第3話


 ファセット王国を北に進んでいけば、その先にあるのはガーランド帝国だ。

 王国と比べるとその歴史は浅く、建国から未だ百年も経っていないが、帝国はこのバーンガイア大陸で今最も勢いのある国といえる。


 ファセット王国は四方を国と接しているが、アリスがセカンドライフを送る場所として選んだのは帝国である。

 当然ながらそれにも理由がある。


 帝国を治める皇帝が標榜しているのは、徹底した実力主義。

 実力さえあればスラム上がりの孤児を官僚として迎え入れ、冒険者崩れのごろつきを騎士見習いとして雇うと噂の帝国であれば、身分を隠した状態でも上手くやっていけるだろうと思ったからだ。


 アリスの北へ向かう旅は、供回り一人いないせいでまともに進めずに苦難の連続……なんてこともなく、至って順調に進んでいく。


 実は彼女は定期的に、身分を隠して冒険者として活動していた。

 魔道具に必要な素材は、自分の手で集めた方が手っ取り早いことが多いからだ(ちなみにアリス追放の話が国王にまで伝わるのに時間がかかったのも、彼女が定期的に長期間家を空けることが結構な頻度であったからだったりする)。


 アリスは冒険者達にとって一流の証明であるBランクの称号を持つくらいには、野営や移動に慣れている。

 更に言うと彼女は人がギチギチに乗っている乗合馬車でも平気で寝れるタイプの公爵令嬢なので、道中ストレスが溜まるようなこともなく、サクサクと段取り通りに国を出ることができた。


 国境沿いの関所を抜け、そのまま北西に向かうこと二ヶ月。

 アリスはようやく、目的地へとたどり着いた。


「あれが……帝都ガルシュヘイム」


 高く、見上げるほど高くそびえ立つ城壁によって囲まれた城塞都市。

 万の魔物の侵攻でもびくともしないとされるその黒塗りの城壁の威容に、思わず息を飲む。

 検問を抜け中に入ると、また一つ小ぶりな城壁が見えてくる。


「なんで城壁が二重になっているのかしら?」


「都市の拡張計画があったからだよ。前の城壁の中に人が入りきらなくなったってんで、皇帝陛下が新しい城壁をこさえてくれたのさ」


 アリスのつぶやきに、行商人らしきおじさんが答えてくれた。


 中にある小ぶりの城壁は、帝国がまだできたばかりの頃に作られたものなのだという。

 ただ帝都が大きくなるにつれて明らかに手狭になっていき、城壁の外に多数の居住区画が作られるようになっていた。


『城壁の外に暮らす者達もまた、帝国の臣民だ。皇帝である私には、彼らを守る義務がある』


 そんな時の皇帝ラングルト二世の鶴の一声によって作られた新たな城壁が、外側の黒塗りの城壁――通称『黒壁』なのだという。


(市民のことも考えてくれる国っていうのは、どうやらホントのことみたいね)


 アリスは王国の選民思想的な貴族にはうんざりしていた。

 帝国であればのびのび暮らすことができそうだ。

 そんな風に期待に胸を弾ませて宿を取る。

















 来客があったのは、その日の夜のことだった。

 こんこんと、アリスの私室の部屋が控えめに二回ノックされる。


 アリスはそのオッドアイをパチリと開き、ベッド脇に置いてある自作の魔道具を装着していく。

 そしていつでも逃げ出せる準備を整えてから、


「どちら様でしょうか?」


 警戒もあらわにそう問いかける。

 夜這いかとも思ったが、夜に狼藉を働くにしてはいささか行儀がよすぎる。


「ここはアリス・ツゥ・ヘカリスヘイム嬢の私室で間違いないか?」


「――ええ」


 早すぎる、とアリスは内心で歯がみした。


 彼女の姿はたしかにかなり目立つ。

 個人的にチャームポイントと思っているオッドアイもそうだが、彼女は自身の戦闘能力を上げるため魔道具をフルで装備しまくっている。


 ただ能力と形状があべこべなせいで、完全防備にもかかわらずその見た目は奇妙奇天烈になってしまう。


(遅かれ早かれいずれ帝国の人間に感づかれるとは思っていたけど……まさか当日のうちに気付かれるなんて)


