類以のことをもう一度抱き上げる。


「百井さんがね、このシェアハウスに入居したいと言ってくれたよ」


金子の頬が緩み、パッと明るくなる。


「良かったね、金子ちゃん」

「はい! あ、でも百井さん、ここシェアハウスですけど、一人暮らしじゃなくていいんですか?」

「はい。人生のうちで一度はシェアハウスで暮らすってことを夢見てたし、幼少期から憧れていたんです。それに、こんなに明るい方たちと一緒に暮らせるなら、私の人生も豊かになるかなぁって」

「そうなんですね! よかった」


 小さく手を叩いて喜ぶ金子。類以は荻野の肩に顔を埋めている。類以は恐らく人見知りをする性格なんだと、ここにいる誰もがそう思っていた。


「百井さん、入居に向けての手続きもあるから、そろそろ戻りましょうか」

「はい。お願いします」


柔和な表情をする百井を松崎が連れて帰ろうとしたとき、百井の鋭い視線がほんの一瞬だけ類以を捉えた。


「オーナー、俺から百井さんに訊きたいことがあるんですけど」

「あぁ、どうぞどうぞ」

「百井さんって、子供苦手だったりしませんか?」

「えっ、どうしてですか?」

「もうお気づきだと思うんですが、実は今、十一か月の子供を育ててまして」

「その子、お二人のお子さんなんですね」


百井はわざとらしく両手を口元に持っていき、無駄にテンションを上げる。


「全然大丈夫ですよぉ! むしろ、私、子供大好きなので大歓迎です!」

「そうですか」


槙野はふぅっと息を吐く。


「百井さんね、実は内見する前からほぼ百パーセントここに住むって決めてたみたいなんだよ。ちゃんと類以君がいるってことを伝えたうえでね」

「そうだったんですか」

「それでもOKは出してくれたんだよ。今すぐにでも入居したいって感じだったんだけどね、まぁ内見してもらわないと分からないこともあるし、引っ越し業者も忙しそうにしてたから、時期を見て今日連れてきたんだけど、気に入ってもらえたみたいだから、わたしも安心してるんだ」


 三人が入居した当時から変わらないオーナーの優しい目は、今でも建材だった。


「そうなんですね。オーナー、ありがとうございます」

「あぁ、構わないよ。さぁ早速帰って百井さんの入居手続きをしなくちゃね。百井さん、付いてきてくれるかな」

「はい。付いて行きます!」

「そういうことだから、詳しい入居日とかが分かり次第、誰かに連絡するからね」

「分かりました」

「槙野君、荻野さん、金子さん、これからもよろしく頼むよ」


松崎が目じりを下げて視線を合わせる。三人は別々の思いを胸に力強く頷いた。


 槙野、荻生、金子の三人は新たな住人が増えることに喜び、百井は新しい生活に夢を膨らませる。雲の隙間から太陽が顔を出すように、ここにいる全員が、笑顔の絶えない、そんな未来が訪れることを願っていた。

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