第29話

 ようやく迎えた翌朝。

 ノースとともにリーディの部屋を訪れた理佐は、湊斗が会いたがっていると伝えてくれた。リーディもそのつもりだったので、すぐに身支度を整える。

 支度を終えた頃に、湊斗がリーディのもとを訪れてくれた。

「ごめん、本当は昨日のうちに来るつもりだったんだけど」

 彼はそう謝罪すると、リーディと理佐の前の椅子に腰を掛ける。

 その様子を見る限り、旅の疲れはほとんど見られないようだ。

「昨日、帰ってすぐにイリス国王に呼び出されて。話をしているうちにもう夜になってしまって。さすがに、それからリーディの部屋に行くわけにはいかなかった」

「お父様が?」

 まさか父が湊斗を呼び出していたとは思わず、声を上げる。

 兄の存在を抹消した父は、探しに行った湊斗に口止めでもしたのだろうか。

「ごめんなさい、わたしのせいで湊斗に迷惑を……」

 咎められたのではないかと狼狽えるリーディに、湊斗は優しい笑みを浮かべて、首を振る。

「大丈夫。リーディが心配するようなことは何もなかった。ただ、アドリュの様子を聞かれただけだ」

 アンドリューズの名は、もうこの王城では口にすることができない。偽名で兄を呼ぶ湊斗に、リーディは首を傾げる。

「様子、ですか?」

 兄が何か事を起こさないように、見張っているのだろうか。そう思ったが、湊斗は口もとに僅かに笑みを浮かべて、言葉を続ける。

「やっぱり、心配なんだろうね」

「心配?」

 その言葉をすぐに信じることができなくて、リーディは唇を噛み締める。

 兄を切り捨てたはずの父が、心配などするはずがない。

「お父様がお兄様を心配なんて、ありえないわ」

「どうして?」

「だって、兄様の存在を抹消すると言っていたのよ。最初からわたしに兄なんていないと言って」

 あのときの衝撃を思い出すと、涙が零れそうになる。

 泣き出しそうになったリーディの肩を、理佐が優しく抱いて慰めてくれた。

「……理佐」

「大丈夫だよ。とにかくお兄ちゃんの話を聞いてあげて」

「うん」

 素直に頷いて目の前の湊斗を見上げると、両手を伸ばして狼狽えている湊斗と目が合う。

 どうやら慰めてくれようとしたのに、理佐に先を越されてしまったらしい。そんな彼の様子がおかしくて、思わずくすりと笑みを浮かべる。

 するとその笑顔を見た湊斗は、ようやくほっとしたように椅子に座り直した。

「ごめん。俺、昔から話をするのが下手で。伝わるように、ちゃんと説明する」

「わたしも少し気持ちが昂ってしまって。ごめんなさい」

 互いに謝罪しながら、改めて彼の話を聞いた。

 湊斗は王都に帰還すると、父はすぐに彼を呼び出したようだ。城門の前には、いつ帰還してもわかるように迎えの騎士が待っていたという。

「誰よりも先にリーディに話したかったけど、迎えに来られてはそうすることもできなかった」

 父は湊斗が戻る何日前も前から、城門に騎士を配置していたらしい。

「一応、士官を申し出た身なのに勝手に王城を出たから、俺も咎められるのは覚悟していた。でも、そんなことはまったくなかったよ。ただアドリュがどんな様子だったのか、誰と一緒だったのか聞きたかったみたいだ」

