16:カツラがバレただけなのに [性描写あり]

「え、おじさん?」

「なんでここに未来みくちゃんが!?」


 うだるような夏。

 外回りの最中、近くを通ったからと一旦帰った自宅でシャワーを浴びて、少しだけ居間で涼もうかと半裸のまま廊下を歩いていたときのこと。

 息子の彼女である、永野ながの未来みくちゃんと鉢合わせたのだ。


 しかも最悪なことに、最近めっきり後退してしまった生え際をごまかすために着けていたカツラを外したタイミングで。幼い頃から私を知る未来ちゃんには、こんな姿見せたくなかったのに……!!


「見たな! 健児けんじにも見られたことないのに!!」

 なるべく冷静に対処しようと思う心と裏腹に、パニック極まる声が喉から漏れる。そんな私を見て、未来ちゃんはしばらく呆然としているようだった。無理もないな、こんな見苦しい姿をうら若い乙女が見てしまったら、とても現実のこととは──


「おじさん可愛い! ちょっと触らせてよ!!」

「はぁっ!?」


 突然目を輝かせて飛び付いてきた未来ちゃんに、たちまち頭を物理的に抱えられてしまう。ちょ、ちょっと待って未来ちゃんっ、なんか当たって、うわ、その体勢は……! もう未来ちゃんも大きいんだから……わぁ……ァ……!

「泣いちゃった!」

「ごめんよ、なんだか情緒が乱れちゃって」

「ふーん」


 よくわからないと言いたげな相槌の後に、「まぁ、泣きたいときは泣いちゃってもいいんじゃない?」と言いながら、私の頭をその胸元に抱く未来ちゃん。幼い頃よりも明らかに育っている感触と、柔軟剤なのか洗剤なのか、それとも彼女自身からか、鼻腔を包む艶のある香りに酔いしれながら、私は未来ちゃんの体温と鼓動を感じていた。


 ……の、だが。

「未来ちゃん、そろそろいいかな」

「だぁめ……、まだ吸い足りないもん。すぅぅ~、すぅぅぅ~~」


 どういうことなのかはわからない。

 未来ちゃんは私の惨めな頭を抱いたまま、『おじさんの頭かわいい~、ちょっと吸わせて!』と言ってからずっとこの調子なのだ。

「はは、凄いおじさん臭い……♪ すぅぅ、」

「そんな! 薬用シャンプーで洗ってるのに!」

「いいの~、臭くていいの……すぅぅ、ちゅ、」


 ちゅ、ちゅっ、すぅぅ、ちゅ……っ、

「あ、あああ、あの、未来ちゃん?」


 ただ吸う──というか嗅ぐだけならいい、それだけならまだいいけど、その……時々唇が当たっている。

 押し当てられるような唇の感触と、時々漏れる艶かしい吐息、そして首辺りに感じる柔らかな感触……。正直、理性と心臓がいつまで持つかわからないところまで来ていた。


 思い出してしまう──元々私は、未来ちゃんの母親に惚れていたことや、彼女と別れた傷心を慰めてくれたのが後の亡妻だったこと、妻を亡くしてから健児の父親であることに必死すぎてこの十数年であること。

 見れば、今の未来ちゃんは若い頃の母親にとてもよく似ている。幼い頃よりもずっと綺麗で、無邪気ななかにも艶やかさもあって、若々しい魅力に満ちている。


「すぅ~~、おじさんビクビクしてる、可愛いね♪ なんか、昔はおじさんのことおっきく見えてたけど、今のおじさん、ちっちゃい子みたい♡ すぅ、へぁ、……れる、ちゅっ、」

「あわ、あわわ、み、未来ちゃん? 今、今のわざと、」

「いいじゃん、そんなの♪」


 いや、よくはない。

 よくはないんだ、だって未来ちゃんは健児の彼女だぞ? こんな……息子の彼女とこんなこと……あああ、ああああ、


 地肌が見えて以来女子社員にも敬遠されるようになった頭に、未来ちゃんの鼻、更には唇と舌が触れる。こんなこと亡妻にもされたことはなかったが、だからこそ、頭皮を通じて脳そのものを刺激されているような感覚……うあぁ、


「れちゅぅ、……ねぇ、おじさん?」

「──ふぅ……ふぅ、え、ど、どうしたの、」

「私ね、いま健児と喧嘩してるんだ」

「え?」

「なんかね、最近友達との用事があるからってデート断られんの。一緒に帰るのもできてなくて……だから家に来てたんだ」


 鼻先で私の頭皮を、指先で私の耳や頬を弄びながら、未来ちゃんは言う。

「たぶんね、たぶん……誕生日のサプライズとか用意してるんだと思うんだけど。そんなのより、一緒にいる時間のが私は大事なんだけどな……」

「ぅ、うん……っ、確かに」

 案外そういうものかも知れない。若かった私も、未来ちゃんの母親とはそういう微妙なところで食い違っていた気がする。


「ねぇ」

 ふと昔を懐かしんでいると、未来ちゃんの声がした。


「おじさん、いいよ?」

「え、」

「おじさん、すっごいドキドキしてるよ? わかりやす過ぎ……そういうとこも可愛いよね」


 艶を帯びた囁き声。

 振り返った先には、在りし日の『彼女』と瓜二つの少女が微笑んでいて。


「大丈夫だよ。昔からおじさん、私が寂しいとき慰めてくれてたでしょ? も、そういうあれだから。あと、私をほっといた健児への仕返し♪」

 なんてことだろう。

 カツラがバレただけなのに。


 カツラを外した無防備な頭では、在りし日のリフレインに抗うことなどできなかった。

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