第五章 誇り高い漢 8

 おれは全速力で駆け出した。

 ヤモリを迂回して女子大生に向かって一直線に!


「ぎゃああああ、やだ。タクヤ! いますぐ来て、うちに!」


 女子大生はスマホ片手にばたばたと逃げ出した。狭い部屋の中だ、逃げ場など限られている。虫のあとにヤモリの姿を見つけて女はさらに甲高い声をあげた。


「トカゲみたいのいる! あと、G! なんとかして」


 女は手当たり次第に物を投げる。


「なんでよ! 失神~!? うそでしょ。わたしのためならなんでもするってさっき言ったくせに!」


 女子大生はスマホを壁に投げつけると、「こんちくしょー!」と叫んでヤモリを手づかみにして窓を開け、外に放った。やればできるじゃないか。

 おれはその隙に自力で窓から出た。

 豹変した女は怖い。

 ヤモリは道路に落ち、その上を自動車が通りすぎていった。


 …………。いったか。


 だがまた転生して現れたら、どうする。人間のときの悪行はずっと背負っていかないといけないのか。


 すると、通りかかった人物が道路にはりつけになったヤモリに話しかけた。


「あなたが好きだったクズ男は、もういないよ。あなたが見事に成敗した。いまは誇り高い虫になったんだよ」


 双葉はポケットからスマホを取り出した。ヤモリの身体から立ち上った煙は、スマホを握った双葉の手の中に吸い込まれるようにして消えた。

 双葉はちらりとこちらに視線を流したが、すぐに背を向けて歩み去っていく。


「待ってください、師匠~」


 両手に荷物をさげた仙師が小走りに追いかけていくようすを、おれは呆然と眺めていた。


「ほんとよぉ。『虫で失神する体質だ』なんて、よく口にできたもんだよねえ。情けなくってびっくりしたわよ」


 窓ガラス越しの女子大生は今度は友人にでも電話をかけたのか、大声を張りあげている。

 もし今後くだんの男がこの女を訪ねてきたら顔面アタックをしてやろう。人間をノックアウトさせてみたいものだ。

 だがどうやらその出番はなさそうだな、と誇り高いおれは思った。


 ( 第五章 了 )

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