ミックス・ブラッド ~始祖四種族の真実~

久悟

序章

序章


「ほらよ、報酬だ。また頼むな」

「あぁ、もうちょっと上の依頼を受ければよかったよ」

 

 薬草採集依頼の報告を終え、冒険者ギルドを後にする。

 実に簡単な依頼だった。目的の薬草を採集した後、格下の魔物相手に剣の修練に勤しんだ。Dランクの魔物だ、毛皮や牙などの素材を売ったところで大した金にはならなかった。


 街の外れにある自宅。

 玄関前のアプローチの脇には、雑草が茂っている。手入れは行き届いていない。

 春の爽やかな朝日に見送られて外出したが、玄関のドアノブに手をかける頃には、既に夕日が空を赤く染めていた。

 

「ただいまー」


 返事は無い、誰もいない。いつもの事だ。

 

「少し疲れたな」


 すっかり慣れてしまった独り言が、家具の少ない部屋に響く。紅茶を淹れ、ダイニングの椅子に座った。防具を外した開放感と共に、緩やかな時間を過ごす。


 この家の住人は、ユーゴと父親のシュエン。ただ最近、シュエンはほとんど帰ってこなくなった。


 ――父さんか……最後に会ったのはいつだったかな。

 

 ユーゴは久しく会っていない父の顔を脳裏に浮かべた。13年前のあの日から、シュエンはすっかり変わってしまった。

 

 脳裏に浮かぶ父の隣に、おぼろげに並ぶ母親の顔。ユーゴの思考は、家族を引き裂いたあの日ヘと深く深く沈んでいった。


 

 ◆◆◆


 

「ユーゴ! 早く起きなさいって!」

「ん……眠い……もうちょっと……」

「困ったやつだな。ハイキングに行きたいって言ったのはお前だぞ」

「そうだった! 早く用意しないと!」

 

 冒険者のシュエンはユーゴの憧れだ。

 その日は、ギルドの依頼で忙しいシュエンが珍しく休みを取り、町外れの山にハイキングに行く約束をしてくれた。

 母親のソフィアは、久しぶりのお出掛けに上機嫌。鼻歌交じりに弁当を作っている。


「父さん、母さん、ありがとう!」

「いや、いつも遊んでやれずにすまない。今日は、三人で思いっきり楽しもうな」

「ほんと、三人で出かけるなんていつぶりかしら?」


 小鳥のさえずり、新緑の香り、頬に心地よく当たる柔らかな風を楽しみながら、三人で手を繋いで他愛も無い話をしながら山を歩く。ただそれだけの時間が、ユーゴにとっては堪らなく楽しかった。


「結構歩いたわね。この辺は少し開けて見晴らしもいいね」

「そうだな、ここらで弁当を食べるか」

「うん、ちょっと疲れたな……」

「この程度で疲れるようじゃ、冒険者にはなれないぞ?」

「弁当食べたら元気になるって!」


 わら編みのバスケットから出てくる料理の数々は、全てユーゴの大好物。ソフィアの料理はいつも美味しかったが、大自然の中で笑いながら食べる弁当は、全くの別物の様に美味しく感じた。


「ユーゴ! 少し暑いし、川遊びしよっか?」

「うん! 弁当食べて元気になったしね!」

「じゃあ、俺は片付けしてから向かうよ」


 靴を脱いで川に入った。

 魚が泳いでいる。水面ギリギリを飛び回るトンボがいる。ユーゴが岩に隠れたサワガニを獲って見せると、ソフィアはニッコリ微笑んだ。


 食後の眠気が、慣れない山歩きによる疲れと相まってユーゴを襲った。


「母さん、眠くなってきた……」

「ちょっと疲れちゃったかな? 寝たらいいよ」

「うん……おやすみ……」


 どれくらい寝ていたのか。

 長い時間寝ていたのか、一瞬だったのか。


 

『キャァァーッ!!』


 ユーゴは長閑な山には似つかわしくない悲鳴で目を覚ました。

 

 気がついた時には、ユーゴはシュエンに抱かれていた。

 すぐ側にはソフィアが横たわっている。


「母さんは魔物に襲われた……ユーゴ、お前は大丈夫だ……母さんが守ってくれたんだ」


 初めて見る父の涙に戸惑ったが、子供ながらに状況を理解した。そして涙が溢れ出した。

 

「昼寝なんてしなけりゃよかった……ハイキングに行きたいなんて……言わなけりゃよかった……ウワァァァー!!」


 ユーゴはシュエンの胸の中で泣いた。


「お前は悪くない。大丈夫だ……」

 


 ◇◇◇



 五歳の時だった。

 母ソフィアは、魔物に襲われたユーゴを庇って亡くなったらしい。

 

 今日の薬草採集の依頼場所はその山だった。かなり上まで登らない限りは魔物は出ない。出たとしてもD~Cランクの魔物だ。その麓のハイキングコースに魔物が出る事はほぼ無い。

 しかも、シュエンはSランクの冒険者、ソフィアを守れない訳がなかった。


 ――父さんは嘘をついている。

 

