ノスタルジア

バグパイパー

第1話 とある沖仲仕の記憶

美しい思い出を持つ者は幸福である...

もしも子供の頃の美しい宝石のような記憶を携えて、人生へと羽ばたくことができるならば、その人はもう救われているといってよろしい。事実、私の「宝石」は進むべき道を示し、人生を明るく照らしていた。

自分の人生を振り返ってみると、客観的に見るならば、不幸であったとは言えないし、幸福であったともいえない。しかし、そんな幸不幸はどうでも良いことなのだ。そんなことより、私は自分が大切しているものに忠実であったことを今も誇りにしているし、その点では私は幸福であった。私は奇妙な人生を送った。でも私は自分に満足しているし、自分の過去を回顧するとき、まるで天国に来たかのような心持ちになるのだ。


人生の大半を季節労働者として生きた私は、大陸のあらゆる地域を彷徨い歩いた。東の海岸から北の雪原地帯、暖かい南の国まで、本当に色々な場所を渡り歩いていた。定職を持たない、放浪者の私の生活は決して恵まれたものではなかった。貧しく、辛い時期も何度もあった。しかし、汽車の車窓から雄大な草原を眺めるときや1日が終わったあとの夕陽を眺めている時、そんな時に私の中に眠る宝石が輝きを増して、とても満ち足りた気分になる。そしてこの旅人の人生を祝福したくなるのだ。


ある時、知らない街に私はいた。街の広場では幾人かの雇用主が仕事をしてくれる人を募集する集会が開かれており、そこにはたくさんの労働者たちがあつまっていた。やりたい仕事の募集がかかった時は手を上げ、雇用主が労働者の品定めをし、適していると判断した者を雇う。そうして雇われた者はトラックに乗せられ、仕事場へと運ばれていくのだった。私はそこでりんご農園の仕事を見つけた。その場で雇われた私はトラックへと乗せられ、遠くの田舎町へと出発していった。トラックには他に10人の男がいた。皆うつろな目をしていた。ある者たちは知り合いだったようで、下品な猥談をしている。そんな中、私はじっと一人、車窓に目を向けていた。窓から見えるのは黄金の小麦畑。太陽が麦を反射し、光り輝いていた。私はその時、いつか心に描いた風景を思い出してとても幸せな気分になった。私は一番の幸せ者だった。


ある時はお金がなくて汽車に乗ることができず、歩いて次の街へと向かっていた。私はただひたすら草原の道を歩いていた。果てしなくずっと歩いていると、その度に歩行のリズムに合わせ様々な想念が脳を駆け巡る。それが時に人を憂鬱にする時もあるけれど、今は私に懐かしい記憶を呼び覚ましていた。私が子供時代に過ごした屋敷のこと、今はもう死んでしまった父や母のこと、子供の頃に見た夕日のこと、そして「彼女」のこと。その時、私は「彼女」がまるでこの草原の道を、自分の横で一緒に歩いてくれているような錯覚に陥り、涙が出そうになった。私は歩を止め、草むらに寝転び、泣いた。そして涙が枯れた頃、私はじっと空を見上げ、幸せな気分になった。


長い年月が過ぎ、今は湾岸労働者として過ごしている。船が来たら笛の音と共に駆り出され、船荷を運ぶ力仕事だ。この仕事はもう10年は続けている。渡鳥は一応の定住の地を見つけたのだ。私にはもう若い頃のように放浪者としての人生を生きる活力はないし、これで良かったのだと思っている。しかし、私が旅人であることに変わりはない。本当の故郷は子供時代の記憶の底に置いてきてしまったのだ。私は故郷を持たない旅人として、この世界を今も彷徨っていた。


今日は休日だったが、私たちの労働組合の会合があった。長いこと様々な仕事に従事し、湾岸労働者としての経験も長く、そして一番の年長者であった私は、組合の会長に選ばれていた。私の仕事は、年長者として若い人々を束ね、雇用主と交渉をすることである。この役割にはとてもやりがいがあり満足している。

会合が終わった頃、私は夕陽を眺めながら帰路に着いた。私の家は、湾岸に近い、海の労働者のたくさん住まうアパートの一室である。私は顔見知りの人々に挨拶を送り、赤く照らせれた街を歩いていた。そして家に着くと、私は長椅子に腰掛け、じっと目を閉じた。


私の命はもう長くはない。私は長いこと自分の身体を労わることはせず、ただひたすら歩き続けていたのだ。そろそろ身体にガタがきたようだ。湾岸労働者としてもそろそろ限界が近い。もう若い人たちのような力仕事はできないし、少しきつい仕事をするだけで休まないといけなくなる。最近はたまに吐血することもある。港の産業医によると、私はもう病気であり、もうじき天からのお迎えが来るという。私がもう老体であり、皆のように仕事はできないのだというのことは、もちろん私の雇用主も知っている。しかし、長年勤め上げてきた知識と経験を買い、私を班長に任命してくれた。この仕事はただ皆を監督すれば良いのであり、特段力仕事をする必要はない。今の私にちょうどいい仕事である


自分の人生に悔いはない。

私はずっと独身で、恋人もなく、親しい友人もなかった。長いこと住処を持たず、夏は北に、冬は南へと仕事を求めて彷徨い歩いてきた人生だった。65年の人生だが、すでにして私の身体は死につつある。誰かが見れば私はの生は不幸なのかもしれない。しかし私は人生を賛美したいし、これからもこの日々を祝福していきたい。


少し前から私は余暇の時間をあることをして過ごすことにしている。それは昔の、あの記憶を思い出し、文章にすることである。私は自分のこの美しい記憶を一冊の本にしたいのだ。この作業はとても幸せなものだ。タイプライターで文字を打つたびにあの美しい子供時代の思い出が蘇ってくる。まるで自分が子供時代に戻り、また「彼女」と共に日々を過ごしているかのような、そんな気持ちになれるのだ。いつか私が天国へと旅立つ時、どうかこの本を一緒に棺桶へ入れてほしい。そうすれば私は天国へ行っても、満ち足りた心持ちで過ごすことができるだろうから。


私は目を開き、夕日がほとんど沈みかかっているのを確認すると、執筆用の机に座った。そしてこれまで書いてきた原稿を眺め、思い出に浸っていた。もしも私が「彼女」と出会っていなかったらどんな日々を過ごしていたのだろうか。少なくとも今よりずっと恵まれた人生だったろう。故郷の大きな屋敷に住み、綺麗で身分の高い細君やその子供たちに囲まれていたことだろう。こんな泥臭い、粗野な労働とは無縁の生活が待っていたはずだ。しかし、やはりこれで良かったのだ。私はそんな幸福よりも「彼女」との思い出に忠実でありたかったのだ。


ここに記すのは一人の少年とその使用人の過ごした思い出の日々である。これは私が生涯にわたって大切にし続けた記憶であり、人生の道標であった。

私の持つ唯一の宝物である

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ノスタルジア バグパイパー @11hungary

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る