 その様子は、子どもを心配する親にしか見えなかったと聞いて、リーディは困惑する。

「お父様がわからない。お兄様のことが心配なら、どうしてそう言わなかったの? どうして、抹消だなんて言葉を使ったの?」

「……アドリュから、事情はすべて、聞いたよ」

「兄様から?」

「うん。国王陛下の行動は、国を守るために必要なものだった。でもそれをするには、心を鬼にしなければならなかったのだと思う」

「心を、鬼?」

「そう。俺の生まれた国の言葉だよ。アドリュに対する情がないわけじゃない。それでも国を守るために、厳しい言葉を口にしているのだと思う」

 そしてそれは、リーディとふたりきりのときも崩さなかった。それだけ強い想いを抑えているのではないか。そう言われて、リーディは理佐の手を握ったまま深い溜息をつく。

「……国を背負うということは、それだけ強い意志が必要となるのね」

 血が繋がっていないとわかっていても、急に他人になれるはずがない。リーディにとって、兄は今でも兄だ。

 そして父も、いつ帰るかわからない湊斗を待つくらいには、兄のことを気にしている。だがリーディとふたりきりのときでさえ、それを口にすることができないのだ。

「わたしに、同じことができるかしら……」

 あの兄でさえ、ときどきリーディが気になってしまうくらい、憂いの表情をしているときがあった。今まで父や兄に守られてきたリーディが、そんな兄よりも強い心を持っているとは思えない。

「大丈夫だ。リーディはひとりじゃない」

「そうよ。わたしにお兄ちゃん、ノースさんにクレイさんだっているじゃない。わたし達はみんなリーディの味方よ。わたし達の前では、いつもリーディでいいの。だから大丈夫」

 うしろでしっかり支えているからね。

 そう言ってくれた理佐に、しっかりと抱きつく。

「……ありがとう、理佐」

 心を許せる人がいる。

 それが、不安なリーディの心を支えてくれた。

 そしてしっかりと抱き合うふたりの前で、また湊斗がタイミングを失って狼狽えていることに気が付き、思わず笑みを浮かべる。

「湊斗もありがとう。……兄様はどんな様子だった?」

 聞きたいと思っていたことをようやく口にする。

「うん。アドリュを見つけたのは、国境に近いキニスという町だった。セットリア王国の離れに残っていた剣士達から、そこにいると聞いてね。普通の剣士みたいな服装で、もうあの町に馴染んでいるような様子だった。懇意にしている人もいたようだし」

 冒険者組合の受付の女性は、アドリュのことをよく知っていた。以前からの知り合いなのだろう。

「剣士。兄様なら似合いそうね」

「そうだね。実力も申し分ないと思うよ。でも、リーディのことをとても心配していた」

「わたしのことを?」

「うん。支えてほしいと頼まれた。もちろんアドリュから頼まれなくたって、そうするつもりだけど」

「……兄様」

 兄の自由な気質、そして面倒見がよくて困っている人を捨てておけない優しさは、たしかに剣士に向いているのかもしれない。くわえて、漆黒の剣士である湊斗さえ認める剣の腕もある。自由を得た兄は、これからはもっと自分らしく生きていくことだろう。そう思うと、少しだけ心の痛みが和らぐ。

 今は兄が失ってしまったものを補うくらい、しあわせになれるようにと祈るだけだ。

(それでも兄様。最後にもう一度だけ、会いたかった……)

 

 兄が心配しないように、父の負担がすこしでも減るように、頑張らなくてはならない。

 そう決意を新たにしたリーディは、翌日からまた忙しく過ごしていた。

 時間が惜しかった。

 王太女として、これから覚えなければならないことがたくさんある。

 イリス王国は女性でも王になれる国だが、まだ他では女性に継承権がない国は多い。しかもこの国でさえ、最後に女王が誕生したのは百年も前のことだ。

 毎日のように夜明け近くまで、リーディは勉強を続けていた。

「だめだよ、リィ。寝るときはちゃんと寝ないと、身体がもたないよ?」

 そんな日々を過ごしていた、ある日。

 夕食の時間に会った理佐は、リーディを見るとそう言って顔をしかめた。

 彼女は今でも、最初に名乗った名前で呼ぶ。それは幼い頃の愛称だったから、リーディにとっても慣れた名だ。

「え、そんなにひどい顔をしている?」

 頬に手を当てて尋ねると、彼女はこくりと頷いた。

「うん。顔色が悪いもの。睡眠と食事は基本だよ。リィが倒れたらもっと大変なことになるでしょ。だから休まないと」

 そして理佐はまるで母親のように、これも食べないと、あれは栄養があると言って甲斐甲斐しく世話をしてくれた。そう言われてしまえば、あまり食欲はなかったが、いつもよりも少し多めに食べる努力をした。