 二人は仲のいい夫婦だった。最愛の妻を無くしたシュエンは、その後塞ぎ込んだ。


 ソフィアが亡くなった後、シュエンはギルドの依頼を受けながら、ユーゴに魔法と魔法剣を教えた。

 今のユーゴなら理解できる。足手まといを連れての戦闘がどれだけ困難かを。ユーゴが気絶しているうちに、魔物が片付いている事も多かった。


「大丈夫だ」

 いつもそう言ってシュエンは、目を覚ましたユーゴを抱きしめた。ユーゴはいつも無傷だった。

 傷だらけになった父親を見て、足手まといにならないように、もっと強くなりたいと心から思った。もう二度と大切な人を亡くさない為にも。


 しかし、年を追うごとにシュエンの目の下のクマは濃くなり、いつも暗い表情で目を合わそうともしない。

 そしてほとんど家に帰らなくなった。


 今やユーゴもBランクの冒険者だ。一人でも問題は無いが、どこで何をしているのかも分からない父への心配は、日に日に増すばかりだった。

 

 

 すっかりぬるくなった紅茶に口をつけて我に返った。いつの間にか辺りは暗くなっている。明かりも付けずに物思いにふけていたらしい。

 ユーゴは椅子から立ち上がり、食事の支度を始めた。


 軽く夕食を済ませ、武具の手入れをしていると、静かに玄関のドアが開いた。


「あれ、父さん!? 久しぶりだな!」


 玄関にはシュエンの姿があった。

 久しぶりに見る父の姿に、ユーゴの心は晴れた。が、相変わらず目の下に濃いクマを作り不健康そうな容姿が、ユーゴの表情を曇らせる。

 

「あぁ……お前に渡したい物がある」


 シュエンは帰るなり、目も合わせずそのままの足で奥の自室に入っていった。そして、部屋から持ち出した一本の打刀をテーブルの上に置いた。


「これは俺が若い頃に使っていた刀だ。整備に関して俺は素人だ、鍛冶屋に見せるといい」


 ユーゴは刀を手に取り、艶のある黒い鞘からゆっくりと引き抜いてみた。

 緩い孤を描いた刀だ。刃に沿って真っ直ぐに白く美しい刃紋が輝いている。直刃すぐはと言うらしい。


「名は『春雪しゅんせつ』だ」


 シュエンの武器も刀だ。認めてもらったようで、気が引き締まる思いがした。

 相変わらず虚ろな目を息子に向ける事なく、シュエンは言葉を続ける。


「いいか……何度も言うが『魔力は放つ力』『気力はまとう力』だ。お前は魔法が得意だから魔法剣が合っていると思うのは分かる。しかし、この刀の本質は斬る事だ。気力を纏う事でその切れ味は何倍にも増す。気力の扱い方によってはさらにだ」


 魔力と気力。

 冒険者はこの二つの力を駆使して戦う。

 気力を武器に纏って戦うのは剣士の基本だ。Bランク冒険者であるユーゴは、当然修練を欠かしていない。


「あぁ、わかったよ。ありがとう、大切にする。随分具合悪そうだけど大丈夫か?」

「あぁ、問題ない。早めに休む」


 そう言ってシュエンはそのまま自室に篭もり、出てくる事はなかった。



 ◇◇◇

 

 

 次の日、陽の光で目を覚ました。昨日は簡単な依頼だったとはいえ、一日中歩き回った。程よい気だるさが身体に残っている。

 予定は特に決めていない、朝食をゆっくり食べようとキッチンに向かった。


 皿をテーブルに置こうとして、置き手紙がある事に気付いた。シュエンの字だ。

 適当な紙に殴り書きの字、椅子に座り目を通す。


  

『俺はもうこの家には戻らない。今まで伏せていた事を伝えよう。お前は、ミックス・ブラッドだ。リーベン島へ行け、その春雪がお前と島を繋いでくれるはずだ』


 ――ミックス・ブラッド……。


 異種族間で生まれた子供を指す言葉だ。

 

 思い出した様に立ち上がり、本棚に向け歩く。そして一冊の本を手に取った。

 小さい頃から、変わらずに本棚にある本。ユーゴはこの物語が大好きだった。毎晩母親に読み聞かせてもらった事を思い出す。優しい声が今でも耳に残っている。


 特に有名な冒頭の節に目を通す。

 


 

 昔々の物語

 ある四種族の物語。

 人が生まれる遥か前

 この世を治める四人の王。

 

鬼王きおう』『仙王せんおう』『魔王まおう』『龍王りゅうおう


 四つの国はそれぞれの

 国の平和を守る為

 子を産み育て敵国を

 攻めては互いの子を減らす。


 これはこの世の物語。

始祖四王しそよんおう』の物語。



 

 ――まさか……父さんは始祖四種族なのか? 若しくは母さんが……。


 鬼族、魔族、仙族、龍族。

 かつてこの大陸では、この始祖四種族を統べる四人の王が睨み合い均衡が保たれていた。


 御伽おとぎ話だと思っていた。

 始祖四王の物語が、ユーゴの周りで静かに動き出した。

 

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