第38話
ロッシでは、すぐに宿をとった。
そこそこ大きい町なので、宿は数件ある。
その中でもディヴィットは迷わず、1軒の宿にクリスを連れて行った。
「ここは俺の友達がやってる宿だ。飯も美味いし宿賃も良心的。きっとクリスも気に入ると思う」
ディヴィットは嬉々としてクリスを案内した。
宿の戸を開ける。
「いらっしゃ………ディヴィット!まさか、本物か?!」
カウンターの奥から一人の男が驚いた声をあげる。
年の頃は30前後。
ディヴィットよりも年上に見える。
それに、とクリスは思う。
がっしりした肩と太い首。
白髪交じりの赤茶色の髪、灰色の瞳。
背はそれほど高くはないが、横幅はクリスの3倍はあるだろう。
強そうで、怖そうで。
一人だったら今すぐ踵を返し、宿を出ているだろう、と思う。
それほどに主人は、山賊の方が似合いそうな風貌だった。
「久しぶりだな、ラルフ。こんなにはっきりとしたゴーストもいないだろ?」
ディヴィットはそう言いながらカウンターに近寄る。
ラルフと呼ばれた主人はカウンターから出て、ディヴィットと抱き合った。
「心配したんだぞ、ディヴィット。お前、足を怪我したそうじゃないか」
「あぁ、誰かに聞いたのか。心配かけて悪かったな。怪我はもう治ったんだ。走る事だって出来るぞ」
二人はお互いの背中を叩いて、再会を喜んでいた。
クリスはそれを見て、居場所がないような気分になる。
私がいない方が二人は嬉しいんじゃないか?と思ったのだ。
その方が気兼ねなく色んな事を話せるだろう、と。
だが。
ラルフの目は既にクリスを捉えている。
ここで笑顔を作っても不自然な様な気がする。
クリスは宿の様子に気を取られているふりをして、きょろきょろと辺りを見回した。
「ディヴィット、彼は?」
ラルフはそれを察したのか、ディヴィットに尋ねた。
「あぁ、紹介しよう。旅の途中で一緒になったんだ。クリスっていう。スタッフィードまで行く」
「初めまして。ディヴィットの悪友で、この宿の主人だ。ラルフって、呼んでくれ」
クリスは笑顔を作ってラルフと握手した。
「初めまして、クリスです。ディヴィットには旅の途中、いろいろ助けてもらいました」
「へぇ。お前でも役に立つ事があるんだな」
ラルフはクリスの手を放し、からかい気味の口調と共にディヴィットを見る。
「そりゃもちろん、と言いたいところだが、実際はクリスの狩りの腕に随分助けられた。おかげで食糧難には縁なしだ」
ラルフは感心したように頷いて、もう一度クリスを見た。
「こんな細っこいのに感心するぜ。まだ子どもじゃないか」
「いいえ、ラルフ。僕は16歳の誕生を過ぎました。だからこれでもあなた達と同じ、大人なんです」
クリスが言うと、ラルフはぷっと吹き出した。
それからすぐにクリスの肩をバンバン叩く。
「ぃやぁ、これは俺が悪かった。そうだよな、人は見かけによらないってのは俺がいっちばん知ってる事だったのに。ホント、悪かったよ。気ぃ悪くしないでくれな」
「もちろんです」
クリスは肩の痛みに歪みそうになる顔を何とか笑顔にする努力をした。
慌ててディヴィットがラルフの手を止めた。
「そんなに叩くんじゃねぇ。肩の骨が折れちまうだろ」
「あぁ、済まない。未だに気ぃ抜くと力加減を間違えんだよ」
ラルフは頭を掻く。
「大丈夫か?クリス。こいつ、昔っから力が強くてな。見た目もコレだし、よくケンカふっ掛けられてたんだ」
ディヴィットがラルフの肩に手を置く。
「でもな、こいつ、ケンカ嫌いなんだ。ぃや、血を見るのが怖いんだったか?」
ラルフは頷く。
「だ、そうだ。だからいっつも逃げてたんだ。よな?」
「あぁ。でも逃げる時にどうしても2、3人は倒しちまって。だから俺、友達いなかったんだ」
