第19話

 そう言った湊斗の視線から憂いが消え、力強い光が宿った。

 漆黒の剣士に守られる。

 それがどれだけすごいことなのか、リーディはあらためて思い知る。

「湊斗、本当にいいの?」

「ああ、もちろん。この国に来たときから、ずっとそのつもりだった」

 彼の決意に、ずっと難しい顔をしていたクレイもようやく表情を和らげた。

「そうですか。そこまで心を決めているのならば、もう私から言うことはありません」

 緊迫した空気は消え失せ、打ち解けて会話を交わすふたりの姿に、リーディも胸をなでおろす。

 これで兄さえ帰ってくれば、また穏やかな日常が戻ってくる。

 そう信じていた。

 父の病状は心配だが、命に関わるものではないようだし、ゆっくりと養生すればきっとよくなるだろう。

 だが現実は、想像もできなかった事態に陥っていた。

 兄が言っていた、これからリーディが歩む厳しい道とは何なのか。

 王城に帰ってすぐに、それを知ることになる。


 翌日の朝、リーディは三か月間、離れていた王城に帰還した。

 もう二度と戻ることはないと思っていた場所だ。

 リーディはノースの手を借りて馬車から降りると、感慨深そうに城を見上げる。

(本当に、帰ってきたのね)

 白い王城はとても古いものだが、手入れをされているので荒んだ感じはまったくない。

 敷地内にも緑が多かったが、セットリア王国にあったような庭園ではなく樹木が多いので、いまは紅葉した葉が敷き詰められ、鮮やかだった。

 イリス王国は、緑豊かな美しい国なのだ。

(小さい頃、兄様の真似をして木に登ろうとして、お母様に叱られたこともあるわ)

 亡き母を思い出し、しんみりとしてしまう。

「綺麗なお城ね」

 理佐がそう言って嬉しそうに城を見上げている。

 その無邪気な表情に心を慰められて、リーディも微笑んだ。

「あとで城内を案内するわ」

「本当? 嬉しいな。向こうにいたときは、自由に歩き回れなかったから」

 理佐には豪華な部屋を与えられていたが、部屋の前にはいつも警備兵がいた。実際、監禁されていたようなものだったから、息苦しかっただろう。

(そういえば兄様は、どうやってあの場所から理佐を連れ出したのかしら……)

 いくらアンドリューズが警備兵に扮していても、正門を突破するのは容易ではない。

 しかも理佐を連れていたとなればなおさらだ。

 イリス王国に入ってから王城まで、湊斗とばかり話をして、理佐のことをほとんど聞いていなかった。それだけ余裕がなかったのかもしれない。落ち着いたら理佐の話を聞こうと思いながら、正門から王城に入った。

 内密の帰国なので出迎えはないと思っていたが、なぜか数人の貴族がリーディを迎えてくれた。中にはクレイとノースの父の姿もある。彼らはこのイリス王国の重臣ばかりで、その顔ぶれにリーディは不安を覚えた。

 父の容態は、思っていたよりも重いのではないか。

 だがそれを表に出すことなく彼らの挨拶に言葉を返し、客人である湊斗と理佐をノースとクレイに託して、彼らと一緒に父のもとに向かった。

 だが向かう先が謁見の間ではなく父の寝室だと聞き、不安になる。

(お父様……)

 父は起き上がることもできないくらい重症なのか。

 それでも重臣達の前で、不安そうな顔を見せるわけにはいかない。なるべく平穏を装って、父の寝室に入った。

「お父様、ただいま戻りました」

 寝台の上に身体を起こした父は思っていたよりも顔色もよく、リーディの顔を見て僅かに表情を緩ませた。

 それでもやはり、三か月前より痩せたような気がする。侍女が用意してくれた椅子に座り、リーディは父を気遣うように見つめた。

「リーディ、お前を呼び寄せたのには、理由がある」

「お父様?」

 父の静かな声に、リーディは首を傾げる。

「お前を他国に嫁がせるわけにはいかなくなったのだ」

「……どういうことですか?」

 まだ父に何の説明もしていないのに、どうして父は婚約を解消しようとしているのだろう。もしかして兄が先に説明してくれたのだろうか。

「兄様から何か、報告があったのですか?」

 父は、苦渋に満ちた顔で首を横に振る。

「アンドリューズは三か月前に城を出たきりだ。それ以来、一度も連絡はない。……もう戻ることはないだろう」

「えっ」

 湊斗の言っていた噂を思い出す。本当に兄は、一度も連絡をしていなかったというのか。

「わたしを迎えにきてくれたクレイは、お兄様の命令で来たのでは……」

 だがそれは、クレイの父によって否定された。

 リーディを呼び寄せたのは父で、クレイもまた父の命令でリーディを迎えに行ったのだと。

(そんな……。兄様は、クレイが迎えに行くとはっきり言っていたもの。お父様の命令もあったかもしれない。でも、兄様とも絶対に連絡を取っているはずよ)

