タロットカードで導いて

月泉きはる

1枚目 脇役中学生と主人公たち


 ゴールデンウィークが終わった、ポカポカの晴れの朝。木と花壇で装飾されたレンガ道。そして茶色のベンチ。

 そこに座っているのはおばあさん。魔法使いみたいな真っ黒なローブに包まれている。おでこからポタポタと落ちる汗。丸まっている背中は、しおれてしまった草みたい。

 学校に行くとちゅうで、こんな光景に出会ったら、あなたはどうする?

 おばあさんに声をかける? 救急車を呼ぶ? 大人を連れてくる?

 そんな主人公みたいなことができたら、きっと人生はキラキラだろう。

 私、月嶋つきしま日景ひかげは脇役だ。

 近くの自動販売機でペットボトルの水を買った私は、音を立てずにおばあさんに近づく。そして、おばあさんのそばに、一枚のメモ紙を添えて、そっと水を置いた。

『買ったばかりです。飲んでください』

 そのまま私はベンチから離れる。

 ……お水、飲んでくれるかな?

 おばあさんのことが気になった私は、顔だけ後ろに向ける。おばあさんは、変わらずにぼーっとしていた。

 私から見えるおばあさんの姿が、豆粒くらいの大きさになった時だった。

「大丈夫ですか?」

 おばあさんの前に、二人の男の子が立っていた。私と同じ舞園まいぞの中学校の制服を着た二人組は、一年三組の生徒。

 何で知ってるのかって? 私も一年三組だから。

 二人とも豆粒大なのに、レッドカーペットの上を歩く俳優さんのような存在感を放っている。

「俺、大人の人を呼んでくるよ」

 そう言って駆けて行ったのは、水川みずかわ爽人そうとくん。束感のある短い髪が似合っている。

 おばあさんのところに残ったのは、鈴村すずむらあおいくんだ。私が置いた水を開けて、おばあさんに飲ませている。高い身長と彫の深い顔は、制服を着ていなかったら高校生に間違われる可能性すらある。

 水川くんと鈴村くんは、主人公だ。だからもう、あのおばあさんは大丈夫だ。ヒーローに助けてもらったんだから。

 おばあさんの背をさする鈴村くんを置いて、私はいつもの通学路を進む。

 カーブミラーに映る私の姿は、セミロングの黒い髪に、平均的な身長に、特徴のないスタイルだった。ザ•脇役! ってやつだよね。

 *

 学校に着いた私が自分の下駄箱を開けると、お手紙やプレゼントがぎゅうぎゅうにつまっていた。これが全部私宛のものだったら、私はとっくに主人公だ。

『月嶋陽詩ひなた先輩へ』『大翔ひろとくんに渡してください』『陽詩さん宛です』

 陽詩っていうのは中学三年生の私のお姉ちゃん、大翔は小学六年生の弟だ。

 さえない私と違って、お姉ちゃんは美人だし、大翔はカッコいい。オシャレで流行に敏感で、明るい性格のお姉ちゃん。バスケットボールクラブのキャプテンで成績も良い大翔。私はパッとしない中学一年生だ。

 ため息をついた私は、持っていたお菓子屋さんの袋の中に、下駄箱の中身を全部つめこんだ。主役級の姉と弟に挟まれている脇役にとって、丈夫な袋は必需品だ。

 朝から手荷物をひとつ増やした私は、教室に向かう生徒の中にまぎれて、一年三組の教室を目指す。

「月嶋さん!」

 背中に呼び声をふりかけられた私は後ろを向いた。名前も知らない男の子だったけど、青いネクタイのおかげで、私と同じ一年生だって分かる。制服のネクタイやリボンの色は、二年生は赤で、三年生は緑だから。

「今度の土曜日、空いてる?」

 私は、ふうっと息をしてから答えた。

美香みかちゃんは、土曜日はピアノのおけいこだよ」

 男の子は大げさに肩を落とした。

「それでも、朝比奈あさひなに予定を聞いておいてくれよ! 頼んだからな!」

 名称不明の男の子は、ピューッと嵐のように去っていく。男の子の俊足に、『廊下を走るな!』と書かれた立て看板が蹴飛ばされた。

 誰からも救いの手が伸びない看板を、私は起こしてあげた。

 ……お姉ちゃんや大翔の次は、美香ちゃんの仲人なこうどか。

 厄介なお仕事を抱えてしまった私は、のろのろと歩いて、教室にたどり着いた。


 ——教室に入ると、クラスのみんなが、三、四人ずつのグループを作って談笑していた。ゴールデンウィークの思い出話を、友達と共有している。

「日景ちゃん、おはよう」

 私が自分の席に着くと、一人の女の子が声をかけてきた。雪のように白い肌、つやつやの栗毛色の髪、スラッと長い足、まるまると大きな目。

 百人中百人が「可愛い」と断言する、奇跡のような美少女。小説や漫画のヒロインが実写化したら、こんな姿をしているのだろう。

 この子こそが、朝比奈美香ちゃんだ。


「おはよう、美香ちゃん」

「連休中、会えなくてさみしかったよ。ね、今日もタロット占い、してくれる?」

「いいよ。だけど一個、伝えないといけないことがあって……。今度の土曜日も、ピアノのおけいこだよね?」

「うん。そうだけど……」

「一年生の男の子に、美香ちゃんの予定を聞いておいてって言われて。一回も話したことがないから、名前も知らない子なんだけど」

 美香ちゃんは整ったまゆ毛を垂れさせて、コクリと小さくうなずく。

「じゃあ、次に会った時、断っておくね」

「ごめんね、日景ちゃん」

 目を伏せる姿でさえ、美香ちゃんは綺麗だ。そんな美香ちゃんに、クラスの男の子たちが憧れの眼差しを向ける。「可愛いで賞」と「綺麗で賞」と「美しいで賞」を総なめにする美香ちゃんは、男の子たちから見たら、高嶺の花なのだ。

 そんな手の届かないバラの花にお近づきになるには、どうしたらいいか?

