【03】『雨男』

第一回目の捜査会議から三日後、<県道1号線車両衝突事故>の捜査は、暗礁に乗り上げつつあった。


会議当日に事故現場付近に張られた交通検問で、事故前後の現場の状況を目撃していた車両が数台見つかったのだが、得られた証言は捜査員たちを落胆させるものだった。

事故当時現場では、事故車両と鈴木氏のものらしい車両以外の停止車両は、一切目撃されていなかったのだ。


さらに徳丸夫妻が事故直前に立ち寄った、ファミリーレストラン店長の証言から、彼らが当日確かに来店し、午後一時前に店を出ていたことが確認された。

徳丸夫妻は、よくその店を利用していたため、店長とは顔見知りだったのだ。


そのことで、徳丸夫妻の死亡推定時刻が、レストランを出た午後一時から、交通課の警官が事故現場に到着した午後一時10分までの、約10分間に限定されることになった。

夫妻の死因が別であれば、時間の短さは問題ではなかった。


しかし、司法解剖によって確定した死因は溺死だったのだ。

わずか10分間の短い時間で、しかも走行する自動車内で、人間を溺死させる方法は、常識的に考えて存在しなかった。


そんな中、捜査員の間で再浮上したのが、目撃者である<鈴木夫妻犯人説>だった。

つまり事故で停車した車内に、彼らが<何らかの方法>で水を注入し、徳丸夫妻を殺害したという説だった。


もちろん、そんな犯行が不可能であることは、刑事たちにとっては自明であった。

しかし他に解決策が見当たらない現状で、捜査員たちの心理が、その荒唐無稽な説に、何らかの説得力を見出そうとしてしまうのだった。


県警捜査一課の鏡堂達哉きょうどうたつや刑事は、その状況を非常に危険視していた。

捜査員としての彼の信念は、刑事は事実を集め、積み上げることだけに専念すればよいということだった。


特に今回のように、複雑な様相を呈している事件では、予断を持つことで、安易な方向に捜査方針が流されることを、非常に危険であると思っている。

誤認逮捕や冤罪の温床になるからだ。

午前中に行われた捜査会議でも、彼はその点を強く主張していた。


鏡堂が、捜査本部に並べられたテーブルに座って、捜査資料を整理していると、後ろから声が掛かった。

そちらを振り返ると、〇山署捜査一係の富樫文成とがしふみなりが緊張した面持ちで立っている。


実は鏡堂は、第一回捜査会議後の役割決めの際に、〇山署捜査一係長の末松から、新米刑事二名の面倒を見るよう頼まれたのだ。

断ろうと思ったら、既に上長の熊本に話を通していたらしく、結局引き受けざるを得なかったのだった。


そして末松から世話を頼まれたのが、富樫と天宮於兎子てんきゅうおとこという二人の刑事だった。


若手刑事の富樫は、第一回捜査会議での、鏡堂と県警捜査一課長とのやり取りを聞いていて、目の前の武骨な雰囲気のベテラン刑事に憧れを抱いていた。


警察の縦社会の中で、県警の捜査員のトップである捜査一課長に対して、物怖じせずに堂々と自分の主張を述べることは、彼から見れば、「カッケー」以外の何ものでもなかったからだ。


