序章 家 4
「うわ、気持ち悪い。
「すまん……」
心が後ろ向きになっていることに幸太郎自身も気づいているのだろう。
「早く元気になって仕事見つけなきゃね。田舎があることに感謝だね。つうか、おばあちゃんに感謝しなきゃ」
穂乃果の正論は小気味いい。
仏間から何か音がした。野良猫でも飛び込んできたのだろうか。
「あら、ちょっと見てくるわね」
歩く度に足裏できしみをあげる廊下。ひんやりとして心地よい。孫たちのような若い世代には田舎のただ広いだけの家は不便だろう。
なにも不便を甘受しろとは思っていない。リフォームでもなんでも好きにすればいいのだ。わたしは反対する気はない。
仏間に異常はなかった。だが位牌がひとつ倒れている。すきま風の悪戯だろうか。
隣の部屋からなにか音がする。畳の上を這うように動くものが目に入った。
「これのせいね」
ルンバとかいうロボット掃除機。この家は和室しかないし狭いし段差が多いので、思うように動かないのだ。あちこちにぶつかって向きを変える。
ほっと息をついてルンバの動きをしばらくのあいだ目で追った。幽霊や座敷童子を信じてはいないけれど、わたしにとってはこういう機械のほうがもっと不可思議に思える。
「うわ~っ!」
幸太郎の声が響いた。仏間からひょいと廊下を窺うが、幸太郎と穂乃果はまだ縁側にいるようだ。
「見た、見ただろ。今そこに」
「見間違いよ。なにかの影よきっと」
穂乃果の声が引きつっている。
「ランドセルを背負った子供を見ただろ」
ランドセルを背負った子供。なんのことだろう。
「……一瞬だったから、わからない……」
戸惑ったような穂乃果の声音。
「一瞬でも見たんだろ。四つん這いになってた。いたよな」
「陽がかげってきたから見間違えたのかも」
「いるんだよ……!」
どうやら異形なものが見えたようだ。
「で、でもさ、実害がないなら無視でよくない?」
穂乃果の声に焦りが浮かんでいる。穂乃果も怖がっているのだろうか。
「実害が出てからじゃ遅いだろ。幽霊屋敷で療養なんて無理だよ」
「ちょっと、おばあちゃんに訊いてくる」
穂乃果の足音が近づいてくる。何食わぬようすで泰然と座っていなければ。不安は伝染する。
「穂乃果、待てって」
幸太郎がどたどたと追いかける。廊下の半ばで妹の腕にすがる兄。
「おれを一人にしないでくれ」
「ええー……」
あきれた声が漏れてくる。
幸太郎が一人っ子だったら、怪異を見た瞬間にショック死していたかもしれない。
ささくれてくたびれている畳の表面を撫でると、なぜかほのかに温かい。息づかいさえ聞こえてくるようなこの家で、わたしは孤独に死ぬだろう。
「にゃあ」
猫がすり寄ってきた。いつのまにか野良猫が忍び込んでいたのか。反応を返さずにいるとするりと身をひるがえし廊下に出て行った。
「ぎゃあ!」
幸太郎の声。居間に駆け戻るにぎやかな足音。追いかける穂乃果。
猫で驚くなんて。さっき幸太郎が見たものは、猫だったんじゃないか、などと思えば、腑に落ちた。
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