 そうだ! そのバラの近くに、雑草が生えてるじゃないか! この雑草を踏み台にして、バラの花をつみとろう!

 言わなくても分かると思うけど、その雑草というのが、私、月嶋日景だ。

 私を仲介役にして、どうにか美香ちゃんと関係をもとうとする男の子が、後を絶たないってわけだ。

「大丈夫だよ、美香ちゃん。じゃあ、今日の運勢を占うね」

 カバンの中から、私はタロットカードを取り出した。私、タロット占いにハマってるんだ。おじいちゃんのお家からカードが出てきて、それをもらったのがキッカケだ。


 タロット占いの面白いところは、同じカードが出ても、占う対象によって意味が違うところ。

 同じタロットにも複数の意味がある。例えば『THE STAR』――『星』のカードには『直感』『目標』『希望』『憧れ』とか。

 だから「進路に迷っている人」が『THE STAR』のカードを引いたなら「『直感』を信じて」って占いになる。だけど「出会い運が知りたい人」には「『憧れ』の人に出会える」って意味になるんだ。

 タロットが持っている複数の意味の中から、その人にあったものを選ぶ必要がある。これがタロット占いの難しさであって、面白さでもあるんだ。

「それじゃあ、美香ちゃんの今日の運勢を占うね。まずは、この二十二枚のカードをよくきってから、三つの束に分けてね」

 私が言うとおりに、美香ちゃんはカードを動かす。

「三つの束を好きな順で重ねて……一番上にきたカードをめくってみて」

 美香ちゃんが、白くてスッと伸びる指先で、そっとカードを開けた。

 出てきた絵柄は、大きな輪。輪の円周に沿って、文字みたいな記号が書かれている。輪の周りには、鳥やヘビなどの動物たちがいる。

 私はタロットの名前を読み上げた。

「『運命の輪』の逆位置だね」

「逆位置……? そっか、タロットカードって、絵が正しい向きか、逆さまかで、意味が変わるんだよね」

 タロットカードの、もうひとつの面白さ。それが「正位置」と「逆位置」だ。さっきの『THE STAR』も、正位置なら『希望』とか『憧れ』だったけど、逆位置だったら『失望』や『幻滅』って意味になっちゃうんだ。

「うん。運命の輪は、『逆らえない宿命』を表しているの。簡単に言うとハプニングかな。正位置で出たら、ラッキーなことが起こる前触れなんだけど……」

 美香ちゃんが引いたのは、逆向きだ。その意味を、美香ちゃんも分かっているみたいだ。

「……逆さまで出ちゃったから、悪いことが起きちゃうってことだね」

 美香ちゃんは苦笑いをした。良い結果を伝えるのは楽しいけど、悪い結果を伝えるのは心が痛い。


 ここでチャイムが鳴って、先生が入ってきた。小さく手を振った美香ちゃんは、自分の席に戻っていく。

「お前ら、席につけよー」

 担任の豪山ごうやま先生が、出席簿で軽く教卓を叩いた。

「朝学活の前に、表彰があるぞ。水川! 鈴村!」

 先生のハリのある声に呼ばれた二人は、教室の前に歩いていく。水川くんは爽やかな微笑みを携えて、鈴村くんは落ち着いて。

「今朝、熱中症で倒れそうになっていたおばあさんを、助けてくれたんだってな。警察から感謝の電話が来たぞ! 学校の評判も上がって、いいことずくめだな!」

 先生が大きな拍手をしたので、クラスのみんながパチパチと続ける。もちろん私も。

「表彰なんて大げさですよ、先生」

 水川くんは困ったように頬をかいた。そんな顔でもキラキラしているのは「爽人」という名前のとおりだと思う。

 人助けの表彰が「大げさ」なんて、やっぱり主人公は違うな。

 私は、水川くんの隣にいる鈴村くんに目線を進めた。

 パチン、と空耳が聞こえた。

 私と鈴村くんの目線が、カッチリとハマったんだ。鈴村くんの顔は動かない。鈴村くんの顔のパーツを配置した神様は、とんでもなく綺麗好きで、天才的な芸術家に違いない。切れ長の目で、黒の深い瞳で、私を見つめている。

 な、なんで私のことを見てるんだろ……。

 顔にご飯つぶがついてる? それとも髪がボサボサ?

 うつむいた私は、慌てて顔を触るけど、何もついていない。髪の毛も変じゃないはずだ。

 拍手が収まって、主演男優の二人が席に戻っていく。

 その途中、女子が落としたシャーペンを、鈴村くんが拾い上げていた。その女子は、主演男優に触ってもらったシャーペンを、大事そうに胸に抱える。紳士的なふるまいに、周りのみんなは釘付け。

 たった今表彰されたばっかりなのに、もう次の人助けか。鈴村くんの恵まれた体格からくり出される人助けは、どれだけの人を救ってきたんだろう。少なくとも、この学校の女子たちの目の保養にはなっている。水川くんと人気を二分する王子様だ。ヒーローだ。

 それに引き換え、私はといえば、そっと水を置いただけ。

 そうだ。私は脇役。引き立て役。主人公のカッコよさや、ヒロインの可愛さを伝えるための比較対象。ひっそりとしているのがお似合いのエキストラ。

 人間、分相応に生きるのが一番。ハメを外すと傷ついちゃう。そういうものだよね。

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