「お兄ちゃんも頑張っているけど、脳筋だからね。結構大変みたい」

「脳筋?」

「わかりやすく言うと、馬鹿ってことかな?」

 そう言われて、思わず声を上げて笑う。

 給仕をしてくれていたノースも、影で笑いを噛み殺している。

 世界的に有名な漆黒の剣士をここまで言えるのは、妹である理佐しかいない。

 食事を終えて部屋に戻ろうとしたとき、理佐はふいに立ち止まってリーディを見つめる。

「理佐、どうしたの?」

 少し思案したあと、切り出す。

「今日は一緒に寝よう? ちゃんとリィが休んでいるのか、わたしが見張らないと」

 きちんと休むから心配ない。

 大丈夫だと何度言っても、理佐は信じてくれなかった。

(どうしたらいいかしら?)

 理佐の申し出は有り難いが、今日中に読んでしまいたいものがあるのだ。

 困ったようにノースを見る。

 だが彼女もリーディが休むつもりがないことがわかっているのか、理佐様の言う通りですと強く言われてしまう。

「……わかったわ。理佐、お願いね」

 そんなに無理をしたつもりはなかった。でも理佐もノースも自分のためを思ってくれているのだとわかったから、ここは素直に言う通りにするべきだ。

 着替えをしてから、部屋にやってきた理佐と並んで寝台に座る。

 彼女の侍女をしていた頃、こうして並んで眠ったことがあったと懐かしく思い出す。

 あれから、いろいろなことがあった。

 湊斗のこと、クレイのこと。

 そして兄のこと。

 静かに過去を思い返していると、理佐が声をかけてきた。

「ねえ、リィ」

「ん?」

 改まった声に、首を傾げる。

「どうしたの?」

「じつは、リィに渡したいものがあるの」

「渡したいもの?」

 理佐は頷くと、部屋から持ってきたらしいものを、リーディに差し出した。

 それは、一通の手紙だった。

「手紙?」

「うん。アドリュさんから、落ち着いたらリィに渡してほしいって頼まれていたの」

「……兄様から?」

 思わず受け取る手が震えた。

 まさか兄が、自分に手紙を残してくれるとは思わなかった。

「いつのまに……」

「向こうのお城から助け出してもらったとき。リィの相談に乗ってやってほしいと言われて、そのときにこれを手渡されたの」

 理佐はそう言うと、溜息をつく。

「ごめんね。今が、アドリュさんの望んでいたときなのか、わたしにはわからない。もしかしたら数年後、という意味だったのかもしれない。でも、わたしもお兄ちゃんがいなくなってから、本当につらかったから。だから、すこしでも早く渡したくて」

 理佐もまた、行方不明になってしまった兄をひとりで待ち続けていたことがある。それを思い出して、彼女の心遣いに感謝した。

「……ありがとう」

 震える手で受け取り、そっと開く。

 何度も見た、懐かしい兄の文字。それを見るだけで、涙が零れそうになる。

(兄様……)

 手紙の内容は、謝罪だった。

 リーディに重荷を背負わせてしまうこと。ずっと兄だと偽っていたことを詫びる内容に、胸が痛くなる。

「そんなの……。全部、兄様のせいじゃないのに」

 どこかで、兄は強いから大丈夫だと思っていた。きっと王家を離れても、自分らしく生きていくだろうと。

 でも兄は、リーディと王家に対してこんなにも罪悪感を抱いてしまっている。

 どうしようもなかったことだ。けっして兄のせいではないのに、このままでは罪悪感を抱き続けて、しあわせになれないのではないか。

 そう思うと、不安でたまらなくなる。

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