episode.22
あれから私は、ノワールとローズ家の力を借りて、エクルース伯爵家を立て直す為に走り回っていた。
まずは、ローズ家が仮に雇ってくれていたランド・スチュワードを呼び戻した。
以前と同じように彼には執事も兼任してもらう事になった。
お母様と同じ年頃の彼は、確かに私の記憶にもある人だった。
領地の事で邸にいない事の方が多かったけれど、邸に戻っている時はいつもお母様の傍に穏やかに侍っているような人だった。
「テレーゼ様、お久しぶりでございます。
ランド・スチュワードを任されております、オルセンと申します。
この度は正式にエクルース伯爵を継承されました事、まずはお喜び申し上げます。
また私をエクルース家に呼び戻して頂き、感謝に堪えません。
お与え頂いた職務を粉骨砕身全うさせて頂きたく存じます」
穏やかなその声は、お母様が生きていた頃にたまに聞いた事のあったそのままで、私は涙を堪え、オルセンを真っ直ぐに見つめた。
「私が不甲斐ないばかりに貴方にも苦労をかけました。
まだまだ未熟者の私ですが、一緒にエクルース家を立て直しましょう、オルセン」
私がそう言うと、オルセンは胸に手を当て深く頭を下げていた体勢から、私の前に跪いて、私の手をとった。
「大きくなられましたね。
お辛い思いをされていた事に気づけず、本当に申し訳ありませんでした。
セレンスティア様に、貴女様を守ると誓っていたにも関わらず、不甲斐ないのは私の方です。
領地の事や邸の事は私にお任せ下さい。
どうかテレーゼ様はエクルース家当主として、為すべき事を為さって下さい」
その瞳は私を労わるような温かく穏やかなもので、まるで、大事な大事な何かを見つめるような………。
そんな瞳だった……。
その後、オルセンのお陰でルジーを始め、かつてエクルース家で働いてくれていた人達が戻ってきてくれた。
新しく何人かも雇い、荒れ果てたエクルースの邸がだんだんと元の姿を取り戻していく。
ローズ家で保管されていた家具も戻され、お母様が生きていた頃のような邸に戻っていく様に、涙が溢れて止まらなかった。
荒れ果てた庭園も整備されて、春には以前のような花の咲き誇る美しい姿を取り戻すだろう。
それから私は宮廷魔道士になるべく適性検査を受け、合格した。
宮廷の魔術師庁にある、以前お母様が使っていた部屋も頂ける事になり、初めてお母様の研究を目にする事も出来た。
それは、空想魔法によって妖精の姿をした依代に、魔法で単純な人格を与えるものだった。
お母様は空想自体が苦手だったようで、研究は難航していたようだ。
それでも私の為に試行錯誤してくれていた事が見てとれて、私は溢れる涙を抑えられなかった。
お母様の意思は、私が引き継ぎ必ず成功させてみせます。
お母様……ありがとう……。
改めて心にそう誓い、私の中にある空想魔法のイメージを書き足していく作業に没頭していった。
そんな目の回るような日々を送りながら、私は赤髪の魔女様の所にも訪れた。
赤髪の魔女様は17歳くらいの美しい少女の見た目をしているのに、実年齢は私から見て曽祖母くらいだとノワールに教えられた時は、流石にその言葉を直ぐには信じる事が出来なかった。
「ああ、セレン嬢ちゃんによく似ておる……」
赤髪の魔女様は懐かしそうに目を細め、だけどその瞳の奥に哀しみを浮かべていた。
「あの子は魔法の天才じゃった。
テレーゼ嬢ちゃん、アンタも直ぐに母親のように強くなる。
アンタにはアンタの強さがあるからね、それを私が教えてあげよう」
その日から、私は赤髪の魔女様を師匠様と呼び、魔法の御指南を頂くようになった。
「師匠のしごきは大変じゃない?」
心配そうに私の顔を覗き込むノワールに、私は首を傾げた。
「いえ、ちっとも。師匠様はいつも楽しくお茶をしながら私の空想を聞いてくださるの。
しごきだなんて、そんな事無いわよ?」
私の返事にノワールは目を見開いて、顎を掴み少し考え込んでいる。
「適正の違いかな?僕達なんか毎日師匠にしごかれて、必ず骨の一本二本は折られてたけどね」
ノワールの言葉に、今度は私が目を見開いた。
「えっ?それは一体何歳の頃の話なの?」
私の問いに、ノワールはニコッと微笑む。
「僕達が12歳、シシリアが10歳の頃に師匠に弟子入りして、2年くらいはそんな感じだったかな?
力を認められてからはフリーハンターとして帝国の魔獣討伐依頼を受け、皆と更にレベル上げしてきたんだ。
王国との国境沿いの討伐依頼を受ければ、帝国側からの魔獣流出も防げて一石二鳥だったしね」
そ、そんな苛烈な修行をしてきただなんて。
しかもそんな幼い頃から。
私とはまったく違うわ………。
「私、今のままで大丈夫なのかしら?
