第5話 精霊とは


「もおおおお! なんでこんなことになるのよ!」


 さっきまで妙に静かだったのに、大通りの脇にあるベンチに座った途端にリズが騒ぎ出した。


「ねぇフェアリー謝りに行こう? 今ならまだ許してもらえるかもしれない」


「お断りします」


 隣に座るフェアリーはあっさり言ってのけた。

 事の重大さが分かっていない相方にリズは盛大な溜め息を吐く。


「あのね? あんたがどれだけ強いかは知らないけど、イルセラ様の『使い魔』は別格なのよ!【剣聖】なのよ!」


「さっき聞きました」


「あぁもぅ……」


 頭を抱えてうなだれたリズを見て、フェアリーは怪訝な顔を浮かべた。


「そんな弱そうに見えます? 私」


「そんなドレスみたいなの着てて強そうに見えるわけないでしょ」


 リズの指差す黒いドレス。

 それは【妖精の黒衣】というフェアリーたちの標準装備だ。

 世界樹さまの力で形成されており、こう見えてドラゴンの攻撃にも耐えうる装備となっている。

 妖精時と同じデザインなのは驚きだが。


「これ戦闘服ですよ? 私たち妖精の」


「可愛らしい戦闘服ね! 防御効果あるのソレ?」


「あります。このドレスは【世界樹さまの加護】を受けていますから」


 自慢気に語るフェアリーは胸を撫で下ろした。

 やたら膨らんだ胸部が手に当たり、自分の身体が人間の女性型であることを今さら自覚した。


 なるほど。

 だからあの時女の子は『綺麗なお姉ちゃん』と指してきたのか。


 それにしてもこの胸、すごく邪魔である。

 リズも身長の割には胸が大きいが、邪魔だと感じないのだろうか?

 女性の胸の役割を知っているから一概に非難はできないが。


「加護ねぇ……もしかしてさっきイルセラ様の背後を取った時もそれのおかげだったの?」


「どういう意味ですか?」


「ほら、あんた一瞬だけ消えたじゃない。気づいたらイルセラ様の背後にいたし」


「あれは少し速く動いただけです。このドレスにそんな効果はありませんよ」


 さも当然のように言うと、リズの目の色が変わった。


「ちょっと速く動いただけ!? でもまったく見えなかったわよ? あんたの動き。消えてたもん」


「目で追えてないだけですよ。あなた方の反応が遅すぎるんです」


「嘘……」


「嘘じゃありません」


 そもそも人間が妖精の動きについてこれるはずもないから、見えないのは仕方のないことなのだろう。


 あの程度で速いと言っている人間の強さ基準。

 それで語られるイルセラの使い魔【剣聖】とやらも、やはり大したことないのだろうと思った。


 ググゥゥウウ〜


 忘れた頃にやってきた空腹感が、またフェアリーを襲う。

 リズの視線がフェアリーのお腹に行き、フェアリーは顔を赤くしてコホンとわざとらしく咳払いした。


「フェアリー……何か食べる?」


「ぃ、いりません。人間に施しなど……」


 強がってみせたが、さっきよりも空腹感が強い。

 ちょっと痛みさえ感じるほどの空腹感にフェアリーは顔を歪めそうになる。

 リズにバレないように顔を背けて隠す。


「そんなに人間が嫌い?」


「理由は説明したはずですが?」


「……じゃあなんでイルセラ様を挑発したのよ? だってあれ、アタシのためにやってくれたんでしょう?」


「な!」


 カァッとフェアリーの顔に赤みが差し込み、背けていた顔を思わず戻してリズを見返す。


「か、勘違いしないでください! 人間のくせに偉そうだったから、少し分からせてやろうと思っただけです!」


 柄にもなく必死になって返してしまった。

 自分でもよく分かっていない感情に答えが出せず、しかし図星と認めない心がムキになって現れた。


 対するリズは目を丸くしてきょとんとしていたが、何かを察したように顔を緩ませ微笑んできた。


「そう……わかった。ならとりあえず奢らせてよフェアリー」


「だからいりませんって。人間の作った物なんか食べたくありません」


「お願い」


 意地を張るフェアリーに、それでも優しい声でリズは頼んできた。

 どうしてそこまで自分にお金を使おうとするのか?


 人間が通貨で社会を回しているのは知っている。

 この地球でもそれは同じだ。

 多ければ多いほど裕福なのも知っているが、リズはどうにもそこまで裕福な身分には見えない。

 前に食べていた屑肉パンだって、安そうな店で一番安い物を買っていたのだから。


 ググゥゥウウ〜


 また空気を読まずに腹の音が鳴り出した。

 再度殴ってやりたい気分になったが、それよりも先にリズが口を開いてきた。


「空腹が辛いのはアタシもよく知ってるからさ。それに明日戦うのはフェアリーなんだし、しっかり食べて万全な状態で挑まないと。ね?」


 確かにリズの言うことは正しい。

 こんな空腹感に耐えながら戦闘するのはさすがに嫌だ。

 悪化する一方だし、明日になればどれほど酷くなっているか分かったものではない。

 