気は優しくて力持ち。
だが、どうしても“力持ち”の方に人の目は行った。
誰もがラルフ少年を避けるようになった。
ラルフ少年は淋しかった。
そんな時、目の前に立ったのがディヴィット少年だった。
「ラルフは俺の1つ上なんだが、俺は体も大きかったし、腕には多少の自信があった。“暴れん坊”……これはラルフのあだ名だったんだが、その、暴れん坊を懲らしめてやろうって思ってな。んで、会ってみたら話と違うんだよ」
ラルフ少年はディヴィット少年に、怪我させたくないから傍に来ないで、と懇願した。
当時、ラルフ少年は15歳。
対するディヴィット少年は14歳だった。
「おいら、その気はなくても怪我させちまうんだ。だから傍に来んでくれ」
「どういう事だ?お前“暴れん坊”だろ?人違いか?」
ディヴィット少年は首を傾げた。
「みんながおいらの事をそう呼んでるのは知ってる。でも、おいらは自分から暴れた事はないんだ。逃げようとしてるのを通せんぼする奴らが悪い。何もしないおいらに殴りかかって来る奴が悪い。そうだろ?」
ラルフ少年は今までの事をディヴィット少年に話した。
ディヴィット少年はそれを全部聞いた。
ラルフ少年は自分の話を聞いてもらえた事が嬉しくて、相手が悪い、自分は悪くない、と力説した。
いつもいつも、最終的にラルフ少年は謝らなければならなかった。
周りがラルフ少年の話を聞く前から彼に非がある、と言ったからだ。
でも目の前の男の子はちゃんと話を聞いてくれる。
もしかしたら自分の正しさを認めてもらえるかもしれない。
ラルフ少年は嬉々として話した。
だが。
「それは両方だな」
話を聞いたディヴィット少年はそう断じた。
「元は相手が悪いだろうさ。お前は何にもしてないのにケンカを持ちかけてんだから。でも。逃げる為だからと言って、相手を怪我させたら負けだろ?世の中ってのは、弱い者に同情するように出来てんだから」
ラルフ少年は落ち込んだ。
結局こいつもみんなと一緒だ、と思った。
「だからな、暴れん坊。お前は力加減を覚えりゃいいんだ。相手に怪我させずに逃げるようになればいい。早く走る練習とかしたらどうだ?」
「足は速い。でも力加減は難しい。そういう時って、怖かったり、嫌だって思ってるから。闇雲に振りまわした手が当たっちまうんだ」
大きな手は当たった相手を吹き飛ばす。
まるで“人間風車”のような有様。
飛ばされた相手はもちろん怪我をしてしまう。
「だったら、怖いって思わなくすればいいんじゃないか?」
「どうやって?」
ラルフ少年は挑むように言った。
「どうやったらそんな事が出来んだ?5、6人に囲まれてみろ。怖くないはずがない」
「そうだな………試しに凄んでみたらどうだ?目の前の男を睨みつけて“怪我したくなかったら失せろ!”って低い声で言うんだ。そりゃもう、腰を抜かすさ」
ラルフ少年は鼻で笑った。
「ふんっ!今まで頼んでも頼んでもケンカを仕掛けてきた。そんな風にしたら余計に煽っちまうだろううが」
ディヴィット少年は頭を振った。
「逆だよ、逆。お前は見た目で十分怖い。なのに弱っちい事言うもんだから、相手が頭に乗るんだ。こいつ、見かけ倒しか?ってなもんだ。最初っから手出し出来ない様な雰囲気出してりゃ、そうはならんさ」
ディヴィット少年は目をくりくりと動かして、ラルフ少年に言った。
ラルフ少年は年下の初対面の男の子に説教とアドヴァイスをされて、なんだか嬉しかった。
でも、その案には一つ大きな欠点がある。
「それじゃぁ、俺にはいつまで経っても友達は出来ない。誰も近寄って来ないのは今と同じだ」
ラルフ少年は、はぁ、と息を吐いた。
