第20話
でもどうして、そこまでする必要があったのだろう。
出奔するほど王位が嫌だったとは思えない。兄はたしかに自由に動き回っていたが、イリス王国に対する思いも強かった。
きっと別の理由があったのだ。
(それもクレイに聞けば、何かわかるかもしれないわ)
クレイの到着をひたすら待ち続けていると、来客があった。
湊斗のようだ。
彼にもこの事情を話したほうがいいかもしれないと、リーディは湊斗を部屋に招き入れる。
(そういえば湊斗のことも、お父様に紹介しなくては)
平和主義の父は、もしかしたら漆黒の剣士の来訪を喜ばないかもしれない。でもリーディにとって、彼の存在はとても心強かった。
「こういう部屋をみると、やっぱりリーディって王女様なんだなって思うよ」
広い部屋を見渡しながら、湊斗はそんなことを言う。
出逢ったとき、リーディは侍女に扮していたのだ。当時を思い出して、リーディもくすりと笑う。
「いきなり抱き締められて、驚きました」
「あ、あれは……。その……」
狼狽える湊斗に、リーディは用意してもらった茶器で自分の手でお茶を淹れた。
「湊斗にも、聞いてほしいことがあるの」
お茶を差し出し、リーディは父との会話を湊斗にも伝える。
「兄様はもしかしたら、もう戻らないかもしれない。そう思うと不安で……」
「俺がアドリュにリーディのことを聞いたとき、あいつは自分のことは何も話さなかった。だからいままで本当の名前も知らなかったよ。リーディを守ってやってくれと言うばかりで。思えば、最初から計画していたのかもしれないな。……それに」
何かを言いかけた湊斗は、首を振る。
「いや、これは俺の想像でしかないから、やめておくよ」
「でも」
想像でもいいから、思ったことを伝えてほしい。そう言おうとしたとき、ノースがやってきてクレイの到着を告げた。
「入ってもらって。湊斗にも、いてほしいの」
来客と聞いて立ち上がろうとした湊斗にそう懇願し、リーディはクレイを部屋に招き入れる。
「リーディ様、遅くなって申し訳ございません。じつは……」
「クレイ、兄様と会ったでしょう? 会わないまでも、連絡は取っているはずよ」
挨拶もさせずにそう詰め寄ったリーディに、クレイは困惑した様子だった。
「いえ、三か月前からお会いしておりませんし、連絡もとっていません。先ほどノースに、セットリア王国にアンドリューズ様が現れたと聞いて驚いたのです」
そう答えるクレイの声は冷静で、動揺した素振りもない。
「じゃあ、どうして国境近くの町に来たの? わたしは兄様に、クレイがそこにいるって聞いていたのよ」
「私が国境に向かったのは、国王陛下よりリーディ様を迎えるように仰せつかったからです。アンドリューズ様がなぜそれを知っていたのか、私にもわかりません」
「……」
言われてみれば、クレイは一度もアンドリューズの命令で来たとは言わなかった。兄がそう言っていたので、そのままリーディは信じていたのだ。
「でも……。でも兄様は、お父様の病気のことも知っていたのよ?」
俯くリーディに、クレイは申し訳なさそうな顔をする。
「すみません、リーディ様。私が側近として至らぬばかりに……」
謝罪する彼に首を振る。
だがクレイではないのなら、誰が兄の共犯者なのか。
(わからない……。何ひとつ)
数日前まで毎日顔を合わせていたのに、兄の様子がいつもと違うとわかっていたのに、リーディは何ひとつ聞き出すことができなかったのだ。
(もっと強く、兄様が話すまで問い詰めればよかった……)
知るのが怖かった。
だから、先送りにしてしまった。
それが今、こんな状態を作り出してしまったのだ。
(でも後悔するよりも先に、真実を探るべきだわ)
後悔しても、事態は何も変わらないのだから。
リーディは大きく息を吐いて、思案する。
たしかにクレイは嘘を言っているようには見えないけれど、リーディの彼に対する疑いが消えたわけではなかった。
「お父様は、クレイに何の用だったの?」
そう尋ねると、リーディの葛藤を静かに見守っていたクレイは、すぐには答えなかった。その視線がいつもとは違うような気がして、首を傾げる。
「クレイ?」
「……後ほど、国王陛下から正式に伝えられると思いますが、陛下から私は、王配となりリーディ様を支えるようにと仰せつかりました」
「えっ」
思ってもみない言葉に、リーディは言葉を失う。
父は、クレイをリーディの夫として選んだのか。
「そんな」
リーディを王太女にという父の決意は、動かしようがないくらい固いものだと思い知る。
もともと、一年後にはセットリア王国の王妃になっていたはずだった。
それも父が決めたことで、あのときのリーディはその言葉を素直に受け入れた。でも今は、それに従う気にはなれなかった。
こうなった理由もわからないまま、ただ流されて父に従うのは間違っていると思う。
「いままでアンドリューズ様の側近となるべく、知識や経験を積んできました。ですが、これからはリーディ様のために、それを活かしていきたいと思っています」