師匠様は私には攻撃魔法は合わないと仰って、空想魔法を極めなさいと言ってくださるのだけど……。
一応簡単な攻撃魔法は教わって使えるようになったけど。
それは護身術程度だって仰っていたわ。
そんな事で、魔道士として国を守っていけるのかしら?」
急に不安になる私の手をノワールがギュッと握り、安心させるように微笑む。
「師匠が言うなら間違いないよ。
空想魔法をテレーゼなら極められるって事だと思うな。
実を言うとね、僕はテレーゼには魔道士では無く魔術師になって欲しかったんだよ。
やはり、国を外敵から守る魔道士では危険すぎる。
それにテレーゼには研究職の方が合っていると思うんだ」
そう言って、申し訳無さそうにこちらを覗き込むノワールに、私も申し訳無く思いながら首を振った。
「ごめんなさい、ノワール……。
それでも私は、エクルース家当主として、魔道士にならない訳にはいかないわ。
それに私も、お母様やお祖父様のように立派にこの国を守る手助けになりたいって、そう思うの」
ノワールの私を心配してくれる気持ちは嬉しい、だけどそれに甘えている訳にはいかない。
エクルース伯爵として、この国を守る任を立派に遂行したい。
「そうだね、君はエクルース女伯爵だ。
エクルースの魂は、今は君にしか受け継ぐ事が出来ないんだから……。
立派に勤めを果たさないとね」
そう言って、急に甘く揺らめくノワールの瞳に、ドキリと胸が跳ねた。
ど、どうしたのかしら?
理解してくれたのは嬉しいのだけど、何だか含んでいるような……?
「ところで、邸も随分落ち着いてきたね。
問題なく暮らせるようになってきたし。
当分は僕もこちらで暮らすからね」
急に話を変えるノワールに、私は目をパチクリさせた。
「え、ええ。こんなに早く暮らせるまでの状態に戻れたのは、ノワールとローズ家のお陰よ」
私の言葉にノワールがニコリと微笑む。
その笑顔はやっぱり何かを含んでいるようだった。
「エクルース家の本来ある全ての資産も無事に凍結解除出来たし、国から正しい額の弔慰金も受け取り直したしね」
ノワールの言葉に私は頷いた。
そう、お母様の死後すぐに凍結されたエクルース家の資産は莫大なものだった。
その解除には、私の魔力を注ぐ必要があったのだ。
お父様がそれに気付いていたら、私からあの魔道具を解除して、資産を動かそうとしていたかもしれないけれど、そんな事をすれば長年溜め込まれていた私の魔力が暴発して周りを巻き込む大惨事になっていたかもしれない。
事もなげにあの魔道具を正しく解除してしまったノワールが、どれだけ凄いのかがよく分かると同時に、私の為にそんな危険な事をやってのけたノワールに、言葉では言い表せないほどの感謝を感じていた。
ノワールの望みはどんな事でも叶えてあげたい。
私に出来る事なら、全て。
それから、お父様達が放蕩に使い切ってしまったお母様の弔慰金は、実は正しい金額では無かった。
本来国から支払われる筈だった金額は、なんと20億ギルだったそうだ。
それを、ソニア様と王妃様が、お父様が信用出来ないという理由で、その内5億ギルのみ払って様子を見てくれていたのだった。
今回、前に支払われた5億ギルも、私に正しく渡らなかったという理由で更に補填され、20億ギルが改めて弔慰金としてエクルース家に支払われた。
せめてお父様達の使ってしまった5億ギルは辞退したかったが、お母様の武功の対価だと言われ、陛下からの勅命として支払われては、受け取らざるおえなかった。
お陰でエクルース家を立て直すのに、ローズ家から資金援助を頂く必要は無くなり、ノワールにもあのオークションで彼が払った5億ギルを返金すると言ったのだけど、それは断られてしまった。
『あれは僕がフリーハンターとして得た個人資産だし、アイツらもまだ全てを使い切ってはいなかったから、残りはとっくに回収しているよ。
それに元々、君を探し出す為に持っていた金だから、君を助け出すのに利用出来たのは、本来の使い道以上の価値があったしね』
そう言って笑うだけで、私からの返金には応じてもらえなかったのだ。
あのお金をあの短期間でお父様達がどれだけ使ってしまったのか、考えるだけで胃が痛むけれど、ノワールはまったく気にしていない様子で、フリーハンターは儲かるんだ、としか言わない。
少しシシリアに聞いたところによると、当初ノワールはあの十倍の金額を用意してきて、これでも足りないよね?と心配そうにしていたらしい……。
皆が必死に止めて、説明と説得をしてくれなかったら、その金額で私を落札したんじゃないか、とシシリアは至極真面目な顔でそう言っていた……。
そんな事にならなくて、本当に、良かった……。
「テレーゼの中の憂いは晴れてきた?」
ノワールにそう言われて、考え事をしていた私はハッとして顔を上げ、ノワールに向かって微笑んだ。
「ええ、まさかこんな短期間で解決してしまうなんて、夢を見ているみたい。
邸の事も、私の今後の事も、光が差しこんだみたいに明るく晴れたわ」
その私の答えにノワールは満足そうに頷いて、私の腰をグッと抱いた。
「それなら、大事な務めに集中出来るね」
耳元で熱くそう囁くノワールに、私は何故だか頬を赤らめた。
「だ、大事な務めって……?」
不安げな私の声に、ノワールがクスクス笑う。
「もちろん、僕の後継ぎを産む事だよ。
それに、次期エクルース伯爵も、ね」
そう言って私のお腹を指でツーとなぞられ、ますます顔に熱が集まった。
「そんな、私達、まだ婚約したばかりだし……」
そう、あの求婚から、まだ2ヶ月ちょっとしか経っていない。
なのに、後継ぎだなんて……。
私の言葉にノワールは不思議そうに首を傾げた。
「テレーゼが母上の婚姻式でのドレスを選んでくれたから、手直しに1ヶ月もかからないし、僕達の婚姻式もすぐに行えるよ?