 自分は隠密行動には向いていないらしい。

 がっくりと肩を落としながらドアを開けると――そこには騎士の甲冑に身を包んだ男の姿があった。


 兜は取っており、その顔は月明かりに照らされて光って見える。

 黒髪黒目の鋭い顔つきをした男性だ。

 がっしりとした体つきは巌を思わせ、その鋭い瞳と雰囲気は獰猛な鷹を想起させる。


「ヘカリスヘイム嬢とお見受けするが、いかに」


「ヘカリスヘイムの名は捨てました。先ほどはああ言いましたが、今の私はただのアリスです」


「……どういうことだ?」


 鷹を思わせる鋭さを持つ黒髪の男が眉をしかめる。

 どうやらアリスの正体を突き止めるところまではできても、詳しい事情までは帝国には伝わっていないらしい。


 アリスはハイケに国外追放される際、国家擾乱罪の名目で公爵家としての立場を剥奪されている。

 なので今の彼女は自分で言った通り、ただのアリスなのだ。

 彼女はこの帝国で、一から己の人生をやり直すつもりだった。


「私は国外追放の処分を受けましたので。なので貴族令嬢として歓待してもらう必要はありません。これから帝国で……魔道具作りでもしながら過ごしていくつもりです」


 アリスは立場こそ非公式なものであったが、王宮専属の魔道具職人として働いていた。


 労働条件がそこまで悪かったわけではないが、何せ彼女に作成を依頼される魔道具は数が膨大だった。

 それらを宮仕えという肩の凝る環境下で作り続けることは、正直かなりのストレスだった。


 ハイケの婚約破棄は、そういう意味では良い機会だったのだ。

 アリスは帝国ではそういった俗世のしがらみから解放されて、自由に生きていくつもりだった。


 冒険者として活動をして困っている人を助けたり、魔道具を作って誰かを喜ばせたり……彼女は第二の人生を、そんな風に誰かのために過ごすつもりなのだ。


 だからアリスは目の前の騎士に、自分の正直な気持ちを告げることにした。

 これ以上要らぬお節介を焼かないでくれという意味も込めて、しっかりと自分の考えを伝えたはずなのだが……悲しいことに、彼にはその真意が伝わらなかったらしい。


「なるほど、民のために生きる……か」


 男はその鋭い目つきで、アリスのことをじっと観察し始める。

 居心地が悪くて身じろぎをするが、彼は面白いものを見るような目でじっとアリスのことを見つめていた。


「悪くない考えだと思うぞ。お前のような考え方を持つ貴族がもっと多ければ、俺もこれほど苦労せずに済むのだがな……」


「なので主とその周りに伝えてくださいまし。私は市井で生きていくので、余計な干渉は不要と」


「……主? 一体なんのことだ?」


 眉間にしわを寄せながら、首を傾げる騎士。

 凜としている彼のちょっと間の抜けた態度は、なんだかおかしみがあった。


「主も何も、俺より上の人間はいないが」


「……へ? あなたは騎士なのでは?」


「……そういえば名乗りがまだだったな。俺はラケル――ラケル・フォン・ガーランドだ。即位してからはラングルト二世を名乗っているが、気軽にラケルと呼んでくれて構わない」


「ラングルト……って、えええええ――もががっ!?」


 黒髪の男の正体が――今上帝のラングルト二世ッ!?


 目の前にいる人物が皇帝だと気づいて叫び出そうとするアリスの口を、ラケルの手がぐっと押さえる。

 大きな手のひらなので、鼻のあたりまですっぽりと収まってしまった。


「あまり騒ぐな、バレると面倒なことになるだろう」


「は、はあ……陛下とお呼びした方がよろしいでしょうか?」


「今更猫の皮を被っても遅いと思うが」


「ね、猫の皮なんてかぶってませんっ!」


「『奇天烈令嬢』の名は伊達ではないということか……正直、想像していた以上に面白いやつで俺もびっくりしている」


 ラケルはつま先から頭まで、もう一度アリスのことを観察する。

 そして……ぷっと噴き出した。


「ちょ……何がおかしいんですかっ!」


「何がって……全部が」


 今の彼女のコーデを見ていけば、その理由はわかるだろう。

 履いているのは虹色の靴下と紫に染色されたとんがりブーツ。


 そして背中にはアリスの細腕では抱えられないほど大きな盾と槍を背負い。

 額にねじりはちまきを巻き、頭の上にはナイトキャップをつけている。


 これが現状のアリスの最硬装備である。

 こんな格好をしていれば、そりゃあ一日で見つかるだろう。


「それに……面白いだけのやつではないこともわかった。アリス、俺はお前の考えを尊重するぞ」


 アリスの考え方は、平民をただの書類上の数字としか捉えていない王国貴族としては異端であった。

 民のためを思い魔道具を広く普及させようとする考え方を、彼女は否定され続けてきた。


 けれど――今こうして、帝国の皇帝から認めてもらえた。

 たったそれだけのことで、今までしてきた苦労が、少しだけ報われたような気分になってくる。


「では……またな」


 初めて肯定してもらえたその喜びにアリスが言葉を失っていると、ラケルが踵を返す。

 肩につけているマントが、ひらりと風になびいた。

 ミルク色の月光に照らされるその横顔は、思わず見とれてしまうほどに美しい。


「はい……また……」


 ラケルは夜の闇に紛れて消えていった。

 その後ろ姿を見ていると、とくんと胸が高鳴る。


 自分のことを肯定してくれた皇帝の治める、ガーランド帝国。

 ここでなら、きっと……。


 期待に胸を弾ませながら、アリスは部屋へと戻る。

 再び布団をかぶった彼女は、実家でいた時からすれば考えられないほど、ぐっすりと眠りにつくことができたのだった――。

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