「んな事ない。ケンカを辞めて、人助けしろよ。せっかくいい体してんだ。力もある。困ってる人を助けながら働くんだ。なぁに、働き口なんて何処にでもあるさ」
ディヴィット少年は、それに、と続けた。
「誰も近寄って来てなくはないだろ?だって俺はお前の友達だ」
ラルフ少年はそれを聞いて泣いた。
その時から二人は友達になった。
ラルフ少年は身を粉にして働くようになり、やがて評判が変わった。
気が優しくて力持ち。
ラルフ少年自身の内面は全く変わっていないのに、周りには人が集まるようになった。
「この宿は嫁の実家なんだ。まだ親父さんもお袋さんも達者だが、俺の事を随分買ってくれててな。結婚してすぐに俺に任せてくれた」
クリスはラルフの話を興味深く聞いた。
この人もディヴィットに救われたんだ、と思った。
私の“友達”1号もディヴィットだった。
“友達”のフレーズにはやっぱり胸が痛む。
それでも私は“友達”と言い続けなければならない。
ディヴィットが傍にいる限り。
そのディヴィットは照れ臭いのか、話の途中から宿の奥に消えた。
ラルフは、俺の家族に挨拶に行ったんだ、とクリスに笑いかけ、話を続けた。
そして気付けばクリスも自分の事を色々と話していた。
だが話が終わってもディヴィットは戻ってこない。
「奥には嫁と子どもがいるから。嫁は元々ディヴィットと知り合いだし、あいつは子ども受けする奴だから坊主達と遊んでるんだろう」
「何人もお子さんがいらっしゃるんですか?」
クリスは目を丸くした。
この宿が嫁の実家だと言っていたから結婚しているのは分かっていた。
でも子どもまでいたなんて。
それも複数!
だが良く良く考えれば(そうは見えないが)ラルフは24歳。
子どもの一人や二人、いてもおかしくはない。
ディヴィットが結婚していない事が不自然なくらいだ。
ラルフは破顔した。
「今んとこは3人。みんな坊主で、年子。まぁ、嫁は腹が膨れてばっかりで不満なようだが、嫁と同じ顔の子が3人もいるんだ。可愛くって堪らんぞ」
「………今んとこって言うのは……もしかして」
「あぁ、腹ん中にいる。今までよりもうんっとでかいから、二人かもなって話してんだ」
「それはおめでとうございます」
クリスの言葉にラルフはにこにこと笑った。
「ありがとう。子どもは良いぞ。家中が明るくなる。俺は10人も20人も子どもが欲しいんだ」
「それは………奥さんが大変そうですね」
クリスが言うと、ラルフは途端に顔を顰めた。
「そうなんだよ。嫁はもう子どもは産めないって言うんだ。まだ22なのに………ま、こんな話をしてもしょうがない。そろそろ部屋に案内しよう。ディヴィットと隣同士で良いか?」
ラルフは肩を竦めると、棚から鍵を出した。
「あぁ、はい」
クリスはラルフから鍵を貰い、廊下を歩いた。
久しぶりの一人部屋。
クリスは部屋に入って、ベッドに体を投げ出した。
ちょうど良いわ、とクリスは自分に言う。
今夜から一人で寝よう。
どうせ明日か明後日か、そう遅くならないうちに一人になるのだから。
コンコンとノックの音。
クリスは起き上がって、戸を開けに行った。
「クリス、一人部屋で良いのか?」
ディヴィットだった。
「もちろん」
クリスは短く答えた。
ディヴィットは、そうか、と言って鍵を見せる。
「俺の部屋、この部屋の手前だから」
クリスは頷いた。
「荷物置いたら迎えに来る。夕飯にしよう」
「分かった」
クリスはそれだけ言って戸を閉めた。
ディヴィットの口が何か言いたそうに開いたが、クリスはそれを無視した。
『この部屋に来て』
そう言いたくなる自分を抑えるのに精一杯だった。
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