鏡堂は特に強面という訳ではなく、ふと覗く表情は、むしろ優しげなのだが、固く結んだ唇が強い意志を感じさせる男だった。

そのことは彼の長身と相まって、相当の威圧感を感じさせる。


「どうした?何か用か?」

鏡堂から訊かれた富樫は、緊張して思わず直立してしまう。

「お見せしたいものがあるのですが、こちらに来て頂いてよろしでしょうか?」


そのあまりの緊張ぶりを見て、鏡堂は苦笑を浮かべながら席を立った。

そして富樫について、別のテーブルに向かう。

そこでは天宮刑事が、パソコンを操作して何かを見ていた。


二人に気づいた彼女が席を立とうとするのを、鏡堂は手で制する。

「それで、見せたいものってのは何だ」


「実は天宮さんが、妙なスレッドを見つけたんです」

「スレッド?」

「あ、ネットの掲示板のことです」


「ふうん。で、それがどうしたって」

「実物を見て頂けますか」


富樫から言われた鏡堂は、モニターに目を移した。

そこには短い文が羅列されている。


***『雨男』が現れました***

JIN 2024/6/23 0:23

今日、町を歩いていて『雨男』に遇いました。約20年ぶりです。また怖いことが起こらないといいのですが。


餃子マニア 2024/6/28 3:07

雨男って誰よ?


虎の子さいさい 2024/6/28 3:22

餃子マニア氏、さっそく食いついとるwww


餃子マニア 2024/6/28 12:11

JINレスなしかい?雨男って誰よ?


餃子マニア 2024/6/28 23:18

JINレスせんかい!雨男って誰よ?気になるやんけ


JIN 2024/7/2 1:02

恐れていたことが起こりました。県道1号線の事故。『雨男』の仕業です。


カベチョロ 2024/7/2 1:33

おれ、あの事故見たけど、ただの事故じゃねえの?


スマッチ 2024/7/2 1:45

俺も見たあ、あれ殺人事件?(||゚Д゚)


餃子マニア 2024/7/2 5:58

だから雨男って誰よ?殺人鬼?知ってんなら警察いけよ(# ゚Д゚)


JIN 2024/7/2 8:24

『雨男』は20年前にも人を殺しています。また殺すでしょう。


スマッチ 2024/7/2 9:05

マジか?つぎ誰?まさか俺?(꒪⌑꒪.)‎!!!


餃子マニア 2024/7/2 12:23

だからJIN、さっさと警察いけよ(# ゚Д゚)


………


「何だこれは?」

鏡堂は戸惑いを隠せずに、二人に質した。

その声が大きかったので、何人かの捜査員が集まって来る。


県警捜査一課の熊本達夫班長も、騒ぎを聞きつけてやって来た。

そして全員がモニターの前に鈴なりになって、天宮がスクロールする画面の文字を、眼で追い始めた。


「このスレッド、単に騒ぎに便乗しただけじゃないの?」

一連の投稿を見終わった刑事の一人がそう言うと、他の刑事が疑問を呈した。


「しかし、スレッドが立った日付は、事件の前だぜ」

「いや、だから。スレッド立てといて、後から世間の注目集めるために、今回の事件に便乗したんじゃないかなあ」


二人の刑事のやり取りを聞いて、集まった刑事たちは各々考え込む。

そしてその中の一人が、ぼそりと呟いた。

「『雨男』ってのが、気になるよな」


その言葉に、その場の全員が第一回捜査会議での、国松鑑識課員の発言を思い出していた。

「敢えて言うならば、成分は雨水に最も近いと思われます」

彼女は事故車両から採取された水の成分について、そう言っていたのだ。


「しかし、それだけの根拠で、事件と関連性ありとするのは無理があるぞ」

熊本の発言に、何人かが頷いた。


「このJINという人物を特定することは出来ないんですかね。

本人に訊くのが、一番手っ取り早いと思うんですが」


〇山署の加藤刑事の発言に、富樫が首を傾げた。

「難しいんじゃないですかね。

出来るとしても、裁判所に開示請求とか出して、結構時間がかかると思いますよ」


「現時点で、そこまでする価値があるかということだな。天宮さんだったか」

熊本に声を掛けられて、天宮が席から立った。


「そんなに緊張しなくていいよ。

そのスレッドだかに、何か進展があったら教えてくれ」

「承知しました」


そのやり取りを最後に、刑事たちは仕事に戻って行った。

鏡堂はスレッドの内容が気になったが、それ以上何をすべきか思い浮かばず、やはり自分の仕事に戻っていった。


そして翌日、次の事件が発生したのだった。

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