君の話

百乃若鶏

第1話

甲斐祐樹。齢は26。早くも路頭に迷っている。

東京に来たくて名前がそこそこ有名な大学の穴場学部に入学して惰性で送った四年間のしわ寄せが内定ゼロという形で帰って来た。結局、大学時代に働いていた居酒屋のバイトを続けることになった。時給は1300円、22時以降は1450円。上京と大学生活で得た全能感は今じゃ粉々になって一時間をかなり良いサラリーマンの昼食くらいの値段で切り売りしてる。もう正直、これで終わってもいいのかもしれないと考えていた。楽しむことは楽しんだ。酒もタバコ、女も味わったし東京という街も好きな趣味もそれなりには楽しめた。好きな作家の新刊が読めないことは少し残念だけどこれからもモラトリアムの延長線からこぼれ落ちた側溝みたいなここで過ごして行くことはとてもじゃないけど耐えられる気がしなった。それにもう四年も新刊が出ていないんだ。


「俺のことを落とさなければ今頃あの出版社からヒット作として出せていただろうな」


なんてありえないことをぼやく。寂しいうわ言が六畳に響く。それでも全部がダメだった人生だったわけじゃない。人生で唯一誇れることは小学生の頃に読書感想文が表彰されたこと。そこから浮かれて作家先生のごっこを高校までしていた。けれど小さなウェブ小説サイトの公募で佳作を取ってそれ以来なにも書いていない。自分はやっぱり書くことよりも読むことの方が好きなのだ。そう割り切ると心が楽になった。そのお陰で自分よりも才能があるヤツや歳の若いヤツの作品も読めるようになった。大学を卒業する前に書き上げた渾身の一作が一次選考落とされたあの新人賞をもぎ取った俺よりも若い作家の本も。


 お世話になった人には今さっきこの空っぽの頭からピピっとテレパシーを送ったからこれで終活はおわり。どうやって死ぬかは決めていた。クローゼットから適当に死に装束を見繕って家を出る。最寄りから乗り継いで山手線を目指す。平日の昼はみんな学校や会社に籠って世間と戦っている時間なのかもしれない。諦める方が楽なのにみんなはどうしてそうしないのか。目的地に着くまでどうしてだろうとと真剣に考えようとしたけどどうせもうすぐ死ぬのだからこんなことを考えたって意味はないんじゃないかというまた小さな諦めを行ってただ電車に揺られる。飛行機から降りて京急本線を乗り継いでキャリーケースを転がしながら押し込まれた山手線は今でも覚えている。その小さな思い出が落ちている路線で人生を終わらせる。本当は品川駅とかがよかったけど家から一番近い山手線の最寄りはまるで反対にあるから仕方がないのでここで妥協しよう。平日の昼間の鶯谷駅は閑散としていた。少し物寂しさを感じた。

 人間の死に方はたくさんある。古来から人間は人間を殺すことに随分とお熱なようでいろいろな殺し方があった。それでも自殺の仕方はそこまで発達しなかった。みんな、今の俺みたいに自殺に対する恐怖があったんだろうか。殺人を楽しむヤツはいるが自殺を楽しむヤツはそうそういない。いくら死にたいと思っていても自分で命を絶つことには抵抗がある。だから、あのでっかい鉄の化け物みたいなヤツに食われて死ぬ。電車には大自然の持つ抗うことのできないある種、崇拝染みた恐怖がある。俺は不可抗力にぐちゃぐちゃにされに行くのだ。そう思うとほんの少しだけ恐怖が和らいだ。飛び込みは人に迷惑をかけるなんていうが死人にとってはそんなことを言われても困る。あとはこの世で生きる人間が頑張ってくれと責任を遠くにほっぽりだした。あと、四分。それで終われる。

山手線のホームドアが邪魔なので電車が侵入してくる方向に向かってホームの端の端まで歩き乗り越えられそうな場所を見つけることにする。


ヤクルト一個分もないような小さな歩幅で移動する。俺はびびっていたのだ。ノソノソ、ズルズル、のそりのそり。重たいオノマトペを纏って歩いてホームドアのない場所にあった申し訳ない程度に設置されてる小さな柵から身を乗り出す。

あと二分。

あと一分。もうすぐで電車様が参られるようだ。


「あの、そこ、危ないかもしれないですよ」


いきなり話しかけられて勢いよく振り返ると体制を崩して背中からホームにダイブしていた。


「アッブ、あう、ぶう、あぁ、ったア、カアぁ」となんとも情けない声を出してもがく俺に人が近づいてきた。痛みとここ数日誰とも話していないせいで言葉が浮かんでも出ても来ない。


「大丈夫ですか、?」


そう言って長い黒髪を垂らしながら俺を見る女の子がいた。

俺は最後の力を振り絞って彼女にこう言った。


「水、あの、水をください」






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君の話 百乃若鶏 @husenobunsy0

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