第6話 旧信越本線の跡

「アプト式っていうのは、2~3枚のラックレールを歯形をずらして設置したもので、ラックレールとかピニオンギアの位相をずらして設置する方式で、複数の歯の位相をずらすことにより駆動力の円滑化を……」

「ちょっと待って。何言ってんのか、全然わかんない」

 すらすらと淀みなく解説を始めた山田万里香を、田中美希はすぐに止めた。


 不満げに眉をひそめる万里香に、美希は、溜め息を突いて、

「やっぱり鉄ちゃんだね」

 と呟くも、当の万里香は、


「だから違うよ。私が興味あるのは単純に『古い物』だから」

 と否定していた。


 やがて、目の前にそびえたつめがね橋の偉容。


 説明版があり、それによると全長91m、川底からの高さ31 m、使用された煉瓦は約200万個に及ぶらしい。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模だという。


 1993年(平成5年)には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定されている。


 その巨大な煉瓦造りの橋を下から眺めながら、万里香は熱心にスマホから写真を撮っていた。


それが終わると、今度は橋の上に登り始める。


「マジか……」

 仕方がないから美希もついて行くが、すでに7月上旬の梅雨どき。幸い、雨は降っていなかったが、どんよりとした曇り空で湿度が高い。


 そんな中、歩く、しかも坂道を登ることに、美希は抵抗を感じたが、ついて行く。


 山田万里香は、田中美希より小柄な体格の割には、体力があるようで、平然と坂道を登って行った。


 やがて、頂上に達すると、今度は、その煉瓦造りの橋を歩き始める。


「ちょっと、どこまで行くの?」

 と、恨めしそうに声を上げる美希に、彼女は振り返って、


「旧熊ノ平くまのたいら駅」

 とだけ言ってきた。


「それって、ここから遠いの?」

「1キロちょっと。歩いても30分くらい」


「えー」

 露骨に嫌そうな表情を浮かべる美希に、万里香は冷たく言い放った。


「嫌だったら、ついてい来なくていい」

「わかったよ。行くよ」

 渋々ながらもついて行くことにした美希。


 よく見ると、そこは「アプトの道」と書かれた看板が立っていた。

「アプトの道?」

「そう。かつて信越本線が通っていた線路の跡」


「その割には、線路はないね」

 下は明らかに砂利道で、線路の影も形もなかった。


「もう少し行くと線路がある」

「へえ」


「ここら辺は、かつてものすごい急こう配だったんだ。だから、アプト式という山岳鉄道の方式が採用された。日本じゃ、ここと静岡県の大井川鉄道しか採用されていない、珍しいものなんだ」

(相変わらず、自分の好きな物に対してだけ、よくしゃべるな)

 そう思いながらも、美希は先行する万里香の後を、少し離れて追った。


 橋を渡ると、比較的平坦な道になるので、その点は楽だったが、山の中の一本道で、どこか心霊スポットのように、寂しさともの悲しさを感じる美希。


 それには、途中に点在する古ぼけた、トンネルの雰囲気も影響していた。それらのトンネルがいかにも古く、石造りで、まさに心霊スポットのような不気味な雰囲気を感じさせるものだったからだ。


 道中、興味を持った美希が尋ねる。

「ここら辺、いつ頃造られたの?」

「確か1890年代だったかな」


「えっ。マジで。もう100年以上も昔じゃん」

「そうだよ。めがね橋もその頃に造られている」

 後で、スマホで調べたら、めがね橋の完成は、1893年(明治26年)だった。相当に古い建物だ。


 やがて、かつての線路の跡が見えてきて、トンネルをくぐり抜けると、開けた場所に出た。


 そこに、多数の電線と金網に守られるようにして佇む、異様な雰囲気の廃屋のような建物があった。


 元は白い建物だったと想像できるが、今や老朽化と風雨により、建物の色自体が黒ずんでいた。コンクリート造りの3階建てくらいの、建物だが、心霊スポットというより、お化け屋敷にすら見える。


 その一種、不気味な雰囲気の建物を前にして、万里香は少しも怖じ気づかず、かえって真剣にスマホを向けていた。


「ねえ、山田さん」

「何?」


「この気味が悪い建物は何?」

「旧熊ノ平くまのたいら駅」


「え、ここが駅だったの?」

「昔はね」


 彼女によると、旧熊ノ平駅は、旧信越本線の駅として、横川と軽井沢の間にあった駅だという。1997年(平成9年)9月30日、北陸新幹線(高崎駅 - 長野駅間)先行開通に伴い、信越本線横川 ―軽井沢間廃線と共に廃止されたという。


 その後もずっと写真を撮り続ける彼女に、手持ち無沙汰になった、田中美希は、何気なく、親しみを込めて、というより万里香との距離を縮めようと、彼女なりの善意で、


「ねえ、万里香ちゃん」

 と、呼んでいた。


 しかし、その瞬間、鋭い声がかかっていた。

「やめて」

 と。


 見ると、いつにも増して怖い表情で、野良猫のように睨んでくる山田万里香が立っていた。


「えっ」

 驚いて目を見開く田中美希に、彼女は、深い闇と、過去を連想させるような瞳を向けて呟いた。


「そう呼んでいいのは、母だけだから」

「ご、ごめん」

 距離を詰めようとして、逆に距離が開いてしまった気に陥る美希。


 どうやら、この山田万里香なる少女は、年齢以上に、ツラい過去を背負っているのかもしれない。


 予想に過ぎないが、漠然と美希はそう思うのだった。


 彼女、山田さんとの初タンデムツーリングは、微妙な空気感に包まれたまま、終了し、最後に再び北高崎駅で別れるのだった。

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