「クレイ……」
彼は優しくて穏やかで、頭も良いし剣の腕も立つ。
身分も申し分がない。
端正な容姿は見栄えもいいだろう。
たしかに女王の伴侶としては、彼以上にふさわしい人間はいないかもしれない。だがリーディは、首を横に振る。
「わたしは、あなたと結婚しません」
「……リーディ様?」
平静を装っているが、クレイは動揺したようだ。
その声が、僅かに震えていた。リーディがそんなことを言うとは思わなかったのだろう。
「国王陛下の御命令に逆らうほど、私がお嫌いですか?」
「いいえ、わたしは……」
嫌いなのではない。
夫になるはずだったセットリア王国に比べれば、クレイのほうがずっと誠実だ。
だが、リーディは納得できない。
父の言うことも、クレイの言うことも心から信用することができなくて、その言葉に従うことができないのだ。
「リーディ様」
詰め寄ろうとしたクレイの前に、いままで静かに見守っていた湊斗が立ち塞がる。その頼もしい背中に守られて、リーディは思わず安堵する。
「リーディが嫌だというなら、無理強いすることはできないんじゃないか?」
「……これは、私の願望ではなく国王陛下の御命令です。それに、我が国の問題はあなたには関係のないことです」
クレイは言葉を返すが、湊斗はそれをあっさりとはねのける。
「関係なくはないさ。俺はアドリュ……アンドリューズから、リーディを守ってほしいと頼まれた。理佐も、リーディの相談に乗ってほしいと言われているからな」
「アンドリューズ様は、そこまで望んではいません」
クレイは叫ぶようにそう言うと、はっとした様子で立ち去っていく。
その後ろ姿を見送った湊斗が、ぽつりとつぶやいた。
「何か知っている様子だったな」
リーディも頷く。
「ええ、そうね」
クレイはアンドリューズがどうしてこのようなことをしているのか、その理由を知っている。そうでなければ、アンドリューズの心を代弁するような言葉を口にしたりしない。
「ちょっと探ってみるか。このままじゃリーディを奪われてしまうからな」
「そ、それは……」
リーディは戸惑う。
どんな状態になったとしても、王女として結婚は国のためにしなければならない。
もしすべての謎が解けてもクレイと結婚することが最良だとしたら、そうするしかないのだ。
「リーディが困るようなことはしないよ。いまはアドリュの行方と真相を知るのが先だ。まず理佐に話を聞いてみよう」
「理佐に?」
「ああ。アドリュに助け出されたとき、どんな様子だったのか知りたい」
「それならわたしも一緒に理佐のところに行くわ。兄様のことを聞きたいし、城内を案内するって約束したもの」
ノースを部屋に残し、湊斗と一緒に理佐の部屋に行く。
ふたりは王城にいくつかある客間に案内されたようだ。理佐の部屋を訪ねると、彼女は喜んでリーディを迎え入れた。
「理佐にちょっと聞きたいことがあるの」
リーディがそう言うと、理佐は首を傾げる。
「うん、何?」
「お前が、セットリア王国の城を抜け出したときのことだ。俺が城を出てからどうした?」
「……うん。お兄ちゃんが出て行ってすぐに、あの人が来たの」
「あの人?」
リーディの問いかけに、理佐は頷く。
「そう。わたしが初めてこの世界に来たときに、いろいろと質問攻めにした、あの人だよ」
それはセットリア王国の宰相、ディスタ公爵だった。
「その人が、わたしをあの部屋から連れ出したの。すごく強引で、怖かった。どこかに連れて行かれそうになったとき、アドリュさんが来てくれたの」
「そんなことが……」
もしアンドリューズが駆けつけなければ、理佐はあの国に捕らわれてしまっていたかもしれない。
「……俺が、理佐の傍を離れるのを待っていたのか」
湊斗にリーディを襲うように命じたのも、そのディスタだ。その言葉は苦渋に満ちていた。
騙され、理佐の傍を離れてしまったのを悔いているのか
ディスタは彼が王城を離れた隙に理佐を拘束して、人質にするつもりだったのかもしれない。理佐さえ捕えてしまえば、帰る方法があるという嘘が発覚したとしても、湊斗を自由に操れる。
(なんてことを)
あまりにも卑怯な手口に、リーディは激しい憤りを覚えた。
「アドリュはそれを見破って俺に真実を伝え、そうして理佐も救い出してくれたんだな」
湊斗がそう呟いた。
(そうよ。兄様が来てくれなかったら、事態はもっとひどいことになっていたわ)
湊斗と理佐がディスタの魔の手から逃れられたのも、リーディが無事に祖国に帰還することができたのも、すべて兄がいてくれたからだ。兄がいなければ、リーディもイリス王国も窮地に陥っていただろう。
理佐は言葉を続けた。
「あの王城の地下道から王都の外まで抜ける道があって、そこから外に出たの。王族の人が使う緊急の避難経路だって言っていたわ」
「……兄様ったら、いつの間にそんなものまで」
本当ならば、それはあの国の王族しか知らないものだ。
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