第四章 メッセージ 4

 姉は半世紀近く生きたわりにきれいな人だったと思う。

 より正確には、きれいであろうと努力した人だ。いつもフェミニンな格好をしていた。化粧なしでは外出をしなかった。

 二十代のころ、どこぞの御曹司と熱烈な恋愛をしていた。似合いの美男美女だった。うらやましかった。将来の約束までしていたのに、結婚に至らなかった理由はなんだったかしら。


 ああ、御曹司が『歳を重ねても美しいままでいてくれるなら結婚しよう』とプロポーズしたからだ。『失礼しちゃう』と姉は断った。

 わたしは口では『そんなこと言う人と結婚しなくてよかったね』と慰めたけれど、これ以上姉と差がつかなくてよかったと内心では安堵していた。


 それ以来姉は誰かと交際することはあっても結婚に発展することはなかった。

 プロポーズの相手がずっと忘れられず、尾を引いているのかと思っていた。わたしのほうが先に結婚し、先に離婚した。

 あのときは姉に勝った気がしていた。いま考えれば勝手に競っていたのはわたしのほうだけだったかもしれない。だいたい、姉のほうがきれいでモテていたのは客観的な事実だったのだから。


 ふと、姉は歳を取るのがいやになって死んだのではないか、と思えてきた。

 化粧品は小さな鏡台に残っていた。カバー下地の種類が多い。口紅は色がどぎつい。血色がよく見える色のファンデーション、明るいピンクのチーク。ブラウンのアイブロウペンシル。

 若い時に比べて派手になっているようだ。だがそれも当然だ。若い時とは肌の質も違う。寄る年波を隠せなくなっていたのだろう。いつまでもきれいでいたいと願った姉は正直な人だと思う。


 わたしだって朝起きぬけの顔を洗面台で見たときに死にたくなることが年に数回はあるのだから。


 小引き出しをあけてぎょっとした。髪の毛が見えたからだ。

 ウイッグだった。すっぽりとかぶるタイプのショートとロングの二種類。つやつやとした髪質が少し人工的だ。姉は白髪にも悩まされていたのか。にしてもウイッグとは。姉を舐めていた。

 なにげなくかぶってみたが絶望的に似合わなかった。これもゴミになるのか。

 容色が衰えたことが姉の心の負担になっていたのならば、結婚しなくて正解だったのだ。いや、そこまで見越して、姉は結婚しなかったのかもしれない。だとしたら姉は嫌われるのを恐れたということだ。


「あら、やだ。心から御曹司が好きだったのかしら」


 姉をなぐさめるつもりで『そんな人と結婚しないでよかったね』などと言い放ってしまったのだが、かえって悲しませたのではなかろうか。

 姉の死とストーカーは関係ないのだろうか。メッセージがどこかに残されているというのは本当だろうか。


 どうしよう。連絡を取るべきか。

 携帯に手を伸ばしたそのとき、着信音が鳴り響いた。

 びくりと手を引っ込める。そしてまたキーキー音が聞こえた。着信はストーカーからに違いない。番号を確認せずに出てみると、思いもかけないところからの電話だった。


『高山中央総合病院です。あ、よかった。やっとつかまった』

「はい……?」

『予約日にいらっしゃらないから心配で』


 病院のクラークを名乗る女性からだった。クラークはわたしのことを姉だと勘違いしてべらべらとまくし立てた。


『検査のあと結果をまだお伝えしていないでしょう。できたら早急にこちらに来てもらえませんか。いつなら都合がいいですか。予約いれときます。先生と一緒に診療計画を立てましょう。あ、先生いらしたので、替わりますね』

「はあ」

『あ、どうも。体調はいかがですか。しんどくなってないですか』

「だ、いじょうぶです。もし差し障りがなければ、検査結果をこの電話で教えてもらえませんか」

『…………』

「覚悟はしていますので、お願いします」


 少しだけ間をあけてから医師は答えた。


『画像検査の結果はかなり進行の進んだ食道がんで間違いないと思います。詳しいことはこちらにいらしたときに説明させてもらいますが』


 できるだけ早くいらしていただきたい、できれば明日にでも。医師の声は切迫していた。


「手術をすれば助かる……のでしょうか」

『……ともかく手術は必要です。詳しい説明は病院でしたいので……』

「ああ」

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