水曜日のひとつ結びへの応援コメント
あああ、好きだなぁ、この空気と感覚。
さて、僕は勝手に「市井の想い」というテーマで拝読しておりました。
人はそれぞれに事情を抱え、そこに優しさや愛おしさがささやかだけど生きている。そういう想いは「他者」には伝わらなくても、自分を知らずに支え生きていく上で欠かせないものだと思います。
前後に挟んだ「松原先生」の反応が、社会における過不足のない反応として思え、それは逆説的に「他者」を通して自己の想いの大切さを知る行為と等しい。
パパさんの歯磨きチェックに、髪を整える作業、そして違う日のママさんの頑張りも想像して、いい家族だなぁと泣きそうになってしまいます。
そんな「市井の想い」が読後に僕の胸を温かくしてくれました。素敵な物語、ありがとうございます( ;∀;)
作者からの返信
福山さん
お読みいただきありがとうございます。
気に入っていただけたようでとても嬉しいです。それに行間の物語にまで想像いただき何よりの褒美です。
松原先生も特に水曜を避けているわけでもなく、感じたままに感想を伝えているのだと思うのですが、受け取り手は額面通りに受け取ることもあるし、言葉に表れないものを感じとっていたり、誤解したりと。ですので、「社会における過不足のない反応」という表現はすごくしっくりときますね。すげぇ。
このお話は父親のための物語でもあるので、家族の絆や、子どもたちの父への思いとか。そんなのを父親たちへのエールとして。
ありがとうございました。
水曜日のひとつ結びへの応援コメント
んー、話の狙いはよくわかります。娘側の心情もよく出ていて、その点は申し分ないのですが。
最後まで松原先生には「望んだようには分かってもらえないままだった」というのが、ちょっと弱いかなと感じました。最初のシーンと最後のシーンでほとんど変化がないままなので。
テンプレと言われようが、このラストは松原先生には新たな気づきをしてもらいたいですね。形としては、
1.がっかりしかけていたら、結愛ちゃん自身も思いもよらない形での「水曜日の髪型の良さ」を松原先生に発見してもらった。
2.がっかりしていたら、横から友達が意外な視点からの援護射撃をしてくれて、松原先生も「確かにそうだ」と深くうなずいてくれた。
などのパターンで、最後に大満足、というのが、読者的にはいちばんかと w。
その形ではなく、「先生がなんと言おうと、私はこの髪型も好きなんだから」と悟らせる形に持っていくのが本題だった、ということであれば、このままだと展開が足りないように思います。
毎度無粋なコメントで失礼しております。
作者からの返信
湾多さん
お読みいただきありがとうございます。
また、松原先生の登場理由についての鋭いご指摘もありがとうございます。
こういうコメント、ご指摘は大歓迎なので、どうか遠慮なさらず。
松原先生には水曜の髪型の理由とかってなかなか伝わらないと思うんですよね。本人だけの思いなんだけど、そこを見てくれないのも少し腹立たしい。この良さがわからないのかしら、という感じで。そんな気持ちを書きたかったのが一番でしょうか。
ですので、先生が理解してくれてという展開は考えていなかったです。
ただ、松原先生側としても、なにか結愛が不満のようなものを見せていることは気づいていて、何が悪かったのかしら、とそんな違和感は感じていて。確かに読み物的にはここを解決していないので、少しもやもやとしたものが残るのかもしれません。
ただ、この松原問題を解決する意図がそもそもなかったので、私には新鮮な切り口でした。
展開の足りなさは今はまだ判断つきませんが、いろいろ考えてみようとおもいます。
ありがとうございました。
水曜日のひとつ結びへの応援コメント
子供って本当によく見てますよね。
大好きなパパが一生懸命やってくれたこと、ちゃんと分かっていて誇らしいなんて、可愛いです。
「ママみたいにしてよ!」ってごねないのも、普段からちゃんと気持ちが伝わっているからなのだろうな…なんて想像しました。
読ませて頂きありがとうございました。
作者からの返信
お読みいただきありがとうございます。
子どもは本当に親のすることをよく見ていますよね。自分でも気づかないことを真似されてびっくりすることもよくあります。
父の日用のプロットだったので、パパがいい思いをするような、どこにでもありそうな日常と、少しの誇らしさを感じられるような。そんな気持ちでした。
ありがとうございました。
水曜日のひとつ結びへの応援コメント
拝読。
うーん、これは個人の感覚かもですが、園児の一人称でしっかり語られていると、どうしても違和感が先に立ちます。小学生くらいならまだ許容できるんですが。
内容的にも一人称を選ぶ必要性に乏しいので、三人称の方がよかった気がします。
内容については、身近な着眼点を膨らませた島本さんらしいお話でしたが、オチはもう一捻りくらいあってもよかったかな、と。
例えば先生に褒めてもらいたい主人公が不器用にアレンジして、むちゃくちゃなそれを一つ結びに直してもらった上で褒めてもらえる、とか。そこから父親の一つ結びのの良さを知れば、同じ場所に着地できそうです。
作者からの返信
カメムシさん
お読みいただきありがとうございました。
いやー、やっぱそこ気になりましたか。
実は書いていても、この年齢の一人称ってどうなんだ? と思うこともあったのです。こんなにしっかりした語彙はないよなぁとか。
とはいえ、子供というのも我々が考えているよりもかなりいろいろ考えてしな、とか考えて、今回はこのまま突っ走ることにしたのでした。
違和感は島本の悩みが透けて見えたのでは、と思います。
この話は書き方にもよるのだと思うのですが、三人称にしてしまうと、視点が結愛から離れてしまって、書きたいことから逸れそうな気がしたのですよね。あとは、読者の方には申し訳ないと思いつつ「やってみたかった」ですか。
一捻り。
これも他の皆さんの意見を見ていて色々思うところもありました。
「今日の髪どう? パパに結んでもらったの」
「あら、かわいいわね」
というのが本来の流れなのでしょうが、『パパに結んでもらった』という部分が、伝えたくて伝わらない部分として扱いたかったのです。
いや、ラストシーンって難しいです。
ありがとうございました。