あまり時間をかけたら、またドレスの手直しをしなきゃいけなくなるかもね」
そう言って、また私のお腹をツツッとなぞるノワールはつまり、お腹が大きくなってから婚姻式を上げるの?と暗にそう言っていた……。
「ノ、ノワールったら、そんなに急がなくても……」
焦る私の耳元に、またノワールの熱い息がかかる。
「僕は君にずっと恋焦がれてきたんだ。
そんな君をやっと手に入れたんだから、もう、少しも待てない……。
テレーゼは、嫌なの?」
柔らかな物腰に見えて、意外と強引なノワールにも少しだけ慣れてきた私は、真っ赤な顔のまま、ノワールを見つめた。
「……嫌じゃ、ないわ。
私はいつでも、貴方だけのものだもの」
そう言うと、ノワールは私をうっとりと見つめたまま、その腕に抱えて立ち上がった。
「ねぇ、この部屋の続き部屋は僕の部屋だよね?」
微笑むノワールに、私はコクっと頷いた。
ノワールは私を抱えたまま続き部屋の扉を開く。
ノワールの為に用意した部屋は、私の部屋同様、暖かい色調で揃えてあった。
ローズ家の邸でのノワールの部屋は、ノワールの部屋とは思えないほど簡素で、本当に寝る為だけの場所のようで、私には少し寂しかったから。
「趣味じゃないかしら?少し華やか過ぎた?」
部屋を見渡すノワールに、不安になってそう聞くと、ノワールは嬉しそうな顔で私を見た。
「もちろん気に入ったよ。まるでテレーゼに包まれているみたいに暖かい部屋だね。
落ち着いたら、ローズ家の邸の方の僕の部屋も、テレーゼに任せていい?」
ノワールからの素敵な提案に、もちろん私はすぐに頷いた。
そんな私のおでこに優しく口づけて、ノワールは私をゆっくりベッドに下ろした。
私は胸の前で手を組み、煩いくらいに自分の鼓動を感じていた。
そんな私に蕩けるような微笑みを浮かべ、ノワールがゆっくりと近付いてくる。
唇が重なり、私はゆっくりと瞳を閉じた。
音を立てながら、何度も角度を変えて繰り返される口づけに溶かされてしまいそうになる。
ゆっくりと口内に侵入してきたノワールの舌が、私の舌を探り出し、甘く絡めとる。
「んっ、ふぁっ、んんっ」
甘い吐息を漏らすと、ノワールの口づけがより一層甘く深くなっていく。
上顎を刺激するようになぞられた瞬間、私の身体がピクリと震えた。
ノワールはそれを見逃さないとでもいうように、グイッと私を抱きしめるとますます口づけを深くしていく。
歯列を丁寧に舐め上げられ、何度も舌を吸い上げられているうちに、知らずに腰が浮いてきて、切なげに揺れる。
「んんっ、ノワール……あっ、んっ」
堪え切れずその名前を呼ぶと、ノワールは唇をゆっくりと離し、クスリと笑った。
「テレーゼ、今夜は君に僕を求めさせてみせるからね」
まるで宣戦布告のように、その瞳をキラリと甘く煌めかせるノワールに、背中がゾクリと震える。
ノワールの望む事は、何でも叶えてあげたいのに、私はまだ1番望まれている事を叶える事が出来ずにいた。
初めて抱かれたあの日から、幾度となく夜を共にしているのに、どうしても恥ずかしさが消えず、自分からノワールを求める事が出来ない。
ノワールは……乱れてノワールを求める私を望んでいる、のだと思う。
だけどどうしても、羞恥心に勝てず、喉元まで出かかっている言葉を口にする事がいつも出来ない……。
恥ずかしさに打ち勝ち、欲望のままにノワールを求めるようになってしまったら、私はどうなってしまうのだろう……。
今はまだ、そんな未知の扉を開けずにいる私だけど……。
今夜は……ノワールがそれを、望むの、なら。
熱っぽいお互いの視線が絡み合い、不安に押し潰れそうな胸の中に、確かに、欲望の芽が芽吹いていた………。
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