 それに明日の勝負はリズのためにも負けるわけにはいかない。

 理由は分からないがリズはイルセラの騎士になりたがっているから。 


「……ま、どうしてもって言うなら、いただきますよ」


「ん。ならさっきの商店街に行こう。あんまり高いのは買ってあげられないけどさ。ほら、行こ」


 リズに手を引っ張られベンチから立ち上がったフェアリーは、また触ってきた穢らわしいと思いつつも口にせず、黙ってリズについて行った。


 そして先程の商店街に着き、先程のテーブルとイスに座る。


 リズが買ってきてくれたのはこんがり焼けたパンに屑肉と野菜を挟んだ大衆料理。


 明らかにリズが食べていた物より良いものになっていたが、もう空腹に耐えられずにいたフェアリーは匂いに釣られ数億年も使わずにいた食事の本能に従ってそれを口に運んだ。


 一口噛むと肉汁が溢れ、野菜のシャキシャキ感とパンの香りが口内に充満した。


「お、おおおおおおおおおお美味しいぃいいいいい!」


 数億年も生きてて感じたことない幸福感がフェアリーを包んだ。

【味】というものを初めて感じた。

 これが、食事! 


「美味しい! こんな! こんな! これが! 食事! 味覚! ああ!」


「ちょ、フェアリー……」


 あまりの豹変っぷりにリズは唖然としていた。

 数億年も生きている貫禄は消え去り、まるで子供のように口の周りを汚しながら食べていく。


「人間はこんな美味しいものを毎日食べてるんですか! 人間のくせに! 人間のくせに! ああ! 美味しい!」


「……本当に食事初めてなんだ」


「美味しい! おかわりください!」


「え!?」


「ぜんぜん足りません! おかわりください!」


「いや、アタシそんな余裕あるわけじゃないからそんな……」


「ぷはぁ~っ! これが水! 素晴らしいです! 喉が潤う! これもおかわりで!」


「少しは遠慮しろ!」



「はぁ〜美味しかったぁ〜もう少し食べたかったんですが……」


「お金なくなるっつーのっ! 我慢しなさい!」


 リズに叱られるも満腹感がとても心地よくてフェアリーは幸せそうにお腹を撫でた。

 テーブルを挟んで向かいに座るリズは財布の中身を確認して青ざめる。


「うあ……三日も持たないわコレ。日雇いの仕事とか探さないとマズイかも」


「日雇いの仕事とは? 美味いのですか?」


「ご飯じゃないわよ! あんたがアホみたいに食うから食費が予算オーバーしたの! その分を補うために日雇いの仕事を探さなきゃ……売り子とか募集してるかな? バックダンサーとか、ウェイターとか……」


「大変ですね」


「なに他人事みたいに言ってんのよ! あんたも手伝うのよ!」


「え!? なんで私がそんなことを!」


「あんたのせいでしょ! 自分の食べた分くらい自分で稼ぎなさいよ!」


「そんなことしなくても明日イルセラさんに勝てば騎士になれるんでしょう? だったらそれで良いじゃないですか」


「勝てるか分かんないでしょ! 負けた時のことも考えなきゃ!」


「……負けたらエタンセルから追い出されますし、他の仕事なんて考えるだけ無駄じゃないですか?」


 フェアリーに言われたリズは思い出したようにハッとなり「それもそうね」と冷静になった。


「追い出される前に大都市を観光しとこうか」


「なんで私が負ける前提なんですか……」


「ねぇねぇせっかくだからこの大都市にある【炎の神殿】に行ってみない? あの有名な【消えない炎】を見てみたいのよ」


 リズにスルーされたフェアリーは遺憾だったが【消えない炎】という単語に耳を奪われた。


「【消えない炎】……サラマンダー様の炎ですね?」


「知ってるの?」


「当たり前です。サラマンダー様はこの地球に火を司る精霊様ですよ。あなた方人間が火を起こせるのはサラマンダー様のおかげです」


「へぇ〜やっぱりそうなんだ? なんか大昔にイルセラ様の祖先がここにある【消えない炎】を見つけて村を築いてこんな凄い大都市にまで発展させたらしいわ」


「なるほど」


【消えない炎】を中心に発展してきたのがこの【大都市エタンセル】なのか。

 そして今も【炎の神殿】とやらに【消えない炎】が祀られているらしい。

 

「いいでしょう。その【炎の神殿】とやらに連れてってください。サラマンダー様に挨拶をしておきましょう」


 あわよくば世界樹さまのもとに帰してもらえるかもしれない。

 帰れるならばリズを騎士にしてから去ろう。

 そう脳内で予定を組み立てると、向かいのリズが怪訝な顔を浮かべていた。


「サラマンダー様に会うつもり? でもサラマンダー様って100年に一度しか姿を見せないのよ?」


「そりゃあ精霊様と人間は会話ができませんからね。姿を現してもつまらないじゃないですか」


「え、そんな理由!? じゃあなんで100年に一度だけ姿を見せるの?」


「人間が精霊の存在を忘れないようにするためです。祈りや信仰を忘れた人間に精霊は力を貸しませんよ」


「……だったらもっと頻繁に姿を見せた方がいいんじゃない? 100年に一度は少なすぎるって」


「そうですか? 100年でもかなり速いサイクルだと思いますが」


「あーそうね……あんた数億年も生きてんだもんね。言う相手を間違えたわ」

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