 それに兄は、父が病気で、もうすぐリーディを呼び寄せることまで知っていたのだ。誰かと連絡を取っていなければ、そこまで詳しくイリスの状況を知っているはずがない。

「でもお父様、わたしはセットリア王国で兄様と会いました。ですからもうすぐ帰って来るはずです」

 あとでクレイに詳しく聞かなければと思いながら、リーディは父を励ますようにそう言う。

 父がここまでやつれてしまったのは、きっと兄のせいだ。今度こそすべてを話してもらおう。そう思ったが、リーディはふと気が付く。

 セットリア王国に戻った兄は、本当に帰ってくるのだろうか。

 そんなリーディの不安を言い当てたように、父は力なく首を振る。

「いや、もういい。アンドリューズにはもとから、王太子など無理だったのだろう。それほどまで自由に生きたいというのならば、そうすればよいのだ。……リーディ。この国は、お前に継いでもらう」

「……お父様」

 自分には無理だと言いかけた言葉を、リーディは途中で押しとどめる。

 疲れ果てた父の声は、たった三か月で随分嗄れてしまったように思えた。リーディまで王族の役目を放棄してしまったら、父はさらに心労を重ねるだろう。

 自分が女王になる未来を、いままで一度も思い描いたことなどなかった。いずれどこかの国に嫁ぎ、王妃になることが自分の使命だと思っていた。

(どうしたらいいの? わたしが女王だなんて……)

 迷うリーディに、寝室から出てくるのを待ち構えていた重臣達は、セットリア王国とは反対側の隣国、キマリラ王国が怪しい動きを見せていると告げる。

 軍を強化し、しきりに演習を行っているというのだ。

 おそらくキマリラ王国の狙いはイリス王国ではないが、あの国は好戦的だから、隙があれば付け込まれる可能性がある。

 今、この国はアンドリューズひとりに、振り回されている場合ではないのだ。

 重臣達の焦りと父の憔悴を前に、リーディは頷くしかなかった。

 父の寝室を出てからも思い出すのは、父の疲れ果てたような声。そうして、お前だけが頼りだと言いたげな視線だった。

 王族としての自覚はあっても、王太子である兄がいたから、リーディは国を継ぐ覚悟を持ったことはなかった。

(それなのに、わたしが王太女……)

 兄が見つかるまでの間だ。

 そう思ってみても、その重みを考えると不安になる。それでもあの状況で、選択の余地はなかった。

 アンドリューズが不在のいま、王家の血を継ぐのはリーディだけだ。

 たしかに荷は重いが、王族の責務から逃げるつもりはない。だが、どうしてこんな状況になってしまったのか、その理由を知りたい。

 真相を聞きださねばならない。

 でも兄が不在の今、誰に聞いたらいいのだろうか。

(クレイなら、何か知っているのかもしれない。兄様の側近だし、いつもクレイにだけは行き先を告げていたもの)

 そう思い立って、三か月ぶりの自分の部屋に向かう。

 そこにはクレイの妹、ノースがいるはずだ。

 もう二度と戻らないつもりですべて片づけて出ていったのに、以前と同じように心地良く整えられていた。きっとリーディの帰国のために、急遽用意してくれたのだろう。セットリア王国では一度も感じたことのない気遣いに、祖国に帰ってきたという実感が沸く。

「ノース」

 部屋に戻ると、出迎えてくれたノースに声をかけた。

「姫様、どうなさいましたか?」

 思い詰めたようなリーディの様子に、ノースは少し驚いたようだった。リーディはすぐに、クレイを呼んできてほしいと頼む。

「お願い、話したいことがあるの」

 すると、彼女は申し訳なさそうに告げた。

「兄はいま、国王陛下に呼び出しを受けているようです。戻ったらすぐに、こちらに来るように伝えておきます」

「お父様に?」

 父からの呼び出しでは仕方がない。

 それでも気が急いて、リーディは部屋の中を歩き回る。

(お父様、クレイに何の話かしら。もしかしたら兄様のこと?)

 父はもう、兄を探すことを諦めてしまったのだろうか。

(でもほんの数日前まで、わたしは兄様と一緒にいたのよ。どうしてあのとき、もっと問い詰めなかったの……)

 兄は最初から、すべてと決別するつもりだったのか。

 そう決意していたのだとしたら、セットリア王国に滞在していたときの寂しげな顔も理解できる。

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